2─6 sideラジア
あたし達は城内にある一つの塔の屋根にいた。
「ねえラジアちゃん、俺達、迷ったよね?」
答えなかった。
答えたくないし認めたくない事実の前に、ただ、無情にも風がひゅう、と小さく鳴いて通り過ぎる。
微かな風に髪を揺らされながら、あたしは考えていた。
さて、どうするか。
「地図があればねー」
「あんたが落としたんでしょ」
「ちょっとぼんやりしちゃった。ごめんね」
リザが暢気に、にこっと笑う。
絶対悪いと思っていない。
何をどうして人は『絶対』とするのか──そう、何をどうして、あたしはこいつに地図を預けてしまったのか。
「血迷ってたとしか思えない」
リザを拾った時点で、それはすでに時遅しであろうが。
「ごめんね、ラジアちゃん」
「本当にね」
間髪入れずに返したなら、流石に少し、しゅんとしたらしい。
城内は、予想以上に広かった。
税金を無駄遣いしてるとしか思えない。
人間はこういう権力誇示が好きだな。
顔をしかめて、広大な敷地と豪奢な建物達を見下ろした。
あたしにはわからない。
あたしは人であって、既に人ではない存在だから。
どんなに豪華絢爛なものを建てようと、いつかそれは塵となる。
真の『永遠』は存在しない。
わかっていて尚それに縋るのは、愚か者のすることだ。
「愚か者、ねえ……」
「ルシアのこと?」
今度は間髪入れずにリザが呟きを拾った。
何あんた、あいつをそういう目で見てたわけ?
確かに間違いじゃないかもしれない。
ただ、ルシアをそう呼ぶならば──いや、やめておこう。
ビーチェの説明を思い出す。
三角形の屋根。
白い煉瓦。
さほど大きくないバルコニー。
そして、歌。
曖昧な説明だな。
「あんたが責任持って探しなさい」
リザに向かって、ぱちんと指を鳴らす。
目を瞑り、リザは耳を澄ませた。
「……あ」
「聴こえた?」
「うん、あっち」
ばったり魔術が効いたらしいリザが、右前方を指差した。
リザは直感が鋭い。
第六感と呼ばれるものや特別な能力は無いが、五感に関しては能力者並みのレベルだ。
いや、それ以上かもしれない。
簡単な魔術を掛けてやるだけで、期待以上の力を発揮する。
魔術師っていうのは魔力を持つだけあって、皆大体、それに頼りがちだ。
あたしも例に漏れないので、リザがいると、何かと便利で助かる。
「誉めてー」
「何で」
あんたの所為でしょ、あんたの。
「だって誉めて欲しい」
「……はいはい。よく出来ました」
柔らかい銀糸を撫でてやると、リザは嬉しそうに目を細めた。
幾つになっても変わらないな。
そう思った。
リザの言葉を思い出す。
そういう意味だろうか。
あたしは苦笑した。
変わらないものを求めてどうする。
変わらないのは、あたしだけでいい。
あたしはその夢を叶えない。
『永遠』は、ない。
「行くよ」
リザに一瞥くれて、あたし達は屋根伝いにその方向を目指した。
そして、誘導しながら先を行くリザを眺めて、ふと思う。
「目立つな」
「?何が?」
「あんたの髪」
月の光を受けてきらきらと、やたら光を振り撒いている。
隠密行動にその自己主張はない。
普段はその目立つ容姿で切り抜けられる事柄も多々あるが、今は余計な色と代物に過ぎなかった。
指を鳴らせば、眩いばかりの銀色は黒へと色を変える。
「わ、すごーい」
何故か嬉しそうにはしゃぐリザを促して、あたし達は目的地へと急いだ。
目的地を何とか探し出し、いざ突入しようとすれば、何やら中では揉めていた。
歌っていたかと思えば揉めていたりと、お姫様は多忙な様だ。
馬鹿らしい。
「何?」
窓越しに覗き込んでみる。
あたしの肩越しに、リザもひょこっと顔を出した。
「お父様、お止め下さいっ!」
「アリア、私は……っ!私にはお前しかいないのだよ!さあ、今度は私の腕の中で歌っておくれ!」
「嫌!」
──ぱしんっ。
何とお約束な。
お父様ってことは、この国の王だろう。
私の腕の中で歌ってくれとは、反吐が出る。
もっと他にやるべきことがあるだろうに。
「お姫様って養女なの?」
「実の娘。ルシアと同等の変態だな」
「お姫様、泣いてるよ」
リザはそう言って、あたしの頬に軽く口づけた。
何でこの場面でそうなる。
「話聞いてた?」
「俺はラジアちゃんを泣かせないっていう約束」
にこっと笑ったリザの、見慣れない黒髪が揺れる。
眩しくもないのに、目を細めたあたしがいた。
「……あ、そ」
誰もいなくなった部屋に、アリア姫の泣き声だけが微かに響く。
「……ルシア様……わたくしを助けて……っ!」
なるほど。
よくはわからないが、だいたい予想はつく。
そういう台詞を思わず口走るような、そういう顔見知りなわけか。
「連れて行ってあげようか」
『永遠に』だけれど。
窓から侵入しながら、あたしは声を掛けた。
驚きに目を見開いて、アリア姫は、ただ、あたしを見ている。
「……どうする?」
「……何故?」
「それが仕事だから」
「貴女は……」
「それは答える必要がない」
沈黙が流れた。
湛えた紫瞳が微かに揺れる。
似ている様で似ていないと、あたしは思った。
「……連れて行って」
「もっと辛いことになっても?」
何が彼女にとって辛いことなのか、何て、わからないけれど。
ルシアの本当の目的なんて、わからないけれど。
彼女があたしに似ているということが、偶然とは思えなかったから──言わなくてもいいことを敢えて、口にした。
「あいつの元へ行けば──『永遠』に帰っては来れないけど」
「……それでも」
金髪を微かに揺らせてあたしを見据えたその紫瞳は、女の瞳をしていた。
彼女はそれを選択した。
真の『永遠』なんてない。
けれど、偽りの『永遠』は、思うよりたくさん存在し、不確定な要素を孕んで、口を開けているものなのだ──。
「じゃあ行くよ。この黒髪が、貴女を抱えるから」
「失礼するね」
リザは笑顔で──アリア姫を担ぎ上げた。
「ぶ、無礼者!」
まあ、そうなるだろう。
真っ赤になってそう叫んだアリア姫としては、華麗に優雅にお姫様抱っこを思い浮かべていたに違いない。
あたしだってまさか、そんな米俵をひょいと担ぐような抱き上げ方をするとは思わなかった。
リザの外見からも、想像出来ない扱われ方だったとは思う。
思うが、合理的ではある。
憤慨しているアリア姫に、リザはにこりと、場違いなほどの笑みで答えた。
「だってほら、追っ手が来てるから戦わないといけないかもしれないし」
追っ手?
