12 五時までに帰れません!
ここは森の中。
どこの森かと言うと、『魔樹の森』。
クレーメンスさんの草ぼーぼーの家は丘の上にあって、そこから歩いて数十分のところに魔樹の森がある。
なぜ森に来ているのかって?
それはね ––––––––。
「騎士には剣が、魔術師には杖が欠かせません。騎士が馬のお世話や剣の手入れをするように、魔術師も杖を作り自分の杖は自分で修繕修復しま〜す」
クレーメンスさんにそう言われて初心者用だという杖を渡された。
騎士は剣を作らないけど、魔術師の杖はお手製らしい。
「杖を作るためにはまず材料集めをしましょうね〜。材料は森の中にあります。そして森はあっち。では行ってらっしゃ〜い」
と言われて、外に放り出されちゃった。
「行ってらっしゃいって何を集めれば良いの?」
クレーメンスさん雑すぎるよ。
一人じゃないのが唯一の救い。ユーリも一緒に行ってくれるから。
「まずは自分の魔力にあった木を探すことからです。その前にミリィ、先ほど僕が注意したことは覚えていますか?」
ユーリに注意されたことって、イノシカに襲われそうになった後で言われたことだよね。
「覚えてるよ獣に遭遇した場合、大きな声を出さない、物を投げつけない、突然走らない?」
「なんだ、覚えていましたか」
ユーリがつまらなさそうに肩を落とした。
ちょっとユーリ、わたしが覚えていたことにガッカリしてない?
「忘れるわけないよ。忘れたらおデコに注意書き貼り付けられちゃうんでしょ?」
あれは冗談ですよ、って否定してくれるよね。チラッとユーリの顔を見る。
ええっ、なにその無言の微笑み!?
貼る、この人は絶対貼る!
警告、ユーリの微笑みにはあまり触れちゃいけない。見なかったことにしよう。
「あ、そうだ! またイノシカに出会ったらこの杖で撃退できないかな?」
「その杖は初心者用で威力は気休め程度。つまりおもちゃの杖ですよ。僕が先ほど聞いたのは万が一の確認です」
万が一とか言って、実は注意書きを貼るつもりで聞いたんじゃないかのかと思う。疑わしい。
ツッコマないツッコマない。ユーリのポケットからお札が出てくるかもだからね。
「おもちゃの杖かぁ」
クレーメンスさん、そんな物をなんでわたしに渡したのかな?
「クレーメンスが渡してきたということは、何か目的があるのかも知れませんね。さあ、ミリィの魔力にあった木を探しに行きますよ」
森を歩きながらわたしはいろんな木にタッチしていった。
杖になる木は魔樹と言ってこの森の中にあるらしいんだけど、自分と相性の良い木というものがあるんだって。
その方法は自分の魔力を解き放って魔樹のある場所まで導いてもらう方法と、手当たり次第触って木の反応を読む方法。
見習い魔術師は魔力を解き放つなんて高度な技はできないから、こうして木の幹に触って何か変化があるかひたすら確認していく。
かなり奥まで来たみたい。これで何本目かな。触っても何にも起きないし、いい加減気分は滅入って足も疲れてきちゃったよ。
森の中は薄暗くて空は枝葉に覆われて時間の経過がわからない。
「今何時くらいかなぁ? 五時までに帰らないといけないんだけど」
ユーリが魔術で青い光の玉をいくつも出して、それぞれの木の枝に移動させ引っ掛けた。薄暗かった森は光でほのかに明るくなる。クリスマスのイルミネーションみたいだ。
「帰る、どちらに?」
「虹ヶ丘にだよ。帰り方わからないけど。クレーメンスさんが知ってるよね?」
ユーリは動きを止めてわたしをじっと見つめてからため息をつく。
「クレーメンスが伝え忘れたようですね」
イヤな予感がするよ。わたしはユーリの次の言葉を黙って待った。
「ミリィが虹ヶ丘に帰るためには高度な異世界転移術が必要になります」
行きはうさぎ堂の業務用冷蔵庫からセーデルフェルトに来たけど、帰るには転移術が必要。しっかり覚えておこう。
ユーリが真剣な顔をした。
「しかしクレーメンスは二度も転移術を使ったので魔力欠乏症で療養を必要としています。クレーメンスが眠そうにしていのは魔力不足によるものです。僕が何を言いたいのかわかりますか?」
魔力が減ると眠くなる。クレーメンスさんの顔色が悪かったのにはそんな理由があったんだね。
「魔力が回復するまでクレーメンスさんを休ませてあげようってことだよね?」
ユーリは頷いた。
クレーメンスさんを休ませてあげるのは賛成だよ。
そうなると転移術を誰にやってもらえば良いの?
「先ほども言いましたが高度な魔術はたくさんの魔力が必要となり、異世界転移術はクレーメンスしか使えないということです」
「ユーリにも使えないの?」
「僕にも使えません」
イヤな予感からこみ上げてくるのは焦り。
ユーリに言われたことを頭の中で整理すると。
「それってつまり、わたし五時までに帰れない?」
「ええ、そうなりますね」
「いつ帰れるの?」
ああ、頭の中まっしろけ。
「クレーメンスの回復次第ですが、高度な魔術を使用する際には準備も必要になります」
「準備?」
「転移に最適な日時を決め、境界の番人に申請書を出したりもします。準備にも時間がかかりますね」
境界の番人って壱兎のことだよね。
そういえば、壱兎は境界を越える時わたしに帰りたくなったらいつでも帰れるって言っていた。
これじゃ五時までに帰れないじゃないの。壱兎の嘘つき!
