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第一章

 次の日も雨が降っていた。

 ラウルは言われたとおり、ラレーヌ地区にある子馬亭を訪れた。

 ルパーナ帝国の首都、帝都エリンは、美しい都市だ。宮殿は森に囲まれた小高い丘につくられ、広大なルーゼ湖を背にしている。湖から流れ出たニギリ川は都市の東を流れており、都市はそこから市内に水道を引いていた。都市は十の地区に分けられ上下水は完全に整備され清潔であった。森が近いこともあって、地区と地区の間は、真夜中になると結界が張られることになっており、地区間の移動は不便極まりなくなるが、都市の治安は大陸で一番と言われるほど高い。そして、各地区はそれぞれ違う特色を持つようになっていた。エレクーンが歓楽街なら、隣接するラレーヌは商人の街だ。晴天ならば、地区の中央に作られた広場にたくさんの市が並ぶのだが、さすがに今日は人影すらまばらだった。

子馬亭は、そんな広場からは離れたラレーヌの外れにある小さな食堂であった。

「いらっしゃい」

 店内に入ると、にこやかにカウンターの中に立っていた赤毛の中年の女性がラウルに笑いかけた。美人といえば美人なのだが、少々骨太な印象を受ける。ちょっと太めの眉毛が意志の強さを感じさせた。

「あの、ミリアさんという方はいらっしゃいますか?」

 ラウルはそう言いながら、店内を見回した。

 そんなに広い店ではないが、カウンターの前以外にもテーブルがいくつか置かれている。飾りけはないが、掃除が行き届いていた。壁にかけられたタペストリーは高価ではなさそうだが、趣味の良いものだった。カウンターの奥にはキッチンと、階段が見えた。

 まだ昼には早いせいか、店内に客の姿はない。カウンターの女性のほかには、若い女の店員がひとり奥のテーブルを拭いているだけだった。

「ミリアは私だけど?」

 カウンターの女性が不思議そうに首をかしげた。そういう仕草をすると少し若く見える。

「あなたに、お会いするように言われてきました」ラウルは渡されたメモを見せた。メモにはアリスティアのサインが書いてあった。

「ああ。あんたかい、アリス様がおっしゃっていたのは」

 納得したように頷いて、ミリアはラウルを見た。

「確かに、まっすぐな瞳をしているね。アリス様が気に入るわけだよ」

 頭の先からつま先まで、穴が開くかと思うくらい見つめられて、ラウルは戸惑った。どんな理由であれ、美人に見つめられるのはむずがゆいものがある。

「レイラ、この兄さんを二階へ案内してあげて」

「はーい」

 テーブルを拭いていた店員が、手を止めると嬉しそうにラウルをカウンターの奥へと手招きした。あまり美人とは呼べないそばかす顔を輝かせている。ラウルを案内することではなく、案内する先に何か心が踊ることがあるらしかった。

「こっちよ」

 カウンター奥の階段を上り一番奥の扉をノックする。

「あの、メモを持ってきた人がお尋ねなんですが」

「ああ。入ってくれ」

 若い男の声がした。

 内開きの扉を開けると、ラウルは、店員が弾んでいた訳を納得した。

部屋の中にいたのは、長身の男だった。ラウルはどちらかといえば小柄なため、なんとなくそれだけで劣等感を感じてしまう。男は長身なだけでなく、均整のとれた鍛え上げた体格をしていた。焦げ茶色の髪の毛がくせっ毛なのが難点といえば難点だが、端整で精悍な顔をしている。年齢はラウルより少し年上のようだ。なんとなく、美しいアリスティアにまた会えることを期待していただけに、自分を待っていたのが男で、しかも二枚目だったことに、ラウルは少々がっかりした。それに着衣からみて、ラウルよりはるかに身分が高そうだった。

「レイラ、ご苦労だったね。悪いけど、スープをふたりぶんお願いできるかな」

 にこやかな笑みを浮かべた男に頼まれると、店員は踊るように階段を駆け下りて行った。男はそんな店員を気にした様子もなく、ラウルを手招きした。

「そんなに濡れていては寒いだろう。上着をそこにかけて、こちらで火にあたるといい」

 ラウルは言われたとおりに上着を脱ぎ、暖炉のそばによった。春とはいえ、気温はまだ低く、雨に当たれば身体は冷える。ラウルの着ていた上着では、完全に雨露を防ぐ事は不可能で、中に着ていた粗末なシャツは身体にぴったりと張り付いていた。男はそんなラウルの様子をジッと観察していた。

