Witch of Gloden.7 sideロイズ
報告書を読んだディノ様は、何とも言えない渋い顔をしていた。
「つまり、ルシア一人で魔女を退治したってことか」
「はい、返り血さえ浴びておられませんでした」
「そうか」
ディノ様は、わたしが退室するまでずっと、その表情のままだった。
最上階の総括執務室から真っ直ぐ、一階の中庭へと足を運ぶ。
整えられた緑はバランスよく配置され、幾つか置かれたベンチで歓談する人々も見える。
雨が降ろうが例え槍が降ろうが、防御壁に囲まれたここは、いつだって憩いの場だ。
ここは箱庭──常に守られ、笑みの絶えることない王城を作るための。
ふと考える。
箱庭はここだけだろうかと。
現在のラグト国の基礎を作り上げたのは、総括であるディノ様だと言う。
それに賛同し一手を担ったのが、最上級魔術師の地位にあるバーベナ様、ラキューシア様、貴族でもあるルシア様の四方であり、その功績を讃えた上で現在の地位にいらっしゃる。
そう伝えられているし、当時から国王は魔力持ちではなかったため、真実を知る者は、この国にはいない。
実質、最長齢である彼等が何をし、何を考えてこの国をこうしたのか……もちろんわたしに知る由はない。
この国は守られている。
何に、と言えばわからないけれど、何かから守られているのは確かだった。
国土全体がと言うより、中央都市ハシルスがだ。
守られているのか、はたまた、隠滅すべき何かがあるのか──わからないわたしには、結局、何とも言えないのだけれど。
「ディノ様は隠し事が下手過ぎます」
ディノ様もバーベナ様もラキューシア様も、ことあるごとにルシア様を気に掛ける。
それを周囲は『それだけ認められている者』であると好意的に捉えるけれど、わたしはそれだけではないように思う。
事実としてルシア様の実力は屈指のものであるし、人柄も紳士的ではあるが……あの方は、捉えどころがないのだ。
「こういうのは、あまり好きじゃないんだけどね……」
はあ、と溜め息を零し、四角くくり抜かれた青空を見上げた。
わたしはわたしでいたい。
けれど、わたしがわたしである限り、切っても切れない特殊能力が時折行く手を阻む。
同じように──ルシア様にも、そんなことがあるのだろうか。
やはりそれは、わたしの知る由もないことには違いないけれど。
執務室に戻れば、我が上官ミレンツィア様はご立腹だった。
「……何故、こんなに遅いんですの」
「あ、ええっと……も、申し訳ございません!」
「……」
報告に行ってからゆうに二時間は経っており、つぶらな翡翠色の瞳は剣呑だった。
「……もういいですわ、下がって」
「は、はい」
すごすごと退室するしか術のないわたしは、それでも、少しだけ気分が軽い。
ドアを開けたところで、「……ロイズ」と声が掛かった。
それだけで弾む胸を、どうして止められようか。
それだけで笑みを浮かべてしまうわたしを、誰が責められようか。
「は、はいっ!」
「……声が大き過ぎますわ」
「あ、は、はい……」
いつだってわたしは、何十と歳下な筈の彼女には逆らえず、極度の緊張からか口調は常に吃りがちだ。
「……」
呼び止めたミレンツィア様は無言だった。
何かを思案するように、難しい顔をしてわたしを見詰めている。
やはり役立たずだと思われてしまったのだろうか。
沈黙は重く、それ故に胸を締めつける。
グレーデンの魔女についてはルシア様が片をつけたが、わたしとミレンツィア様の主従関係において、それは未だに保留のままだ。
「……本当に……」
「え、はい?」
小さく呟かれたそれを聞き取ることが出来ず、少し身を乗り出して首を傾げた。
明らかにむっとした表情を浮かべたミレンツィア様はすぐ、取り繕うように大きく息を吐く。
「……本当に貴方、特殊能力者なんですの?」
その唇から紡がれた言葉は、ただただ、わたしには重かった。
「……はい」
小さく小さく、肯定をする。
わたしが特殊能力者でなければ、こんなに萎縮することはなかっただろうか。
わたしが特殊能力者でなければ、違う関係が築けていただろうか。
わたしが特殊能力者でなければ、こんなことにはならなかっただろうか。
無意味なことばかりが頭を駆け巡り、落胆の色は隠せなかった。
いや……そもそもが、彼女に隠し事など最初から出来なかったに違いない。
今回露見しなかったとしても、いつかはこうなっていただろう。
一瞬、事の発端だとも思えるゾルゲに心中恨み言を漏らしそうになったが、彼は彼なりにわたしを心配してくれてのことだったのだと、何とか、自分の中で消化を図った。
そしてまた、小さな唇が開かれる。
「役に立つのでしょうね」
「……は、い?」
一瞬、何を言われているのかがわからなかった。
「『はい?』じゃありませんわ。その能力、どんなものかは知りませんけれど、わたくしの役に立つのでしょうね」
「もっ……もちろんです!」
拒絶されないのなら、傍に置いてくれるのなら、その視界の端にでも映ることを許されるなら、わたしはきっと、この特殊能力をミレンツィア様のために役立たせてみせよう。
ミレンツィア様が細く息を吐く。