と、あたしが首を傾げたなら、ようやくその耳にも階段を駆け上がる音が聞こえた。
「ああ、あんたの耳、まだ術を掛けたままだったっけ」
「お姫様が叫ぶからだよ」
「だって……っ!」
「うるさいなあ」
にこりとまた同じ笑みで、しかし、冷ややかに向けられたリザの蒼い瞳に、ようやくアリア姫はその口を引き結んだ。
ばたん!と勢いよく扉が開く。
「アリア様!」
飛び込んで来たのは、見知らぬ魔術師の女とその他大勢。
「ミレンツィア!」
アリア姫が叫ぶ。
その姿はさながら、連れ去られる人質と映ったことだろう。
「わたくしは行きます!」くらい言って退ける気概を見せて欲しいものだ。
が、ミレンツィアと呼ばれた王城専属魔術師は、彼女を見てはいなかった。
「……ラジア……ゼルダ──?」
ぽってりとした肉欲的な薔薇色の唇から零れたのは、あたしの名前だったのだから。
さて、あたしはこの魔術師と面識があっただろうか。
覚えはないが、残念なことに、あたしはそれなりに業界では有名だそうなので、知っていても不思議はないけれど。
ばらばらとその他大勢の王城お抱え兵士達が、じりじりと、しかし、それなりに素早くあたし達三人を囲い込む。
──リザの背後以外を。
「逃がさなくてよ、ラジア・ゼルダ」
「……会ったことあった?」
明らかに浮かぶ憎悪の色に、思わずそう投げ掛けた。
のが、そもそもの失敗か。
長くなりそうな予感がして、ちらとリザに目配せをする。
小さく頷いたリザは、背後の窓から、ひらりと、前触れなくアリア姫を抱えて飛び降りた。
「き、きゃああああ──むぐっ」
「ア、アリア様!」
急な展開についていけなかったのか、しばし固まる王城お抱え兵士達とミレンツィア。
「あんた達、そんなんじゃまだまだだな」
ふんと鼻で笑って、あたしも続いて脱出した。
「お、追え!賊を逃がすな!アリア様を奪還せよ!」
背後の塔から聞こえたミレンツィアの怒声と、追って放たれた火炎系魔術の無数の矢を避けながら、ひたすらに屋根を走る。
「気絶させたの?」
「だってうるさかったんだもん」
追いついて隣を走るリザは、またも邪気のない笑みで、どうでもよさげにそう言った。
「ラジア・ゼルダ──貴女の所為で、ルシア様は……!」
──すっかりあたし達を見失った後、ミレンツィアが、美しい顔に憎悪を滾らせそう呟いていたことをあたしは知らない。
カツカツと靴音が響く階段を降りて、地下室のドアの前に、あたし達は立っていた。
あの後、アリア姫を抱えたリザと共に城を抜け出して、今、ルシアの屋敷にいる。
リザの髪は、すでに銀色に戻していた。
ドアがゆっくりと開かれる。
錆びた音の後に現れた光景に、アリア姫は呆然と目を見開いた。
あたしはただ、嫌悪感に顔をしかめるだけ。
「……そん、な……」
呟きを零して、あたしを見るアリア姫。
「言ったはず」
あたしは非情に言い放った。
そう、言ったはず。
それでもと答えたのは、貴女。
「『時間』は?」
ルシアに言われ、あたしは一粒の錠剤を差し出す。
立ち尽くす彼女の背を優しく押しながら、ドアが閉まる瞬間、ルシアがあたしを見た。
「私は手に入れましたよ」
一言だけ呟いて笑むと、ドアは閉められた。
ルシアは手に入れた。
何を?
『玩具』を?
しあわせを?
偽りの『永遠』を?
あたしは、リザがそっと握ったあたしの手を、握り返すことしか出来なかった。
──『永遠』なんて、ない。