「さすがに、大工というだけあって、いい体格をしているな。」

「はあ、ありがとうございます」

お礼を言うのも、おかしい気がしたが、とりあえずラウルはそう言った。

「アリス様は気まぐれで、強引な方だが……」

 男は、ラウルに椅子を勧めながら、書類の束を見た。

「悪いとは思ったが、ギルドに行って調べさせてもらったよ」

それくらいの事は予想していた。あまりにも、話がうますぎるのだから。

「病気の母親を抱えて、兄妹の三人暮らし。勤務態度はいたって真面目で、生活は質素、人付き合いも悪くない……」

 男は苦笑いを浮かべた。

「残念なことに、アリス様の目に間違いはなかったようだ」

 丁度先ほどの店員がスープを運んで着たので、男は書類の束を片付けた。

「飲みなさい。体が温まる」勧めておいて、自分も湯気を立てているカップに口をつけた。

「私の名前は、オルヴィズ。憲兵隊の隊長だが、どちらかというと、アリス様の下僕のようなものだ」

 半ば自嘲めいた笑みを浮かべる。どうやらアリステイアに頭が上がらないらしい。あれだけの美女だ。その男性心理はラウルにも理解ができた。

「君に頼みたいのは、だ。」

 オルヴィズは、テーブルに大きな地図を広げた。

「これは二十年前に作られたエレクーンの地図だ。エレクーンは十年ほど前に大火があって」言いながら、街の一角を指差した。

「このあたりは完全に変わってしまっているんだ」

「十年前の大火は記憶にあります。まだ見習いでしたが、再建の仕事をしましたから」

 ラウルは十三になったばかりで、再建の仕事とはいっても、釘一本打たしてもらえる立場ではなかった。それでも多少の土地勘がある。

「では、このあたりを中心にということでしょうか」

「ああ」

 仕事の話はそれだけだ、というオルヴィズの態度に、ラウルは首をかしげた。

「あの、探し人があると聞いていたのですが」

 いかにも乗り気じゃない、というようにオルヴィズは首を振った。

「メイサという魔道師の女だ。アリス様はお捜しになりたいようだが、憲兵は今回は手を出してはならないことになっていてな。」

 苦々しい顔をしている。立場上、微妙な事になっているらしいのが見て取れた。

「やむをえまい。相手が魔術を使うとなれば、憲兵に捕まえる術はない。」

「捕まえる? 証人だと伺っていましたが」

 オルヴィズはさらに困ったように眉をひそめた。

「メイサは、アリス様のご学友でな。アリス様は無実を信じていらっしゃる」

「複雑なんですね」

 魔道師たちは、「知恵の塔」と呼ばれる組織に所属しており、犯罪を犯した場合の逮捕権は憲兵ではなく、知恵の塔にある。したがって、よほどのことがない限り、憲兵は表立って動くことは出来ない。

「メイサはエレクーンの娼婦の娘でね。母親は赤子の頃に死んだらしいんだが、娼婦仲間に養われていたところを、導師ラバナスに拾われたらしい。他に身よりもないから、逃げ込むとしたらエレクーン以外に考えられんのだ」

そういって、オルヴィズはため息をついた。

「ところが、彼女の母が勤めていた店は、大火事で焼けていて、もはや捜すすべはない。」お手上げだ、というようにオルヴィズは両手を挙げて見せた。

「店の名前はなんと言うのですか」

聞いたところでどうにかなるものではない、と思いつつラウルは聞いた。

「確か、『駒屋』という名のはずだ」

積み上げられた書類の束を繰りながら、オルヴィズは答えた。

「まあ、そちらのことはいい。この部屋は使えるようにしておくから、ここで地図を描いてほしい」

地図さえできれば、とりあえずアリスティアへ顔向けができるということらしかった。

「それでよろしいのですか」

オルヴィズは苦笑した。

「契約外のことは必要ないさ。それから、あのあたりは、スリに気をつけるんだな」

心配されなくとも、すられるほどもっちゃいない、と思ったが、ラウルは黙って頷いた。

「そうだ、このマントを使うといい」

思い出したように、木箱から無造作にたたまれたマントを取り出した。傭兵などが、好んで着るマントだった。すでにかなり痛んではいたが、ラウルの着ていた上着よりはるかに雨具としての性能は上だ。

