13 カンガールの救出は楽じゃない。
ちょっとずつちょっとずつ距離を詰めていくと、カンガールの背後が行き止まりになった。
わたしはしゃがみ込んで、エサの葉っぱを付けた杖をカンガールの前に差し出す。
「お腹すいてない? ここから出してあげるだけだよ。ほら、おいで」
警戒を解いてくれるように笑顔で話しかけると、つぶらな瞳で見返してくる。
カンガールが一歩わたしの方に近づいた、と思ったら脇をすり抜けていった。
フェイントするとはなかなかやるね!
わたしはもちろんカンガールの後を追う。しばらく穴の中をグルグル回って追いかけっこ。
さっき崖から降りた時に捻ったらしい足がジンジンとするけど、今はそんなこと気にしていられない。
あと少しでカンガールの背中に触れそう。
もう少しのところでカンガールが後ろを振り返って、わたしと目があうとつぶらな瞳を細くさせ素早くくるっと体を回転させた。
長くて細い茶色いモノが横から飛んで来た。
カンガールの尻尾? 気づいた時には。
ビタンッ!
「ぎゃっ……痛っ!」
カンガールの長いしっぽがわたしの顔に直撃。その拍子に足がもつれて体のバランスが崩れわたしは地面にダイブ。
視界にカンガールの小さな足が映ったかと思うとカンガールがその場でジャンプ。わたしは両足で頭を踏みつけられた。
…………香月美里、異世界にて力尽きました。
もうぐったり。うつ伏せになったまま動けません。
「あちこち痛い」
小さい体のどこにそんな力があるのよ。
「ミリィ! だから言ったじゃないですか。僕の言いつけを守らないからですよ!」
崖の上からユーリのお説教が飛んできたけど、今はそれどころじゃない。
わたしはほっぺたと頭、顎に肘やら膝をさする。足も痛い。
ここで怒ったらカンガールを怯えさせちゃう。優しく笑ってわたしはあなたの敵じゃないよアピールをしないとね。
「なかなかやるね。素早いだけじゃなく、頭も良くて強いんだね」
きっと追いかけるから逃げるんだと思う。
杖に巻きつけた葉っぱを小さくちぎって自分の周りに散りばめた。
今度はじっとして手から直接葉っぱをあげてみよう。
「いじめたりしないからおいで」
しばらくその場で葉っぱを振りながらおいでおいでをしていると、カンガールがちぎった葉っぱを食べながら一歩、また一歩とわたしに近づいて来た。
やった! これなら仲良くなれそう。
「これもどうぞ」
カンガールの近くに葉っぱを差し出すと、鼻をヒクヒクさせながらパクリ。
わたしついにやったよ。手から食べてくれた!
喜びを伝えたくて崖の上を見上げると、ユーリが両手を広げやれやれのポーズをしていた。ユーリも喜ぶかと思ったら呆れられてる?
わたしは気を取り直してそうっと背中に触ってみると、カンガールはほんの少し耳をピクリと動かしただけでイヤそうじゃない。これならいけそう。そう思ってなでなでしていると、カンガールがゴロンと地面に寝転んだ。
これってわたしに懐いた証拠だよね。
「可愛いなぁ!」
なんて和んでいる場合じゃないね。この子を穴から出してあげないと。
わたしはカンガールを抱っこしてユーリがいる崖の下まで戻った。
「カンガールちゃん暴れないでね。ユーリ、この子を引き上げて」
わたしはカンガールの頭を撫でてから、崖の上を見上げる。
「仕方ありませんね、わかりました。もう少し持ち上げてください……」
カンガールを頭の上まで抱え上げても、ユーリが持ち上げられそうな位置まであと少したりない。
「背伸びしてもこれ以上は無理」
足がプルプルしてきた。
「ちょっと待ってください」
ユーリは大きなため息をつき、地面に伏せると崖の下に向かって両手を広げた。
「これなら届きます」
ユーリはカンガールの脇にそれぞれ両手を入れると引き上げた。
「わたしも穴から出るから、ユーリはその子を放してあげてね」
「わかりましたがミリィ、後で色々と話があります。早く穴から出てくださいね」
微笑みを向けたままユーリの顔が引っ込んだ。あの顔は怒っているような気がする。
きっと服を汚させちゃったから怒ってるに違いないよ。
だってユーリの目が笑ってなかった。あの微笑みの裏にユーリの怒りを感じるもの。
さて、どうやって登ろう?
崖をよじ登りたいけど、崖の淵には手が届かない。
「ミリィ、手を貸しますよ」
「ありがとう!」
ユーリに引っ張ってもらうしかないけど無理だった。あともう少しのところでわたしとユーリの手はかすり、掴むことができなかった。
「上に手が届いたらなんとかなりそうなんだけど困ったな」
「ミリィ、下に何か踏み台になるような物はありませんか?」
何かないか探してみたけど、崖の下は雑草や土と石しかない。
そうだよ、踏み台がないなら作っちゃえば良いじゃない!
「踏み台になるような物はないけど、ちょっと待って」
小さい頃によく砂場で山を作ったことがある。
すぐ上の影羽兄が土は叩いて踏んだら固くなるって言うから、それを信じて必死になって土を固めた覚えがあるよ。
その方法でやってみよう!
「えっさ、ほいさ、よいさっさ」
わたしはスコップ代わりに杖を使って地面を掘った。
前の日に雨が降ったのか土は湿っていて硬くなくて良かったよ。
「ミ、ミリィ……何をしているのですか!?」
ユーリが目を大きく見開いて驚いている。
「見ての通り踏み台にする土を掘ってかき集めてるの」
両手に掘った土を持ってユーリに見せる。
「なんてことを……」
あ、ユーリが空を見上げて頭を抱えているよ。変な杖の使い方をしたからかな?