「そんな、どうしよう。帰れないって親に言ってないよ」
わたしが帰ってこなかったら心配するよね。ああ、どうしよう。
「手紙で知らせることもできますよ。あとで書きますか?」
「手紙が送れるの?」
「ええ、境界の番人宛でしたら届きますよ」
そっか、手紙。そんな手段があったのね。両親宛の手紙と一緒に壱兎には恨みの手紙も書いてやろう!
「ユーリ教えてくれてありがとう! すぐに戻って手紙を書くよ」
そうと決まれば即実行よ!
来た道を戻ろうとしたら、ユーリに肩を掴まれた。
「ミリィ、その前に君の魔樹を見つけてからです」
あ、そうだった。なんのためにこの森に来たのかすっかり忘れてたよ。
「ちゃちゃっと見つけちゃうね!」
わたしは腕まくりをして気合を入れた。
あれ? あっちの木の奥の方で何か動いた。
一点を見つめていると。
「どうかしましたか?」
「あそこに何か……あっ、今ぴょこって跳ねた!」
茂みの中にぴょこぴょこ跳ねる動物らしき茶色の頭が見える。
「よく見えませんが小さな動物のようですね」
目で追っていくと、ぴょこぴょこリズミカルに出ていた頭が突然消え、ズザザッという何かが滑る音が聴こえた。
「落ちた? ちょっと見てくるね!」
わたしはユーリに言いながら走りだした。
うさぎか何かの動物が崖に落ちたのかも。
「ミリィ、勝手な行動はダメですよ!」
茶色の頭が消えた場所まで行くとわたしの予想はあたっていた。
地面に隕石が落ちたようにぽっかりと空いた大きな穴。広さは教室くらいで学校のプールより深そう。中型犬くらいの大きさの動物が、崖をよじ登ろうとして周りをぴょんぴょん跳ねながらうろうろしている。
茶色の体に長いしっぽ。あのフォルムは。
「カンガルー?」
穴から出して助けてあげなきゃ!
このまま穴に手を伸ばしてもカンガルーには届かない。どうやったら……。
「ミリィ、そんな格好で何をしているのです!?」
後からやってきたユーリが、地面に這いつくばっているわたしを見て目を丸くしている。
「この子を助けてあげないと!」
ユーリは穴を覗くと眉間にしわを寄せた。
「先ほど見たのはカンガールの子供だったのですね」
「カンガルーじゃなくてカンガール?」
セーデルフェルトにもカンガルーがいたんだね。なんて思っていたら違うみたい。
「カンガールは大変危険な動物です。関わるのはやくない。近くに親のカンガールがいる可能性もあります。すぐにここから離れますよ」
カンガールって危険なの?
あっちの世界の動物園で見たカンガルーにそっくり。と言ってもこの子はワラビーみたいに小さい。
小さな顔につぶらな瞳で、わたしとユーリがいる場所から距離をとってこっちを見上げている。その顔はどこか怯えたようにも見える。
「まだ子供じゃない。親の姿なんてどこにも見えないよ。一人じゃ穴をよじ登れないなら助けてあげないと」
「ミリィ、僕はカンガールが危険な動物だと言ったのです。聴こえましたか?」
怯えて寄ってこない。それならエサでこっちに来ないかな。
「ちゃんと聞いてるよ。カンガールは肉食獣なの?」
助けようとして腕をがぶりとされたら元も子もない。そこは確認しておかないとね。
「草食動物ですが、危険に変わりはありません。カンガールの脚力と尾には破壊的は力が」
「わかった。でもこの子はまだ子供だから大丈夫!」
わたしはユーリの言葉を遮り起き上がると、その辺にある葉っぱをむしった。
この葉っぱをカンガールの子にどうやってあげよう。
そうだ、ひらめいた! ちょうど良い道具があった。
わたしはポケットから杖を取り出して杖の先に葉っぱをぐるぐる巻きつけた。
再び地面に這って杖をカンガールに向ける。
「ミリィ、それは大事な魔術師の杖です。そんな使い方をするなんて」
ユーリが何やら嘆いているけど、そんなに変なことをしている覚えはないんだけど。
「ほ〜ら、美味しい葉っぱだよ。怖くないよ、おいで」
葉っぱを巻きつけた杖を振ってみるも、警戒しちゃって近づいて来てくれないや。
やっぱり高い所からだと寄って来ないか。高すぎてカンガールの子供まで葉っぱが届かない。
「ミリィ、無駄ですよ」
「まだまだやってみなきゃわからないよ」
わたしは体を起こして穴の中にひらりと降りた。
「ミリィ!!」
これくらいの高さなら大丈夫だと思って油断した。足がジンジンする。ゆっくり降りれば良かったよ。
「君はなんてことを。カンガールは危険な動物だと言ったじゃないですか。早く登って来てください!」
頭まで抱えちゃってユーリって心配性なんだね。
「大丈夫大丈夫。この子をなんとかしたらね」
わたしはユーリに手を振ってから怯えるカンガールに向き合った。
「おいでおいで、怖くないよ。美味しい葉っぱだよ」