「こんなことまで、していただいては……」

「構わん。雨は体に良くない。それに、そいつは俺には少し小さくてな」

 雨の日の仕事を頼むのだから当たり前だ、遠慮するな、という口調でオルヴィズは言った。

「あなたも、彼女もどうしてそんなに親切にしていただいているのか、よくわからないのですが……」

 ラウルは世間の冷たさを知っているほうだ。他人が無償でやれることには限界があることはよくわかっている。まして、報酬というのは思うより小さいのが常なのだ。

「俺は、別に親切にしてなどいない。あんたが使えそうな男だから、使うだけさ。アリス様の場合は、」少しためらうようにオルヴィズは首をすくめた。

「あの方は大切な方を胸の病で亡くされている。他人事に思えなかったのだろうよ」

 何か複雑な事情があるようだが、それがどんなものなのかラウルは想像することもできなかった。


 雨の石畳を歩きながら、ラウルはオルヴィズの話を頭の中で復唱した。

 どう考えても、納得がいかないものがある。アリスティアは人を捜すために地図を作ってくれといった。しかし、オルヴィズの話では、すでにある程度までの調査は済んでいるようだった。今更、地図を作ったところで、それ以上の情報がつかめるはずもない。

それに、人を捜すための地図作りでないなら、憲兵が正確に測量を行なえばいいではないか。それなら、知恵の塔に遠慮は要らない。目測でいいかげんなものを作って何になる?

 ラウルは、身にまとったマントを見下ろした。面白いように雨のしずくが玉となって布を滑り落ちていく。

――これでは、ほどこしを受けているだけだ。

高すぎる手当て。簡単すぎる意味のわからない仕事。そのすべてが、母親の薬代も払うことの出来ない哀れな男への同情から出た、ほどこしだったのだ。惨めだった。そんなに、みっともない男だとあの美女の目には映っていたのかと思うと、引き返して今すぐ断るべきだと思った。

その一方で、身を粉にして働く妹と、床についたままの母親の姿を考えれば、同情でもほどこしでもかまわないではないか、とも思う。

――捜してみよう。

ラウルは大火で焼けた一角へと向かうことにした。


 窓の外の雨だれの音に重なるように、退屈な演説が続いていた。欠伸を噛殺しながら、アリスティアはホールに一杯になった魔道師たちを眺めていた。

 知恵の塔の最高責任者である導師ラバナスが殺害されて一週間が過ぎ、その取調べや葬儀がひととおり終わって、塔は新たなる指導者を決めるための選挙が始まった。選挙といっても、末端の魔道師の意見などほとんど加味されることはないのだが、形式は形式であって、知恵の塔に属する者のほとんどがこのホールに集められている。

 しかし、当然のことながらメイサの姿はなかった。

「……以上五名の中から我々の導き手を選ぶことになりました」

 長々とした演説会がようやく終わりを告げたらしい。

「なお、本来なら五日後から選挙に入るところですが、今回はちょうど月食に当たるため十日後といたします。その間は慣例どおり、わたくし、天文部学長シモヌが代行を務めさせていただきます」

 月食などの天体現象が起こる日は、魔のバランスが崩れやすくなるため、知恵の塔がもっとも気を使う必要がある。

 そんなときに、塔の導き手がいないのは一抹の不安を覚える。

「アリス、久しぶりねえ」

 ざわつくホールの人ごみの中、振り返ると、初等部のころからの友人であるローラが立っていた。ややふっくらとした丸顔に笑みをたたえている。

「修士卒業以来ね。」

 学術部を卒業して、家に戻ったアリスティアと違い、ローラは知恵の塔に残って初等部の教鞭をとっている。

「あなたは知らないだろうケド、もうたいへんよ」

 首をすくめながら、ローラは苦笑いを浮かべた。

「メイサが疑われているって聞いたけど」声を潜めながら、アリスティアは切り出した。

「やむを得ないわね。状況が状況だし。あのコ、友達少ないから……」

「でも、私には信じられないの。あのコが導師を殺すなんて」

 メイサは人付き合いのいいほうではなかった。いや、むしろ人と付き合うことを避けていた節がある。だが、導師ラバナスに対しては、盲目的といっていいほど心酔しており、それを隠そうともしていなかった。

