エースパイロット
本国の目指す基地までは約三千キロ。
よっぽど私たちの離れ小島の基地、第二百三航空隊の整備員が優秀なのか、輸送機はなんの問題もなく飛び続けた。敵の戦闘機には行動半径があり、それに襲われる可能性も消えた。
やれやれ……と私は胸をなで下ろし、警戒を解いてみんなに食事を取らせた。
「隊長、操縦を変わります。隊長もなにか食べてください」
「俺はいい……」
「基地を出て三時間ですよ。休憩してください」
「大丈夫だよ。お前は輸送機の操縦をしたことないだろ? エースパイロット様に操縦させると、興奮して宙返りとかするかもしれないからな。俺が操縦する」
「輸送機の操縦くらいできますよォ……」
優しく声をかけてあげたのに、なんという言いぐさ。私は隊長を睨む。
「なんだ、怒ったのか?」
「いくらなんでも宙返りなんかしません。こんなので宙返りしたら、すぐに空中分解します」
「だろうな」
隊長は、それでも操縦桿を握って離さない。
操縦したけりゃ勝手にずっとしていればいい。そのうち疲れて泣きつくに決まってる。
「キュイ……お前、敵の基地上空で弾がなくなって、悔しいからそこで宙返り三回して帰ってきたって本当か?」
ふいに隊長が私に聞いた。うん、そんなこともあったかもしれない。
「……ええ。敵機を追い回しているうちに敵の基地上空に出てしまったんです。気づいたら弾切れで、せっかくここまで来たんだからと、宙返りして帰ってきました」
隊長は呆れた顔をして首を横に振った。
「どうしてそこで宙返りなんだよ? サーカスじゃないんだぜ。敵は基地から撃ってきたんだろ? バカだなー」
「それがですねえ、不思議と敵は撃ってきませんでした。おかしい……と思って、今度は高度をぎりぎりまで下げて、そこで宙返りをしたんです。でも、やっぱり敵は撃ってこないんです。へんですよね、呆れて見ていたんでしょうか?」
「あははっ、嘘だな。そんなとこで宙返りなんて」
「それが本当なんですよ」
まったくバカなことをしたものだ。敵は変な奴が来たと思って、おもいっきり引き付けて撃とうと待っていたかもしれない。あんなことをして戦死したら本当に後悔する。どうも私は興奮すると無茶してしまう。
隊長は呆れた顔でため息をした。
「ほとんど気違いだな。そこまで熱くなるのがエースの正体か? お前、隊の司令を乗せて宙返りしたんだってな。あれも本当か?」
「ああ、あれは……」
隊にシオン隊長が来る前のことだ。
パイロットは体力を使うので、他の基地隊員よりも食事が優遇されている。毎食、航空増加食という名目でチョコレートやキャラメルなどの甘味料が貰える。でも新任の司令に変わったとき「それは他の隊員と比べて不公平だから――」という理由で、増加食がカットされた。戦闘機乗りは作戦に出れば何人も死ぬ。激務であり、カロリーの高い食事を取らなければ飛べない。
そんなある日、練習機のテスト飛行をすることになった。こういう機会があると複座の練習機の余った座席に、日頃は飛ぶ機会のない基地の幹部を遊覧飛行のように乗せて飛ぶ習慣が隊にはある。私は司令を指名した。
「空の散歩に出かけませんか?」
と誘ったら、のこのこ司令はやってきた。
司令は、着なくてもいいのにわざわざ誰かから借りたらしいパイロットの制服を着込んでいる。手には写真機を握ってやる気まんまん……。そして、満面の笑みで後席に乗り込んだ。
私は笑いそうになるのを堪えた。ちょっとかわいそうだが仕方ない。
最初はゆっくり飛んで、まさに遊覧飛行という感じだった。
「それでは、試験飛行を始めます」
と、私は伝声管を通して指令に言った。
振り返って見たら、指令は笑顔でうなずかれた。
その後はもうやりたい放題。宙返りに横転、スナップロール、機体を左右に狂ったように捻りまくり、失速反転までやった。ほとんどサーカス飛行。
着陸すると、死人のような顔で司令が座席から這い出してきた。
そのあと、すぐに搭乗員の食事は元の増加食付きに戻り、司令のパイロットに対する態度も前より優しくなった。やり過ぎかもしれないが、司令にパイロットの苦労がわかってもらえて、私は満足した。
「あははっ! どうりでお前が近づくと司令が嫌な顔をするわけだ」
隊長は大声で笑った。隊長は、階級的には私よりずっと司令に近いけど、やっぱりパイロットだから私の気持ちがわかるのだ。