3─1 sideラジア
リザが怒った。
珍しいこともあるものだと、あたしは暢気に構えている。
手離すいい機会かもしれない。
生きて行くために必要なことは、だいたい教えた。
剣術も仕込んだし、腕は一流なのだから、高給取りの傭兵にでもなれるし、それならそれで一人で充分──あるいは誰かを伴ったとしても、やはり充分事足りるだけは稼げる。
容姿だって、それはもう見事に、あたしの予想以上に綺麗な美青年に育ったのだ。
囲われることをよしとするなら、そんな生き方だってリザには可能だろう。
そう、これは確かないい機会。
リザが親離れを──叶うことない幻想から引き離すための。
ことの発端は余りにもくだらないことだったけれど。
「ラジアちゃん、酔ってない?」
「んー」
「どっち?」
「んー気持ちいい」
多分、あたしは酔っている。
頭がふわふわして、最高に気分がいい。
今日もポーカーと麻雀でしっかり稼いだ。
最高級の宿取っちゃったし、一人部屋だし、ベッド広いし。
そんなことを考えていたら、うっかり躓いた。
「おっ?」
「あっ」
「えっ?」
一人分、声が多いなーなんて考えていて。
次の瞬間、向かいから歩いて来た人になだれ込んでいた。
その時、ばっちり唇を奪ってしまった。
「あ、すみません」
「い、いやっ、あのっ……こっこちらこそっ!」
そのままの態勢で謝った。
相手の見知らぬ彼はそれはもう動揺していて、見るからに若そうなぶん、初めてだったら悪かったななどと、どうでもいい罪悪感が少しだけ胸を掠める。
あたしは特別何とも思わず、思ったのはそれくらいだった。
が、凄い勢いで引き剥がされる。
振り向けば、何とも言えない壮絶な笑みを浮かべたリザがあたしを抱きかかえていた。
その視線の先の見知らぬ彼が、これでもかと目を見開いていたのが……ちょっとおかしくて噴いたけれど。
そうしたなら何故か、今度はリザに睨まれた。
そうして無言でそのまま宿に運ばれ、部屋に軟禁され今に至るわけだ。
何かあたしに落ち度があっただろうか。
いや、ない。
ただ、あの時の笑顔は、とにかくすこぶるに壮絶なものだった。
それだけはわかる。
煙草をふかしながら、ベッドに寝転ぶ。
そして、考えた。
今夜の部屋は別々。
幸いにも、リザは怒っているようで、あたしの部屋に来ない。
……思い当たる節はないが。
ないが、離れるいい機会ではないだろうか。
お金はリザに預けてあるので、当分、困ることはないと思う。
あたしはまた賭け事なり本職なりで、稼げばいいだけの話だ。
このまま。
このまま、あたしがいなくなれば。
いつまでも、今のままでいいはずはない。
リザには限られた時間を穏やかに、緩やかに。
そう生きて欲しいと、あたしは願っている。
わざわざいつか来る避けられない別れをあたしと経験する必要はないし、それにリザが付き合う必要だってない。
──魔力を持つ者とそうでない者の別れは、それこそ壮絶なのだから。
あたしは立ち上がり、支度をすると部屋を出た。
静かにドアを閉め、物音を立てないように歩みを進める。
深夜の廊下は薄暗かった。
また躓いたりしては元も子もないので、暗視可能な魔術を目元に施行することも忘れない。
「……これ、使うのすごい久しぶりだな」
リザを拾うずいぶん前に、暗殺を請け負って以来だったなと、苦笑を滲ませた。
そんな大層な任務でも依頼でもない。
ただ、一人の青年からそっと離れるだけのことなのに。
リザの部屋の前で、一度足を止める。
起きてはいないだろう。
夜中もいいところだ。
小さく溜め息を零して、笑った。
少しだけ、寂しさが胸を掠めた。
けれど、気づかない振りは得意だ。
「……じゃあね」
呟いて、歩き出そうとしたその時。
「じゃあねって、何」
思わず目を見開いた。
──驚いた。
ドア越しに、リザの言葉が響いたのだ。
がちゃっとドアが開いたかと思うと、物凄い勢いで部屋に連れ込まれる。
何。
何で起きてるの。
腕を掴まれたまま引きずられるように、あたしはベッドに押し倒された。
「どこ行くつもりだったの」
あたしは答えない。
「どこに行くつもりだったの」
いつものリザでじゃなかった。
腕を押さえる手に、力が籠っている。
あたしは、あたしを見詰めているだろうその蒼を見ることが出来なかった。
「……置いて行くつもり、だった、の?」
そう。
「……俺を、置いて?」
そうだよ。
「……何で?」
だって。
「……何で!?」
だって。
だって──何?
あたしは、わからなくなってしまった。
「リザ、聞いて」
「聞かない、絶対に聞かない」
ぬるま湯に浸かり過ぎて。
「……リザ」
「聞かない!」
見上げた蒼が泣き出しそうで。
「……リザ」
「聞かないから!聞かない……絶対……」
「リザ」
「……絶対……いやだよ、ラジアちゃん……」
何度か呼べば、切なそうに、泣き出しそうに笑うから。
どうして泣き出しそうなのに笑うんだろう。
どうしてあたしの名前を呼んで笑うんだろう。
押し倒した腕はいつの間にかすっかり青年のもので、強く強く、あたしをベッドへ──リザへと繋ぎ止めようとする。
それがあまりにも力強いから、あまりにも、あたしを求めているようだから──あたしは、何が正しいのかが、わからなくなってしまった。