軽く肩を落としたのは、諦めたのか認めてくださったからか。
「……これからもしっかりと、わたくしに努めるようお願いしますわ」
「はっ……はいっ!」
真っ直ぐにわたしを見た翡翠の瞳には、満面笑顔の、それでいて酷く泣きそうな顔をしたわたしが映っていた。
──そうして時は経ち百四十七年後、実力を認められたミレンツィア様は、ラグト国第一王女アリア・リタリナ・ラグトリア様付き魔術師となられる。
ミレンツィア様は少しずつ、しかし、確実に変わられようとしていた。
パピロの街でルシア様に言われたことについて、ご自分の中でいろいろと思案されたのだろう。
物腰が幾分か柔らかくなり、他人に対する高圧的な態度もだいぶ改善されようとしていた。
変わらずその瞳が常に追い続けるのはルシア様であったけれど、ただ傍に置いていただけるだけで、わたしはしあわせだった。
わたしは、わたしだけは、しあわせだったのだ。
アリア様がお産まれになられて、美しく成長するにつれ、何かが歪んでいくことに気づいた。
それは、王妃を亡くした国王の歪んだ情愛。
ルシア様のアリア様を見る朱き瞳。
何故か──後者において、その答えをまだ、わたしは持っていなかった。
それからまた三年後の──そう、あの邂逅までは。
「……ラジア……ゼルダ──?」
ぽってりとした肉欲的な薔薇色の唇から零れたのは、彼の『伝説』と呼ばれる裏魔術師の名前。
彼女自身に覚えはない様子だったが、ルシア様と噂の立った裏魔術師をミレンツィア様が忘れる筈がない。
そして、わたしは気づいてしまった。
見たことがなかった『伝説』の彼女は、色彩と雰囲気こそ違えど──。
あの講習会にわたしは参加しなかったが、それを後悔することになろうとは。
ばらばらと大勢の兵士達がアリア様を含めた三人を囲むがしかし、黒髪の青年の背後はがら空きだった。
無駄足だったな、と密かに落胆し、アリア様が連れ去られるとして、その後の足取りを冷静に分析する。
「逃がさなくてよ、ラジア・ゼルダ」
「……会ったことあった?」
明らかに憎悪の色を浮かべたミレンツィア様に対し、ラジア・ゼルダは全く覚えがないようだったが、それがまたミレンツィア様の自尊心を傷つけたことは言うまでもない。
案の定、黒髪の青年はアリア様を抱え、ひらりと塔から飛び降りた。
「き、きゃああああ──むぐっ」
「ア、アリア様!」
アリア様の叫びを追うように、ミレンツィア様の声が響く。
「お、追え!賊を逃がすな!アリア様を奪還せよ!」
ミレンツィア様の怒声と追って放たれた無数の火炎系魔術矢をひらりひらりと事もなく避けては遠ざかる後ろ姿を見詰めながら、「ああ……」と小さく声を零した。
「ラジア・ゼルダ──貴女の所為で、ルシア様は……!」
きっとミレンツィア様も、二人が並んだ姿を見て、ようやく気づいたのかもしれない。
以後、アリア様が発見されることはなかった。
国王は新しい若き側室を次から次へと後宮に迎え、狂ったように肉欲に溺れている。
政はほとんど放置され、魔術師総括のディノ様と宰相が中心となり、何とか国政を仕切っているのが現状だ。
ルシア様は相変わらず、紳士的であったが、ディノ様は僅かな異変に気づいていたかもしれない。
一度、総括執務室を訪れた際に、ドア越しに責め立てるディノ様の声を耳にした。
防音壁さえ張らずにいたところを見ると、相当我を忘れていらしたのだろう。
「この国も終わりですね」
ルシア様の嘲笑うような言葉が、印象的だった。
「ああ……」
そっとそこを後にしたわたしがどうしたのかを、はっきりとは覚えていない。
気づけばいつも通りにミレンツィア様の執務室前にいて、与えられた補佐官室のデスクで、ぼんやりと視線を落としていた。
「ロイズ」
はっと我に返ったのは時間にしてどれほどだったか。
目の前には、我が上官であるミレンツィア様がいた。
「な、何でしょうか」
ミレンツィア様が自らわたしの前に立つなど、仕えて以来、初めてのことだった。
「貴方はわかっているかもしれませんが……この国はもう終わりですわ」
この国は終わる。
ルシア様も仰っていたが……残念ながら、わたしも同意せざるを得ない。
ラグト国自体は続くかもしれないが、反乱が起きるのは必至だろう。
現国王はもう使いものにはならない。
ミレンツィア様は真っ直ぐに、立ち上がったわたしの瞳を射抜いて言った。
「いつかの言葉を覚えていて?」
忘れない、忘れてはならない。
例えそれが、茨の道であろうとも。
「……これからもしっかりと、わたくしに努めるようお願いしますわ」
歪んでしまったのは何か──何故か。
誰かを愛しく思う気持ちは、何故、美しく棘があるのだろう。
「何があろうと、わたしはミレンツィア様のお傍に」
微笑んだわたしの瞳に映ったのは、泣きそうで、それでいて憎悪を滾らせた一人の女だったと言うのに。
わたしはわたしである限り、ミレンツィア様を捨て置くことなど出来ない。
茨の道の先は、果たして天国か地獄か。
貴女となら、どこまでも堕ちて行こうと、出会ったときから決めていたのだから。
Extra Chapter 1『Witch of Gloden』完結。