01 虹ヶ丘タウンのうさぎ堂
わたし香月美里はこの春、魔術を習うことになりました。
訂正、習わされることになりました。
きっかけはおやつを買いに『うさぎ堂』に行った時。
うさぎ堂はわたしが住んでる虹ヶ丘タウンの駅前にある和菓子屋さん。
そこの店主の壱兎から頼まれごとをされたのが始まり。
「お、ちょうどいいところに香月兄弟の四番目がいるじゃねぇか。ちょっと頼まれてくれないか?」
お店に入るとそう壱兎から呼び止められて、わたしはむっとした。
「その呼び方いい加減やめてよね。わたしには香月美里っていう名前があるの。四番目って名前じゃないんだからね、和菓子屋のおじさん」
壱兎は会うといつもわたしのことを四番目って呼んでくる。だからわたしも反撃に『おじさん』って言葉を強調してお返しだ。
「オレはおじさんじゃねぇ。壱兎お兄さんか、マスターイットって呼んでくれって言ってるだろ」
ふんっと鼻をならして訂正を入れてくる壱兎の目は笑っている。
これはわたし達香月六兄弟と壱兎の間で交わされる挨拶。
わたしがまだ小さかった頃からこんな感じで、毎度お馴染みのいつものやり取りとなっている。
壱兎って和服を着てないと、赤と黒のツートンカラーの髪のせいか和菓子屋さんって感じがしない。
香月兄弟二番目の星里姉が言うには、壱兎のヘアスタイルはソフトビジュアル系バンドなんだって。
「頼まれごとって何?」
今日は友達と遊ぶ約束してないし、うさぎ堂にはいつもお世話になっているから、お使いくらいだったら行ってあげても良いかな。
「引き受けてくれるか?」
「五時までにできることなら良いよ」
小学生は五時の音楽がなったら帰りましょう、がお約束だもの。
「簡単なことだから五時までに帰れるぞ。今連れて来るからちょっと待っててくれ」
壱兎はそれだけ言うとお店の奥に引っ込んだ。
「美里ちゃん、お茶飲む?」
カウンター越しに声をかけてきたのは、うさぎ堂の数少ない店員のカスミお姉さん。
優しい笑顔で手にはうさぎ柄の紙コップを持っている。
「うん、飲む」
お姉さんが淹れてくれるお茶は苦くなくて、壱兎が淹れるお茶よりはるかに美味しい。
うさぎ堂の店内にはお客さんが座って待てるように、テーブルや椅子が置いてある。わたしはそこの椅子に座って壱兎を待つことにした。
「お姉さんありがと」
お姉さんがお茶と一緒に試食用の薄桃色のカステラを持ってきてくれた。
ピンクのカステラを前にわたしは食べるのをためらう。
カステラがキライなわけじゃないよ。変な味がしないか怪しんでいるだけ。
お姉さんが安心して、と微笑んだ。
「マスターの自信作ですって」
自信作ね。ハズレだったら最悪だ。アタリだと良いんだけど、お姉さんが言うんだから大丈夫だよね。
試食用にしてはちょっと大きめに切られたカステラを一口口の中に入れる。
口の中からふわりと香る春の香りと、優しい甘み。
「あ、この香り……桜?」
ふふっと思わず顔がゆるんじゃう。
「美里ちゃん大正解。マスターがちょっと早いけど春を先取りですって」
「お姉さん、このカステラはアタリだね」
残りのカステラを食べながらお姉さんにグッジョブすると、お姉さんも頷いた。
「今回のは正解なのよ。マスターって時々、変なお菓子を作るから食べさせられるこっちが困っちゃうわよね〜」
それにはわたしも何度も頷く。
「わたしの兄弟もその被害い〜っぱい受けてるよ。誰かに食べさせる前に自分で食べれば良いのにね〜」
二人して壱兎の話をしていると、噂の本人が戻ってきたよ。
誰かを連れて来たみたい。
「美里に頼みってぇのは、この子のことだ」
壱兎の後ろからわたしと同じ歳くらいの子供が現れる。
わたしはその子を思わずじーっと見つめちゃった。
だってその子、とっても綺麗でお人形のようだから。
こんな子、虹ヶ丘で見たことない。
銀色の髪に青い瞳だよ。鼻も高くて肌の色も白い。日本人とはまるで違う顔立ち。
着ている服は七五三か、結婚式にお呼ばれした時に着るような特別な格好をしている。
子供服の雑誌モデルとかしてそうな外国の子だ。
わたしは壱兎の袖を引っ張る。
「どうした?」
身をかがめた壱兎に小声で言う。
「この子、日本語話せるの?」
それって一番大事なことだよね。ジェスチャーって難しいもの。
返事は思わぬ所から返ってきた。
「ご心配なく、会話に支障はありませんので」
凛とした声の主は外国の子。
拳を口にあて面白そうにクスクス笑いをしている。
小声で話したつもりがしっかり聞こえちゃったみたい。
日本語ペラペラだ。それに言葉づかいが丁寧だよ。
きっとアレかな?