「そうね。……でも、意外だわ。あなた、あのコと仲悪かったじゃない」

「向こうが一方的に私を嫌っていただけよ。私はあのコを尊敬していたわ」

 メイサは、徹底的にアリスティアを避けていた。ふたりの間に、特に何があったわけではない。ただ、メイサにとって、アリスティアは目障りだったのに違いない。

「あなたは、あのコが欲しいものを全部持っていたから」

 いくら知恵の塔が実力主義で、生まれ育ちに関係ない仕組みをとっているとはいえ、娼婦の子供で孤児のメイサは、類まれな才能を持っているのにもかかわらず、密かに蔑みの対象であった。反対に、アリスティアは、レニキス公の娘、つまり公女であり、実力はメイサにやや劣るものの、その美貌もあって、誰からも一目置かれる存在であった。

「他の誰かならともかく、あのコは導師を神のように慕っていたわ。ラバナス様を手にかけるくらいなら、たぶん自殺すると思うの」

「私もそう思う。でも、あの日、あのコが導師の部屋にいったのは間違いないし、あのコの部屋に貴重品が残ってないの。計画的だと言われても仕方ないわね。」

 人の良いローラは、慎重に答えた。彼女ですらそう思うのなら、知恵の塔そのものがメイサの犯行だと思っているのは間違いない。

「お久しぶりです、アリスティア姫」

 若い男の声に振り返ると、品の良い青年が微笑していた。

「あら、イルクートさま、ここでは貴方のほうが位が上なのですから、敬語は不要ですし、姫はやめてください。」

 アリスティアはにっこりと笑みを返した。イルクートは帝国の名門貴族である。噂では、帝国建国前からのこの土地の名門の家柄だという話だ。

「てっきり、導き手に立候補なさると思っておりましたのに、意外でしたわ」

「私は、宮廷より禄をいただいておりますから、そのような重責、引き受けるわけには参りませんよ」

 やんわりと笑みを浮かべているが、どこまでが本心かわからないような笑みだ、と、アリスティアは思った。

「そういえば、ラバナス様が亡くなっているのをみつけられたのは、あなただと伺っておりますが」

「さすが、憲兵総監のご息女だけあって、地獄耳でいらっしゃる」

「……褒め言葉として、受け取っておくわ」

 アリスティアは苦々しく微笑んだ。

「私はあの日、図書室から自宅に帰る途中で、ラバナス様のお部屋の扉が中途半端に開いているのに気が付きましてね。まだ、春とはいえ夜は冷えます。おかしいなと思いまして、お部屋に入りましたら、ソファで導師がお倒れになっておりました」

「誰か、姿を見た?」

「いいえ。ただ……メイサのものと思われるピアスが床に落ちておりました。」

「そう……。」

 それでメイサが疑われたわけね、と、アリスティアは納得した。

「私もずいぶんいろいろ聞かれましたよ。調査は管理部の長 ヒューがしているから、お聞きになるならそちらへどうぞ。もっとも、憲兵総監あてに報告書はいずれ届くとは思いますが」

 イルクートは疲れたように言った。うんざりしているのを隠そうともしなかった。

「ありがとう。別に捜査に疑問があるわけじゃないわ。メイサは、初等時代の同期だから気になっただけよ」

 アリスティアが礼を言うと、イルクートは足早に去っていった。

「それで、どうする気なの、アリス。あなたのことだから、このままなりゆきにまかせるなんてこと、考えてもいないんでしょ?」

 イルクートとのやりとりを傍らで見ていたローラは、心配そうに聞いた。

「そうね。とりあえずヒューから話を聞かないといけないわね。私、どうしてもひっかかるのよ」

 言いながら、アリスティアは陰気なヒューの姿を思い浮かべ、思わず首をすくめた。

 窓の外では、陰鬱な雨が激しく降り始めていた。

 

 石の色が黒っぽく変色した道が続く。十年前、大きな炎が町の一角を飲み込んだ名残である。強い火勢はあっという間に広がり、たくさんの人々がなすすべもなく亡くなった。ラウルは、焼け焦げたたくさんの遺体と、涙も枯れて立ち尽くす人々の姿を思い出した。

 火元は結局、わからなかった。たくさんの人たちが、踊り狂う火竜を見たと言う。ことの真偽はともかく、火の勢いが普通でなかったのは、間違いない。

 火よけ地として作られた小さな広場に、ひっそりと慰霊碑が建っている。大火事の後に亡くなった人たちを慰めるために立てられたものだ。たくさんの名前が刻み込まれている。

 そのすぐそばの駒屋という店のあった場所には、小さな食堂兼居酒屋があった。

安い酒をさらに何倍にも薄めていそうな店だ。建物も備品も全てその機能を満たしているだけという代物で、飾り気は全くない。思い切ってラウルが扉を開くと、かくん、と、蝶番が外れた。あわてたラウルに気にした様子もなく、いらっしゃい、というのんきな年配の女の声がした。

