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h.o's.O.way  作者: 鈴木真心
Chapter 2
8/33

2─4 sideルシア

私のものにはならない。

だから私は『玩具』で我慢するしかないのだ。





――百五十年前、ラグト国中央都市ハシルス王城。



「ルシア様!」



小走りで駆けて来る女魔術師を見留めて、小さく溜め息を漏らした。

長く垂らした茶髪ブルネットが小刻みに揺れている。

形容するとしたならつぶらであろう翡翠の瞳に、私はどのように映っているのか。

考えるまでもなく、目の前まで来たその女が嬉しげに笑って見せたので、また込み上げた溜め息を何とか押し戻した。



「どうしました?」



望むままに応えてやればいい、ただそれだけだ。


人好きしそうな紳士的笑顔を貼りつければ、案の定、彼女の頬が薄らと染まった。

一瞬睫毛は伏せられ、そのまま上目遣いに変換された媚びに、吐き気がする。

誰だったか――私が思考していることすら、考え及んでさえいないだろう。



「あ、あのっ……わたくし、ミレンツィア・ドリスと申します。お、覚えておいででしょうか!?」

「……ああ、愛称はミリーだったかな」



一度講師として出席した王都専属魔術師見習いの講習で、彼女の班を担当したのだったか。

器用に高等障壁を作り出し、なかなかに素質があるように思えた彼女を誰かがそう呼んでいた。

ようやく思い至ったことは、もちろん、微塵も出さない。



「やっぱり覚えていてくださったんですね!」

「もちろんですよ」



「やっぱり」と口にする辺り、浅ましさが垣間見える。

つぶらながらも妙な自信を宿した瞳に、私の真実は映っていないのだろう。

映してやろうとも思わないが。


私の腹の中など知らぬミレンツィアは、舞い上がったのか、つらつらと楽しげに話し出していた。



「今度あの『生ける伝説』の講習会に出席出来ることになったんです!嬉しくて、ルシア様にぜひ報告をと思いまして!」



――『生ける伝説』の。


噂は裏稼業の世界のみならず表世界にまで名を馳せ、生きていて尚『伝説』と呼ばれる裏魔術師……ラジア・ゼルダ。



「ルシア様のご教授の賜物で、あの講習会以来、わたくし、ずいぶんと認められるようになったんです!やっぱりルシア様の見る目は間違いないと申しますか、ルシア様付き見習いになってはどうかというお話もありまして……」