外見外国の子、でも日本生まれの日本育ち。そして英語しゃべれません、みたいな中身日本人。
でも、会話に支障がないって変なことを言う子だなぁ。
「そうなんだ。じゃあ、話は早いね。わたしは香月美里。あ、名前が先だとミリ・コウヅキだよ。あなたは?」
「僕の名はユリウス・シェル・エイナル・セーデルフェルトと申します。ミリィ? 可愛い名前ですね」
えっ、ええーー!?
男の子から可愛い名前、なんて初めて言われちゃったよ〜。
それも童話に出てきそうな王子様みたいな子から。
「そ、そうかなぁ」
えへへ〜っ、と照れ笑いするわたしに外国の子から、破壊力抜群のキラキラ笑顔が返ってきた。その横でニヤニヤ笑いする壱兎。
おじさんちょっと邪魔よ。キラキラ感が減っちゃうじゃないの。
あ〜あ、壱兎の顔で現実に戻されちゃった。
わたしの名前、美里でミリィじゃないんだけど訂正するのを忘れちゃった。まぁ、良いか。
それよりこの子の名前。
「あなたの名前は長い名前だね。え〜と、ユリウス……ゴメンもう一度教えて、なんだっけ?」
男の子は苦笑すると右手を差し出してきた。
「僕のことはユーリで構いません。本日はよろしくお願いしますね」
握手しようとわたしも右手を差し出す。
「わかった。ユーリ君って呼ぶね」
手と手が重なると、ユーリ君の瞳が驚いたように見開いた。
「…………君」
一瞬だけ真面目な表情で何かつぶやいたユーリ君。
「どうかしたの?」
ユーリ君はわたしの手を握ったまま首を振る。
「いや、なんでも。僕のことはユーリで良いですよ」
敬語で話す子って珍しいなぁ。礼儀正しくて頭も良さそう。
握られたままのわたしの手はユーリの顔の前で止まり、手の甲にほんの一瞬やわらかいものが触れた。それはユーリの唇で。
童話に出てくるように、王子がお姫様にするように。ユーリの動作に違和感がなくて、自分がされたのに気づかず思わずぽけっとしちゃった。
ユーリと目があって、ようやく我にかえったよ。
「ゆゆゆ、ユーリっ!?」
ユーリって、日本生まれの日本育ちじゃなかったみたい。
こんな挨拶する日本人はいないんだから。
ここがどこか教えてあげないと。
わたしはユーリの手から自分の手を引き抜いて、熱くなった顔をそらした。
「ここは日本。そんなことしたら大問題だよ。やっちゃダメ!」
「イット、ここではうちと挨拶が違うのでしょうか?」
きょとんと壱兎に確認するユーリ。壱兎はニタニタしながらわたしを肘で突っついてきた。
「文化の違いってやつだな。ユーリの国の挨拶をこっちですると、相手によって異性は般若になるかトマトになるか。なぁ、ミリィ?」
「わたしにふらないで!」
「ハンニャ? トマト」
「うっ……」
ユーリにジッと見つめられ言葉に詰まる。
もう、さっきから壱兎ってイヤな感じ、最悪なおじさんだ。
あ、そうだ!
「一丁目のジョセフィーヌが壱兎に会いたがってるって話だけど……」
ジョセフィーヌの名前に壱兎の顔が引きつる。
ジョセフィーヌは壱兎が大好き。でも壱兎は犬が苦手だからね。名前を出すだけですごくイヤそうな顔をしてる。
「その名はやめてくれ。ユーリ、ここでは握手だけにしといた方が良いぞ」
この話題はこれで終わり、と思ったら。
「ミリィ、顔が赤いですよ。僕の挨拶で調子を悪くしましたか?」
心配そうな顔で体調不良を疑われてるよ〜。
うわ〜ん、もう勘弁して。
日本の小学生で、手の甲にキスする人なんていないんだからぁ。