「その扉は前から壊れているのさ。そのままにしておいて」

「す、すみません」

 カウンターの中にいたのは、店にふさわしくない品のある老婆だった。あと三十年若かったら、この店は大繁盛しているんだろうな、とラウルは思った。

「見ない顔だねえ。この辺は始めてかい?」

 客はラウルだけだ。値踏みするような目で老婆にみつめられ、居心地が悪かった。

「いえ、はじめて、というわけではないですけど……」

「ま。若いうちは、いろいろ遊びたいだろうけれど。あんまり入れ込んだりせずに、まっとうに働きなさい」

 どうやら賭場か娼婦宿に遊びに来たと思ったらしい。否定するのも変なので、ラウルはとりあえず頷いておいた。

「それで、何にするね?」

 どれを頼んでも不味そうな気がしたが、とりあえずパンと飲み物を注文した。

 店の中はガランとしていたが、わずかに食べ物のかおりが小さなキッチンからただよっている。棚の上に並べられた酒瓶は、いかにも安酒ばかりで、この店の客層を表していた。

「あの、もしよろしかったら、扉、直しましょうか?」

不味いパンをかじりながら、ラウルは切り出した。

「道具さえ貸してくだされば、すぐやりますよ。このままではご不便でしょう」

 迷惑そうに眉を曇らせた老婆に、あわてて修理代はとるつもりはないことを伝えると、はじめて老婆は顔を輝かせた。ラウルにしてみれば、この程度の手間など仕事のうちに入らない。老婆の目の前で、あっというまにぐら付いた蝶番の釘を打ち直した。

「上手いもんだねえ。助かったよ。あんたみたいな親切な若者、この街じゃ、そうはいないからね」

「いいえ。壊したのはこちらですから。」

 本当は最初から壊れていたのだろうけど、そのままにしておくのは気分が悪かった。

「ところで、女将さんに聞きたいことがあるんですけど」

 気を良くした老婆の機嫌を損ねないように、ラウルはおそるおそる切り出した。

「この場所に昔あった、駒屋さんのひとがどうなったかご存知ありませんか?」

「またその話かい? あんた、役人なのかい」

 調査をするために、何度も憲兵たちもやって来たに違いない。老婆の顔の笑顔が曇った。

「いえ、違います。俺、あ、僕は、妹を捜しているんです」

 とっさに、でたらめが口を突いて出た。役人に頼まれた、と言って話が聞ける感じではなかった。

「僕の父は、『駒屋』さんの常連だったそうです。それで、そこの女の人との間に女の子ができたそうなんだけど、家族を捨てるわけにいかず、それきりになってしまったそうなんです。それで、今さらですが、病の床に伏して、その子供にひと目会いたいと言い出しまして」

 ラウルは、自分でも驚くほどスラスラと嘘を並べた。老婆は何の疑いもなく聞いている。

「母は、すでに亡くなってますし、父の願いでもあります。それに、僕にとっても半分は血のつながった妹です。会ってみたいと思いまして。」

 言いながら、脳裏に、何よりも嘘が嫌いで、誰よりも母を愛していた父の苦虫を噛みつぶしたような表情が浮かんだ。

「火事で死んだのかもしれませんが、『駒屋』さんは再建されてませんから、手がかりがなくて困っていたところなんです」

 老婆はふんふんと頷いた。

「それは、たいへんだねえ。いや、最近、何とかっていう女をかくまっていないかって、代わる代わる役人やらが聞きに来て、嫌になっていたのさ」

 ずいぶん露骨な調査をしているなあと、ラウルは呆れた。そんなことでは、知っていることすら聞き出せてないに違いないと思った。

「残念だけど、「駒屋」さんはね、十年前の大火でほとんどの人間が亡くなっているんだよ。このすぐそばに、慰霊碑があるだろう。一時期はここが火元じゃないかって言われたほど、何も残ってないくらいでね。状況が状況だから、しばらくここは借り手も付かずにうっちゃられてたんだよ」

