little sound ー5 years oldー
リザの過去のお話。
物心ついたとき、すでに俺は一人だった。
誰もいない世界はひたすらに広くて、そして何故か、ひたすらに小さかった。
優しくしてくれた人もいたし、優しくしてくれない人もいたけれど、どうでもいいことに思えた。
死んだって
壊れたって
朽ちたって
消えたって
誰が泣くっていうの。
何が変わるっていうの。
ただ一人俺がいなくなったって、世界は何も変わらない。
ならば何故、早く消してくれないのだろう。
それでも何故、死ぬだけの覚悟は出来ないのだろう。
盗みを働くのに、銀髪はやたらと目立った。
嘘を吐くたびに、蒼の瞳は濁った。
それでも、それでも──
「来るか?」
足掻いていた俺に差し出されたのは、白くて華奢な美しい手だった。
「さあ、いい子だ」
俺を組み敷いて、どこぞのオヤジが厭らしく笑っていた。
安宿のランプは埃塗れで薄ぼんやりと小さな部屋の輪郭を浮かび上がらせる。
未発達の体を撫で回して、ただ、薄汚い生き物が上に乗っていた。
……いつから?
……いつから、だっけ?
何が、とか、そんなことはどうでもよかった。
ただ、いつからこんなことするようになったんだっけと、ぼんやり思うだけだった。
するすると這い回る無骨な手に、何の感情も抱かない。
それ自体どうかしているという事実にさえ、気づかない自分がいた。
貪りついてくるがさがさとした唇に、少し身を捩っただけだ。
そんなことより、一時でも暖を取ることが出来たことが嬉しい。
本来の使用方法を無視した行為も慣れてしまえば大したことはないし、我慢すれば一瞬のことだ。
男というのはおかしなもので、幼児趣味やいたぶるのが趣味な輩もいる。
要は自分より非力であり、突っ込む穴さえあればいいらしい。
女にも似たような輩はいたけれど、より確実に日銭を稼ぐには男の方が引っ掛けやすく都合がよかった。
「ほらよ」
床に投げられた銅貨を四枚拾って、ときには銀貨や金貨を拾って、オヤジの顔を見ることなく、黒く染まった世界に出て行く。
すでに日常となった生き方を良しとは思わずとも、生き抜くことに精一杯だった──生きたいと強く思ったわけでもないのに。
ちらちらとした街灯だけが点々とする街中を一人きりで歩く。
「……寒い、なあ」
はあっと吐き出す息は白くて、何で生きてるんだろうと思った。
それでも死ぬだけの勇気はなくて、生きるために身を売った。
盗みもすれば、物乞いもする。
ほんの少し憐れみを誘うよう目を伏せ、数回睫毛を震わせてから上目遣いに、伺うよう相手を見詰めればいいだけだ。
そこに罪悪感はなく、ただ、自分の容姿は絶大な効果を発揮するという事実があるだけだ。
何で生きてるんだろう。
何で生まれたんだろう。
何で死ねないんだろう──何で、死にたくはないんだろう。
適当な路地裏で丸まって、何となく空を見上げる。
「……月が、朱い……」
普段は銀色で、俺と同じ色をしてるのに。
だから、嫌いなのに。
「ふふっ……朱いのもあるんだ」
神様なんていない、それだけは知っている。
太陽も月にも祈りを捧げたりはしないけれど、こんな色は悪くない気がした。
建物と建物の間で長方形に切り取られた夜空に浮かぶそれが、ただ優しく、皮肉にも強かであろう俺を照らしていた。