見る目 :約4000文字 :コメディー
とある会社の一室。そう広くはなく、窓はブラインドが下ろされ、外の景色も陽射しもほとんど遮られていた。
天井の蛍光灯だけが、机や椅子、そしてそこに座る者たちに均一な白い光を降らせている。窓際には観葉植物が置かれているものの、室内には重苦しい緊張が漂っていた。
それもそのはず、今日ここでは採用面接が行われていた。面接官は二人。部長とその部下である。二人は並んでパイプ椅子に腰を下ろし、折り畳みの長机の上で手を組みながら、向かいに座る就職希望者と会話していた。
就職希望者の彼もまた、机を挟んで二人から少し距離を空けて置かれた簡素なパイプ椅子に腰掛けていた。
背筋はまっすぐに伸び、質問を受けるたびに明るい声ではきはきと答える。表情には多少の緊張が見られたが、ここまでの受け答えを見る限り、面接は滞りなく進んでいる――ように見えた。
「ははは、なるほど。いやあ、いいね。爽やかな感じで」
部下は手元の履歴書の端に触れながら、笑顔でそう言った。部長もうんうんと頷いた。
「あはは! ありがとうございます!」
「ちなみに……今日、ここへは車で?」
「はい! 運転が大好きなので!」
「いいねえ。うちの仕事では社用車を使ってもらうこともあるし、運転が好きなのはいいことだね。ただ、仕事で使う以上、何より安全運転が大事だからね」
「ええ、それはもちろんです! 安全第一を心がけています!」
彼は胸を張って答えた。三人はそろって笑い、和やかな空気が室内に広がった。ところが、部下はふいに視線を落とし、すっと笑みを消した。
「実はね……」
部下は机の上に両手を置き、彼の顔をじっと見据えた。
「僕も今日、ここへは車で来たんだよ。でもね、道中で前を走っていた車がひどい煽り運転をしてきてね。左右にふらふらと蛇行したかと思えば、何の前触れもなく急ブレーキを踏む。それも一度や二度じゃなく、何度も繰り返してきてねえ」
「へ、へー……」
「いや、本当に肝が冷えたよ。あと少しで追突するところだったからね。十分に距離を取って、なんとか走り続けて、やれやれようやく無事に会社に着きそうだぞ、と思ったら……なんとその車、うちの駐車場に入っていくじゃないか」
「えっ……」
「離れた場所に車を停めて、降りてきた運転手の顔をよおく見させてもらったよ。まさかと思ったら、意気揚々とこの会社に入っていってねえ」
「あ、あの……」
「車のナンバーは……言うまでもないかな」
「そ、その……」
彼は視線を泳がせ、口をもごもごと動かすばかりだった。さっきまでの自信に満ちた態度は見る影もない。その様子を見て、部下はふっと笑った。
「お疲れさまでした、と。部長、面接はもう十分ですよね?」
部下は椅子の背にもたれ、勝ち誇ったような表情で部長のほうを向いた。
部長は小さくうなずいた――と、そのときだった。コンコン、と控えめなノックの音が室内に響いた。
三人の視線は一斉にドアへ向き、部長は眉をひそめながら「はい」と短く応じた。
「ちょっといいかな」
「え、あなたは……」
「会長!」
二人は弾かれたように立ち上がった。部屋に入ってきたのは、この会社の会長だった。豊かな白髪に柔和な笑みを湛えた、気品ある老人である。
会長はうろたえる二人を軽く手で制し、彼のもとに歩み寄った。
彼は椅子に座ったまま、呆然とした表情で会長を見上げている。
「一言礼を言いたくてね。実は今朝、彼に助けられたんだ」
「えっ!」「えっ!」
部長と部下の声がぴたりと重なった。
「ここで面接があると聞いてね、つい顔を出してしまったよ。いやあ、実にいい目をしている。曇りがなく、優しさに満ちた目だ。なあ!」
「え、は、はい……」
「ええ、それはもう、私どもも先ほどからそう感じておりました」
「我が身を顧みずに人を助ける……。実に素晴らしい。彼のような若者が入ってくれれば、この会社も安泰だ。なあ、そう思うだろう?」
「え、ええ……」
「おっしゃるとおりでございます」
「予感がするよ。彼はこの会社を変える、とね。長年の経験で培われた私の勘がそう告げているんだ……いや、もっと強い何かを感じる。これは天啓かな。天啓なのか……?」
「それはちょっとわかりかねますけど……」
「現人神様……」
「おっと、すまなかったね。まだ面接の途中だったか。では、私はもう行くから続けてくれたまえ。……彼のこと、よろしく頼むよ。はははは!」
「は、はい」
会長は満足げに笑いながら部屋を後にした。笑い声が廊下の向こうへ遠ざかっていき、やがて完全に聞こえなくなると、二人は同時にゆっくりと椅子に腰を下ろした。
しばしの静寂が流れた。やがて部下は無言のまま部長を見やった。
部長は小さく咳払いをして居住まいを正し、口を開いた。
「……えー、ご趣味は?」
「サーフィンを少々」
「いいねえ! いやあ、これはもう決まりかな」
「いや、部長……」
「サーフィンって響きがいいよねえ。とくに『フィン』ってところが、もう最高」
「部長」