 そういえばこの一角は、柱一本、残っていなかった記憶がある。

「ほとんど、というと、助かった人もいるんですよね」

 それでも少なくともメイサは助かったのだ。他にも助かった人間がいるかもしれない。そして、彼女はその人に身を寄せているのかもしれない。

「お使いに出ていた下男がひとりと、神殿に行っていた女の子がひとり。あとはかろうじて助かったのが二、三人いたんじゃなかったかなあ」老婆は記憶をたどるように指を折った。

「そのうちのどなたかにお会いすることはできないでしょうか?」

 ラウルは老婆の思考を妨げないよう、慎重に尋ねた。

「助かった下男は、確か今は『黒猫』っていう娼婦宿で働いているよ。ゲンって名だったと思うね」

 その名前の店は、ここに来る途中で見かけた。

 老婆にお礼を言うと、老婆は、妹がみつかるといいね、と言った。

 いささか気がとがめたが、ラウルはそうですね、と頷いて、店を出た。


 激しい雨が降り続いていた。店を出て間もなく、魔道師のマントを見かけた。一瞬、もしやと思ったが、相手は男だった。遊びに来ているようには見えず、目的はラウルと同じようだ。男は、ラウルを探るように一瞥したものの、興味を失ったかのように街の角へ消えていった。

 しばらくその男が消えた方角を眺めていたが、戻ってくる様子もないのでラウルは、目的地に向かった。

 店はすぐに見つかった。

 かなり流行っているらしく、店構えは立派だ。一階が酒場で、二階にいくつかの個室がつくられている典型的な娼婦宿のようだ。さすがにまだ日が高い時間のせいか、店は準備中のようだった。扉は半開きになっており、中からは掃除をしている音がしていた。

「あの、すみません」

 思い切って、ラウルが扉を開けると、モップをかけていた男が無愛想に、まだ営業しちゃいないよ、と言った。

「いえ、こちらのゲンさんとおっしゃる方にお目にかかりたいのですが」

 ラウルは、おそるおそる口を開いた。

「ゲン、は俺だが」

男は手を止めて、顔を上げた。

「駒屋さんの事でおききしたいのです。」

 言いながら、銀貨を一枚渡した。痛い出費だが、こういう場所の人間の親切を引き出すのに必要なものだ、と、大工仲間が言っていたのを思い出す。

「十年以上前に行方不明になった、ある女性を捜しているんです。その人が駒屋に勤めていて、どうやら火事で死んだらしいのですが、そのときの様子を聞きたいと思いまして」

「詳しくはしらねえよ。俺は、その日、店にいなかったんだから。」

 ゲンは面倒臭そうな顔をしたが、手のひらの銀貨のことを思い出したようだった。

「嘘か本当かしらねえが、火竜を見たって奴もいたくらいひどかったらしいぜ。俺はちょうどラレーヌに行かされててよ。帰ったら、炭しか残ってなかったんだ。」

命拾いはしたものの、どうしたらいいかわからなかった、とゲンは首を振った。住み込みだったために、家と職をいっぺんに失くしたらしい。

「詳しいことを知りたきゃ、ロキス神殿の裏で占いしているオルビアってばーさんに聞くといい。火傷のひどいばーさまだ。すぐわかるさ。まだ死んだってきかねーしな。あと生き残っているのは魔導師に拾われてったメイサって女のガキがいるが……そいつも店にいなかったらしいからな」

「娼婦宿に女の子がいたんですか?」

 飛びついて問いただしたい気持ちをこらえて、何気なさをよそおってラウルは聞いた。

「ああ。雇われ娼婦の娘でね。その親が死んでからは店で養ってたのさ。なに、よくある話さ。ま、店としてはそういう需要があることもあってね」

 ゲンはそういってニヤニヤと笑って見せた。反吐が出そうな笑みだ。予想のつく話ではあった。しかし間違っても、この男を頼ってメイサがやってくることはないと、ラウルは確信した。

「いろいろありがとう。オルビアさんに会ってみるよ」

 形だけは丁寧に礼を言って、ラウルは外に出た。先ほど聞いた話で気分が悪かった。

 子供らしく無邪気にすごすのは、ここでは難しいことなのだ。彼女はいったいどんな少女期を送っていたのだろう。

――甘いのかな、俺は……。

 住む家もなく、ただ飢えて死んでいく子供に比べたら、それでも幸せといえるのかもしれない。

 ラウルは首を振った。収穫があったことに違いはない。オルビアという人に話を聞けば何かわかるかもしれない。そう思うと、少し気持ちが明るくなった。

 激しい雨の中、ラウルはロキス神殿の方角へむけて足を速めた。



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