まあまあ、緊急事態なんだから良いじゃないの。
杖って意外と頑丈にできてるんだね。土の状態が柔らかかったのもあるけど掘れる掘れる。あっという間に土が山になった。
土を手で固めてからその上に乗って痛くない方の足で踏みつける。両足を使えばすぐに固まるけど仕方ない。
石を混ぜたら強度が増すかなぁ。よし、石もミックスさせよう。
掘ってはかき集め、踏み台に積んで踏み固めるを繰り返す。
「こんなもんかなぁ」
土を高くしていくと踏み台が完成!
手についた土を落としながら、積み上げて作った自分の作品を眺める。我ながら良い仕事したね。
踏み台に登ると崖の淵に指先が触れ、ユーリがわたしの腕を掴んだ。
「今引き上げますから、ミリィも頑張って登ってください」
「うん、がんばる!」
ユーリに引き上げてもらいながら、窪みや出っ張りに足をかける。痛めた右足に体重がかかり鈍痛が襲ったけどなんとかよじ登ることに成功。
崖の上に戻ったわたしにカンガールの子供が顔をすり寄せてきた。
「あれ? この子まだいたんだね」
頭を撫でると気持ち良さそうに目を細める。可愛いなぁ、連れて帰りたくなっちゃう。
「どうしたのか、自分からこの場を離れないのです」
ユーリが辺りを見回している。
背中を撫でると地面に寝転ぶカンガール。わたし懐かれちゃったみたい。
「そっか〜、わたしが崖から生還するのを待っててくれたんだね。ねぇ、ユーリ」
「先ほども言いましたが、カンガールは危険な動物です。連れて帰ることはできませんので。それにあちらを見てください」
すぐに却下されるなんて、考えてることを読まれた。
ユーリが指差したところには大きなカンガールがいて、じっとこっちを見ている。この子の親かな?
「あっちにお母さんかお父さんがいるよ。君はもう行った方が良いよ」
背中をポンポン叩くとカンガールの子供は起き上がってぴょこぴょこと親がいる方に歩いて行った。途中一度だけチラッと後ろを振り返って。
カンガール救出作戦はユーリの協力で成功したようなものだね。わたし一人じゃ無理だったもの。
「ユーリのおかげで助かったよありがとう!」
ユーリは自分の服についた土を払いながら恨めしげな眼差しを向けてくる。
「これは貸しですよ」
「服汚させちゃってゴメンね。貸しにしても良いけど、わたし返せるもの何も持ってないよ?」
「今は、ですよ。そんなことよりその杖」
今は? 気になる発言だけど、それよりまずはこれだよね。
借り物の杖をこんなにしちゃったよ。掘っているうちにポッキリ。皮一枚でつながっている状態で、ただの棒切れになっちゃった。
「クレーメンスさんに怒られるかなぁ?」
「さあ、僕にはわかりませんよ」
「魔術でなんとかならない?」
「なりませんね」
笑顔できっぱり返ってきた。なんとなく、怒っている気がする。服を汚させちゃったのが尾を引いてるみたい。
ユーリの服はわたしの服と比べると、そんなに汚れてないみたいだけど。そうとうお気に入りの服に違いないよ。
ユーリの笑顔の裏には怒りあり。
ユーリが虹ヶ丘に来ることがあったら借りは倍にして返してあげよう。パンダの貯金箱を開けてうさぎ堂の和菓子を贈ろうと思う。
緊急事態だったとはいえこれじゃ使い物にならない。修理したいけどこの世界にボンドってあるのかなぁ?
くっつかなかったらどうしよ……。
折れかかっている杖にその辺に落ちていた枝と一緒に、包帯よろしく葉っぱを巻いていると。
「ミリィ、それはなんの真似ですか? 」
「杖の応急処置」
骨折した時にこうすると良いって地域の防災訓練で習ったからね。
ユーリはわたしの両肩をガシッと掴むと、真剣な顔で首を振りゆっくりしゃべった。
「無駄ですよ」
まっすぐになるかと思ったんだけどダメか。
骨折した時の対処法は杖には通用しないみたい。
「クレーメンスさんの家まで持って帰ってなんとかしてみるよ」
「そうですね、なんとか出来ることを祈ります。ですが今は魔樹探しに専念しましょう」
わたしはユーリの提案に頷いてどの木に触ろうか選別していたら。
あれ、穴をグルッと回った向こう側に何か光るものがある。
「あれは何?」
「なんですか?」
「あの辺りに光が見える」
薄暗い森の中で淡く光るオレンジ色の光。それはよく見ると一本の木から出ているように見える。
わたしが指差した方角をユーリが目をこらすように見つめる。
「僕には見えませんが」
「近くに行けば見えるよ。ちょっと行って確かめてみようよ!」
わたしはユーリの手を引っ張って、雑草をかき分け光のところまで歩いた。
白樺に似た細く白い木が淡くオレンジ色の光で輝いている。
「ほら、この木だよ」
「この辺の木にしては珍しい色ですが、僕には光っているようには見えません」
ユーリは両腕を組んで木を下から上にとしげしげと眺めた。
「ミリィ、触ってみてください」
「わかった」
木の幹に手をあてると、正面から風が吹いてきた。
扇風機の風があたるように、わたしの髪が後ろになびく。
木から風が吹いてきたよ。どうなってるの!?
風は一瞬で止み、静かな森に声が響いた。
『あ〜あ、見つかってしもうたわい』