ミレンツィアの話は、全く聞こえていなかった。

媚びた上目遣いも気にならなかった。


『生ける伝説』である裏魔術師が、この国に来る。

彼女がどういった理由でつまらない講習会などやる気になったのかは知らないが、二つ名が本当であれば、それなりに私を楽しませてくれるに違いない。

少なくとも、ここの者達よりはよほど期待出来るだろう。


私はつまらないのだ。


永きを生き、大抵のものを見て大抵のものは手に入れて、大抵の者達は私を敬い、誉めそやし、崇め、そして憧れ、女という女は隙さえあらばと媚びて来る。

それはまた、男であってもだ。

何も知らず、知ろうともせずに。

王都専属最上級魔術師の肩書きと容姿や上辺だけに騙されて。


私はくだらないのだ。

果てるはずだった時を自ら冒してしまったあの時から――全てが色褪せてしまったのだ。

白い大理石の豪奢な細工を施した王城も、発展しつつあるこの国も、美しく才溢れるミレンツィアも……私には輝いて見えない。



「講習会ですか……私も参加しましょう」

「まあ、嬉しいですわ!」



何を勘違いしたのか、また頬を染めたミレンツィアが笑った。

どうでもよく、ただ、笑みを貼りつけた。


肩書きが功を奏したのか、私の参加はあっさりと受理された。

数日後には、噂の講師との懇談会と称した立食会にまで招かれる始末だ。



「『伝説』の裏魔術師か」



今ではすっかり馴染んだ自室で革のソファに腰を沈め、知らず口元は弧を描く。


ラジア・ゼルダ――彼女はこの国の違和感に気づくだろうか。

二つ名に恥じないだけの観察眼を見せてくれるだろうか。

いや……過度な期待はやめておこう。

彼女とて人間であることは違いない。

ただ、その能力が常人のみならず魔術師としても、桁外れなだけなのだから。


たったそれだけの違いが、私達には大き過ぎる代償でもあるのだが。


それでも、私の期待は膨らむばかりだった。

口に含んだワインが、久しぶりに美味であると感じるほどに。





「ルシア様、探しましたわ!」



懇談会当日。

会場に入ってみたなら、目ざとくミレンツィアが駆け寄って来た。

ミレンツィアのみならず、すでに幾多の顔見知りかどうかさえ疑わしい者達に囲まれ、開場前だというのに、すでにうんざりせざるを得ない。



「最上級魔術師の正装がとてもお似合いですわ」

「紺色のベルベットに金糸の刺繍が髪と瞳に映えて、流石はルシア様ですわね!」

「気品が漂っていますなあ」

「いつもとそんなに変わりませんよ」



寧ろ、膝まであるジャケットが欝陶しいくらいだ。


何が「髪と瞳に映えて」だ。

黒髪短髪などそう珍しくもないし、朱瞳に限っては「血の色だ」と厭う者さえいることを知らないとでも思っているのだろうか。

女達はともかく、年配の取り巻きの男達に限っては、腹の中でどう思っているかなどわからないものだ。

つくづく、人間とは恐ろしい。


そこまで考えて鼻で笑ったところで、ようやく、開場時間になったようだ。

壇上に上がった本日の司会役が、声帯拡張術までわざわざ施行し、嘘臭い笑顔で挨拶を始める。



「本日はお忙しい中、お集まりいただき、誠にありがとうございます。では、早速ご紹介いたしましょう。今回の講習会特別講師――『生ける伝説』と謳われるこの方です!ラジア・ゼルダ殿!」



わあっと会場が沸く。

――が、



「……出て来ませんね?」



ミレンツィアが首を傾げるのも当然。

名を呼ばれたにも関わらず、ラジア・ゼルダは壇上に現れなかった。



「ゼ、ゼルダ殿……!?」



慌てふためく司会に被って、舞台袖からは何故か、揉めるような会話が途切れ途切れ聞こえてくる。

会場中ほどにいる私には、あまり聞き取れないが。



「ちょっと、呼ばれてんだから早く行きなさいよ!」

「嫌だね。だいたい何でこんな……」

「承諾したでしょー!?」

「あたしが知らないうちに、あんたが勝手に……!?」



どんっ、と押されたように、彼女はようやく登場を果たした。

空気が変わる。

わあっとまた、会場が沸く。

嫌そうに軽く会釈をしただけの彼女に、また、会場は沸いた。



「美女だと聞いていましたけれど、大したことないですわね。わたくしの方がよっぽど……ねえ、ルシア様?……ルシア様?」



ミレンツィアの言葉はやはり、私の耳を素通りしていった。


朱い髪、夜色の勝気な瞳。

どこか、孤高であり孤独が何たるかを理解しているかのような……あの、人を寄せつけない雰囲気。

私と同じ色を持ち、私以上の魔力を持つ女。



「……初めてだ」

「え?」



グラスを二つ手にした。

何か言おうとしたミレンツィアを残して、私の足は彼女へと向かっていた。

求めていた運命との出会いに、感じたことのない胸の高鳴りを感じて。



「初めまして」

「あん?」



群がる者達を堂々と蹴散らして、彼女は肉を貪り食っていた。

骨つき肉にかぶりつきながら振り向いたその夜色に、完璧な笑みを浮かべた自分が映り込む。


ぞくりと、背筋が震えた。


自分以上の魔力に対しての畏怖か、はたまた、これを情欲と呼ぶのか。

どちらも感じる環境になかったので、私にはわからなかった。

こんな状況での対面にそんなことを感じた自分に、初めて、可笑しくて笑いさえ込み上げたのだ。



「飲みませんか?ラグト産の砂漠酒はなかなかいけますよ」

「砂漠酒?」



笑ってしまっている私など気にもせず、彼女の興味はグラスの中身に釘づけになっている。

それがまた、私には嬉しかった。



「メメンテ砂漠のオアシス水を濾過ろかして、現地でしか取れないガジュの実を漬け込んだ酒です。魔術職人が造っているので、なかなかに高価だそうですよ」

「砂漠で造ってんの?」

「ええ、そうです」



ふうん、と言ってグラスを受け取った彼女は、一気にそれを飲み干す。



「美味い!おかわり!」

「お持ちしますよ、ゼルダ殿」



途端、むっとした顔が間近にあった。

襟首を掴まれたのだと認識するのに、数秒を要する。



「ラジア」

「……え?」

「ラジアでいいわ」



呼び方が気に入らなかったのか。



「……私はルシア・アズガルド。ルシア、と」



夜色の中の私は、別人のように、素直に笑っていた。


彼女との時間は驚くほど早く過ぎていった。

永く永い時に囚われ、遂には自ら飛び込んでいった私が言うのも可笑しいが、それだけは確かだった。

さして表情を変えることない彼女ではあったが、美味いものを食べ、金について語る時だけは、夜色の瞳に嬉々とした光が宿ることもわかった。


人は彼女をがめついとさえ言うだろう。

現にその要素は充分にある。

しかし、それを上回るだけの要素が、私を捉えて離さなかった。


私以上の魔力と、一切感じない媚び。

ミレンツィアは大したことがないと断言したが、私と同じ朱と黒を持つ彼女は、私の目には美しく映っていた。

興味さえないような冷めた目に、啼かせてみたいという思いさえ湧き上がってくる。


そう――啼かせてみたい、この腕の中で。


私以上の力を持つ彼女を、私の力で屈服させてみたい。



「そういえば、」



よからぬ思いを察したのかどうか、彼女はふと、口を開いた。

伸ばした手をそっと握る。



「……どうかしましたか?」

「この国、何で幻術なんか掛けてあるの?」



気づいていた。

今まで誰も気づかなかったそれに、初日から彼女は気づいていた。


ぞくぞく、と感動で肌が粟立つのを感じた。



「幻術、ですか」

「気づいてたでしょ」



冷めた目が、私を見据えていた。

その中に、打ち震える私を映して。



「これだけの大規模な幻術、施行出来るのはあんたしかいないと見たけど――違う?ルシア」



ああ、運命とは本当にあったのだ。



「ルシア……!?」

「やっと効いてきましたね」



ぐら、と傾いたその体をやんわりと受け止めて、そっと、会場を抜けた。





この屋敷を『自らの』ものだと認識するのに、どれほどの時を費やしたであろうか。

私を『ルシア・アズガルド』であると認識するのと、同等の時であったように思う。


ラジアをソファに横たえ、その両手に封魔の錠を掛けた。



「悪く思わないでください」



その言語に反応するように、ぴくりと瞼が動く。

意識はあるのか。



「眠られたかと思っていましたよ」

「ふざ……け……んな……」



盛った睡眠薬はかなりのもの。

常人ならずとも、上級魔術師であろうと、まる一日は目覚めることがない代物だというのに、やはり彼女は大したものだ。

ただ、



「それで精一杯のようですね」



おとなしく錠を掛けられた辺り、身動きは取れないらしい。

案の定、悔しげに唸った程度で、小さく溜め息を漏らしたきり、黙ってしまった。


これで彼女は私のもの。


無意識に笑みを湛えた自分が、夜色の中に映っていた。



「退屈させるつもりはありませんが、一つ、昔話をしてさしあげましょう」



ボトムを留める腰紐にするりと指を挿し込み、それをゆっくり解きながら、片手で滑らかな皮膚を楽しむ。

彼女は何も言わなかった。



「今からそう……何十年前でしたか。百年はいかない程度の昔ですよ。この国に、一人の魔術師がやって来たんです」

「……」



腰紐を解き、その指がするりと白い腹部を撫で上げる。



「その魔術師は大層な魔力を持っていたんですが、残念なことに、魔力消費型でした」

「……っ!」



胸に到達するかしないかの辺りで、華奢な体が反応を見せる。

話に反応したのか、はたまた、そこが悦ぶ場所だったのか。



「ご存知でしょう。魔力ある者は、食物摂取や休息により魔力回復をし、いつまでも若々しくいられる持続型と、使用するごとに魔力を消費し、回復することなく老いていく消費型がいます。貴女はまさに前者だ。――その魔術師は精力を吸い取ることで永らえていたんですが、自らの老化した容姿をとても憎んでいました。人の精力なぞ、吸収したところでたかが知れています。精精、保って十年程度ですからね。結局は老いてゆく」



老いには逆らえない。

人は皆、そうして死んでいく生き物だ。


耳元をなぶりそのまま舌を這わせれば、びくりと面白い反応を見せた。



「ああ、耳が善いんですね。……そうそう、魔術師の話でした。ある日その魔術師は、老いることのない容姿に発狂寸前の持続型魔術師に出会ったんです。彼の望みは、老いを恐れる魔術師とは、全く逆のものでした」



耳たぶを甘噛みし、囁くように続ける。

愛の告白ではない。



「魔術師はずっと、自らを若返らせるための研究を続けていました。そんな魔術師に、彼は言ったんです。『肉体を交換しないか』と」

「!?」



敢えて彼女の瞳は見なかった。

どんな顔をしていようと、それはきっと、私の望んだ顔ではない。



「術は施行されました。研究の成果あって、成功したんです。魔術師は彼に、彼は魔術師になったんですよ――!?」



――ドガアアン!


一瞬、何が起きたのかわからなかった。

動かそうとした右腕が反応しなかったことで、ようやく、自身が壁にのめり込んでいたことを知る。

もうもうと立ち上る煙の中、彼女は立っていた。



「……流石ですね」

「こんなもので、あたしを拘束出来るとでも?」



崩れゆく封魔の錠を一払いし、彼女の夜色が、しかと私を見留めていた。



「魔力を溜めていたわけですか」



なるほど、だから無抵抗だったと。



「答えて」



彼女の問いは、わかっていた。


私は私で在るために、自然の理を冒し、『私』で在ったことを放棄したのだ。

今の私で在るためこの国に莫大な幻術を施行し、そのために犠牲も厭わなかった。

私と『私』の関係を知る者、疑惑を持つ者、懸念する者、全ての者を礎に、この幻術は成り立っている。


私が私で在るために。



「貴方の――本当の『名』は?」

「私は――」





その『名』を知るのは、今でも、ラジアだけ。


あの時殺してくれたなら、私はもう、足掻くことさえなかっただろうか。



「あの青年を共にしたという噂を聞いた時の私の気持ちなど、永遠にわからないのでしょうね」



だからせめて、『玩具』だけでも、私の傍に。

2011年1月7日更新完了。

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