4章「満塁ホームランの非日常」(弐)
いつの間にか少女は消え、足元には先程見たものと同類と思しきロープが、木から何本も伸びてきていた。
これにからめとられれば、翌日には新しい首吊り死体として発見されることになるだろう。
彼は一つ深呼吸をして意識を集中させる。
相手は目の前の木。
相手が消える事をイメージして胴斬りを叩き込めばいいのだろうか。
やってみなければなんとも言えない。
やるしかない。
吐く息を、細く、鋭く。
正眼に構え、踏み出す。
同時に、襲ってくるロープの絵図らが何ともシュールだが、そんなことを考えている場合ではない。
ロープに触れないよう避けつつ全速力で前へ進む。
数メートルの距離を一気に縮め、勢いを乗せ、全力で木の幹に胴を叩き込んだ。
剣道のやり方だが、手応えはあった。
木を斬ったはずなのに、全く別のものを斬ったような手応えを感じ、すぐさま木へと向き直る。
すると、木からぶら下がったり、根元から地を這うように伸びていたロープが、まるで生き物のように空中にひと塊に集まる。
油断せずに身構えていると、塊は蠢きながらどんどん収縮し、最終的に粒となって消えてしまった。
終わったか。
そう思ったのもつかの間。
木から、ミシミシと音が聞こえ始めたのだ。
それはだんだんと大きくなり、最終的には清司が胴を叩き込んだ部分を中心に、バキバキと大きな音を立てて倒れた。
あまりに大きな音がした為、周りの家の窓が開く音や、玄関から人が出てくる気配がする。
自分がこのままここにいれば、間違いなく警察のお世話になってしまう。
それだけは避けたい。
「白秋、飛べるか?」
清司がそう言うと、手元の刀が消え、虎が姿を現す。
白秋と呼ばれた虎は、
『主が望めば』
そう言って清司の顔をじっと見た。
「じゃあ今すぐ俺を乗せて飛べ!」
清司が言いながら白秋に跨ると、『御意』と一言返事をした白秋は、人目が届かないうちに地面を蹴って空へと逃げる。
しかし、その後は考えていなかった。
そう。
着地のことまでは。
◆
「う、おわぁぁぁあーーー‼」
飛ぶと言ったのは、超高高度のジャンプでしかなかった。
一旦空高く飛び上がった白秋は、放物線を描き、物理法則に従って加速した状態で、かなり離れた空き地に着地。
「ぐぇっ!」
着地の反動でそんな声が漏れる。
清司は、ヨロヨロと白秋の背から降りると、ゼイゼイと肩で息をしながら白秋の鼻っ柱をひっぱたいた。
『痛いではないか』
「お前は! 飛べるって言ったじゃねