10 クレーメンスさんの魔術 *
「起きて下さい、クレーメンス。彼女を連れてきましたよ」
ユーリが揺り椅子に近づくと、熟睡している大魔術師クレーメンスさんが抱えている枕を取り上げた。
「…………んぅ? その声は……ユリウス様ですかぁ?」
「そうです。今日の約束をお忘れですか?」
ユーリに顔に被さっている本を取りさられ、きょとんとするクレーメンスさん。
なんかこの人青白い顔ですごく眠そう。
「うとうとしていたら眠っていたようですね〜。約束……ああ、そうでしたね。もしかして、そちらの小さなレディが彼女ですか?」
おっとりぽや〜っとした人だね。
体もほっそりとしてて無気力、脱力、虚弱、不健康の単語が似合いそう。
大魔術師はわたしが想像していた白ひげ白髪の仙人みたいな人じゃなかった。見た目は二十代くらいのお兄さんだね。
この世界に病院があるのなら、診察に行くように勧めるよ。
眠そうに目をこするクレーメンスさんにかまわずユーリが話を進める。
「そうです、彼女がミリィです。ミリィ、こちらはセーデルフェルトの魔術師長で大魔術師のクレーメンスです」
「こんにちは、ミリ・コウヅキです。ご招待ありがとうございます」
決して喜んで受けたご招待じゃなくてもお呼ばれした時の定番挨拶はしておかないとね。
クレーメンスさんはゆっくり椅子から立ち上がる。きっとまだ眠気が覚めないんだね。
「これはこれは、可愛らしいリトルレディですね〜。初めまして、ミリィさん。私がクレーメンスです」
クレーメンスさんもミリィ呼び。わたしはミリィじゃなくて、美里なんだけどなぁ。
ユーリにアントンさん、そしてクレーメンスさん。セーデルフェルトの人が言うと美里はミリィになるらしい。
言葉についてはユーリが虹ヶ丘に来た時には日本語に、わたしが異世界セーデルフェルトに来た時にはセーデルフェルト語に、自動変換されているんじゃないかと勝手に思ってる。
わたしは英会話も習っていないから話せるのは日本語だけ。ディスイズアペンくらいは知ってるけど、異世界のセーデルフェルト語なんて話せないもの。
それはユーリも同じで、初めて会った時にユーリは日本語ペラペラだったけど、日本に初めて来たうえに日本語を勉強したこともないって言っていたから。
きっとあの業務用冷蔵庫の中に、何か術でもかけられているのかもしれない。
右手を差し出してきたクレーメンスさん。
これって初めましての握手だよね?
このシーンは一週間前に経験済みだよ。握手かと思っていたら手の甲にって。
一週間前にユーリに日本ではそんな挨拶しないからやっちゃダメだって、注意したけど今はその逆。セーデルフェルトに来たらセーデルフェルトでの挨拶をするべきかな?
あーー、でも童話でよくある騎士とお姫様のあんな挨拶は恥ずかしすぎるよ〜?
だから、握手みたいに手を出しておこう。
わたしが差し出した右手はクレーメンスさんの両手に包み込まれた。
「おや、これは…………」
ぽやっとして眠そうに瞼が半分下がっていたクレーメンスさんの瞳がパチリと開いた。そして何度も頷く。
「実に素晴らしい魔力ですね〜」
「クレーメンス、僕は彼女が適任だと思いますよ」
「ええ、私も同意しますよ〜。ミリィさんほど良い人材はそうそういないでしょうねぇ」
クレーメンスさんとユーリが何やら意味深な会話をして頷き合っている。
なんだかわからないけど、あの恥ずかしい挨拶をしなくて良いのなら早く右手を解放してほしいな。
「これからよろしくお願いしますね、ミリィさん」
話の先が読めないよ。わたしな何をよろしくされるの?
右に首を傾げたわたしは、クレーメンスさんと繋がれた手の中に違和感を感じて、今度は反対側に首を傾ける。
手の中がなんだかガサガサするよ。ポンポンと中で何かが増えてるし!
クレーメンスさんはわたしに何かを握らせるようにして手を離した。ガサガサの正体を確認。カラフルな包み紙?
「えっ、これキャンディだ! クレーメンスさん?」
これ、魔術で出したの!?
「お近づきのしるしですよ〜。赤はトマトで緑はほうれん草、黄色はチーズで紫は玉ねぎ、黒は忘れました。ピンクは確か……ああっ! イノシカの生ハムですねぇ」
うわぁ〜、何その奇妙な味のラインナップ。それは何かの罰ゲーム?
セーデルフェルトのアメってそんなのがあるの!?
野菜味はともかく、さっきわたしを襲ってきたイノシカって食べられるんだね。でも、生ハム味なんて食べるの勇気いるなぁ。
渡されちゃったからには受け取るけど、いやもう受け取っちゃってるけどさ。とりあえずお礼は言っておこう。
引きつる口許をどうにか笑顔に変えて。
「あ、ありがとうございます」
「どういたしまして〜。食事はバランス良くが基本ですよ〜」
クレーメンスさん大丈夫? これはアメです。ディスイズア、キャンディだよ。
はっ! もしかしてセーデルフェルトではアメ玉がご飯代わりなの!?
これはユーリに真意を確かめなくちゃ。わたしの視線にユーリが首を振った。
「ミリィ、そのキャンディはクレーメンス専用の栄養補助食品ですよ。セーデルフェルトではキャンディが食事などということは決してありませんから、安心してくださいね」
何も言ってないのに、また顔に出てたみたい。しっかり心の声をユーリに読まれちゃってるよ。
「あ〜、一瞬びっくりしちゃった」
アメ玉で栄養補給かぁ……クレーメンスさんって顔色も悪いし、いったいどんな食生活を送っているのかな。ちょっと心配になっちゃうよ。
「立ち話もなんですし、二人ともそこに座って下さいね〜」
わたしとユーリが椅子に座ると、クレーメンスさんが庭に向かっておいでおいでと手招きをした。
すると、畑の奥にある木の枝の中から大きな杖がひょこっと出てきて、こっちに向かってゆらゆら飛んで来る。目で追っていると杖はクレーメンスさんの手の中に収まった。
「まずはお茶でおもてなししましょうね〜」
クレーメンスさんが杖をテーブルに向けてコツンとさせると、椅子が一つ増えて何もないテーブルに真っ白なテーブルクロスがかけられた。
テーブルクロスの上にはティーセット一式に、クッキーが載った銀のお皿が次から次へと現れる。
「すごい、すごいよ! ね、ユーリ。これも魔術だよね?」
思わず興奮して隣に座るユーリの腕を掴んで揺すったら苦笑いされちゃった。
「ミリィ、落ち着いて下さい」
子供だなぁ、って思われたかな?
でも気にしない。わたしの目はテーブルに釘付け。
ティーポットが宙に浮いて、三人分のカップの中に赤茶色のお茶を注いでいる。
とても良い香り。これは紅茶かな?
カップがそれぞれの席の前に移動しピタリと止まった。
「魔術でこんなこともできちゃうんだねぇ。すごいなぁ!」
クレーメンスさんは椅子に座るとにっこり微笑んだ。
「これは基本魔術ですよ〜。でも、そんなに喜んでいただけると嬉しいですね〜。では、何か他にも魔術をご披露してみましょう。ミリィさん、何かリクエストはございますか?」
そうだなぁ……わたしは庭やクレーメンスさんの家の中を見回した。
気になっているアレとかアレを言ってみよう。