「私は子供の頃、よく父と海釣りに行っていたんだよ。沖のほうでサーフィンをしている人たちがいてねえ。おお、フィンしてるなあと思ったものだよ。はははは!」
「部長!」
「うん?」
「いや、駄目でしょ。あいつ、めちゃくちゃ煽り運転してきたんですよ」
部下は部長に身を寄せ、口元を手で覆って囁いた。部長も身をかがめ、同じく声を潜めて応じる。
「それは君、面接に遅れそうで急いでいたんだよ。ほら、何しろ会長をお助けしていたんだからね」
「それなら急ブレーキを繰り返したりしないでしょう。むしろこっちが遅刻するかと思いましたよ」
「それは君が時間に余裕を持って家を出なかったからだろう。自分の怠慢を人のせいにしてはいけないよ」
「ええ……?」
部下は返す言葉を失い、思わず間の抜けた声を漏らした。部長は部下のそんな様子を気に留めることもなく顔を上げると、素早く笑顔を作った。
「えー、それで好きな食べ物は?」
「カレーライスです!」
「ほー、センスがいいねえ! いや、驚いた。ここでカレーと答えられる人はなかなかいないよ、うん」
「いや、部長。まさか彼を採用するつもりですか……?」
部下は再び声を潜めて言った。
「当たり前だろう。会長のお墨付きなんだぞ」
「いや、いやいやいや……絶対に駄目でしょう。さっきの僕の話、ちゃんと聞いてました? あいつ、煽り運転をしてきたんですよ。しかも、よりによって面接当日に。絶対、初犯じゃないですよ」
「じゃあ聞くが、会長になんて説明するんだ! 『彼のこと、よろしく頼むよ』だぞ。不採用でしたなんて報告できるわけないだろう……!」
「それはそうですけど……でも、煽り運転をするような人間ですし、事情をきちんと説明すれば会長だってわかってくださるんじゃないですか」
「馬鹿を言うな。それでは『会長の目は節穴でした』と言っているようなものだろうが! 予感がする……だとよ!」
「ちょっといじってません?」
「あのー! どうかしましたかー!」
彼が大声で呼びかけた。部長は慌てて顔を上げ、満面の笑みを浮かべた。
「はい、ただいま! えー、好きな動物は!」
「バッファローです!」
「いや、あいつ足組みましたよ。採用を確信して態度がでかくなってるじゃないですか!」
「うるさいよ! だいたい君、あれだろう。クラクションを鳴らしたりしたんじゃないのか?」
「はあ? いや、そりゃ一度は鳴らしましたけど、でもそれは向こうが急に割り込んできたからであって、むしろあっちがやたらと鳴らしてきましたよ」
「あのー! 続きは!」
「ほら、足をぷらぷらさせてるじゃないですか。完全に舐めてますよ。あんなやつ、絶対に採用しちゃ駄目ですって」
「はいはい、ただいま! えー、好きな犬種は!」
「ピットブルです!」
「ほら!」
「何が『ほら』なんだ。いいからもう黙ってなさい!」
「でも、煽り運転ですよ! 社用車でやらかしたら大問題になりますよ」
「彼だって、それくらいの分別はあるだろう」
「面接の日に煽り運転するような人間がですか?」
「ねえ、まだですかー! プップー!」
「ほら!」
「はいはい! えー、えー、好きなお菓子は!」
「めちゃくちゃ辛いやつでーす」
「おお、最高だねえ! 私もねえ、子供の頃によく食べていたんだよ。頭がカァーッと熱くなる感じがたまらないよねえ。うんうん」
「もういいでしょう!」
部下は勢いよく椅子から立ち上がり、大きく息を吐き出すと、彼をまっすぐに見据えた。
「君、悪いけど、うちでは雇えないから」
「お、おい、何勝手なことを言ってるんだよ」
「会長には事情をきちんと説明すれば分かっていただけるでしょう。それに、あとあと問題が起きたら、責任取らされるのは僕らなんですよ」
「ふーん。不採用……ですか」
彼は組んでいた足をゆっくりと下ろした。
「ええ、申し訳ないけれど、自業自得だからね」
「いや、いやいや。ちょ、ちょっと待って――」
「やりぃ! よおおーし!」
「えっ」「えっ」
突然、彼は拳を固く握りしめ、天井に向けて高々と突き上げた。椅子がガタンと跳ね、乾いた音が室内に響いた。
予想外の反応に二人はそろって声を上げ、呆然と彼を見つめた。
「いや、うちの親父、社長やってんですけど、ほら、よくあるじゃないですか。『うちで働かせる前に、よそで経験を積ませる』っていう意味わかんねえやつ。ははは、ほんとだるいっすよね。朝からずっとイライラしてて、面接なんかすっぽかしてやろうかと思ったんすけど、親父にチクられたら面倒くせえし、仕方なく来たってわけ。でも、落ちたもんはしゃーないっすね。まあ、受かったら受かったで、スパイみたいでおもしれーなとは思ってたんすけどね。ま、こんな会社、おれが社長になったら叩き潰してやりますよ」
彼は晴れ晴れとした表情で立ち上がると、ぐぐっと背筋を反らして伸びをした。
「じゃ、お疲れっしたー」
彼は軽い調子で手を上げ、鼻歌まじりに部屋を出ていった。
ドアが閉まったあとも、廊下にはやたら大きな靴音が響いていた。それが遠ざかるのを聞きながら、二人は顔を見合わせた。
「……落として」
「……正解だったな」




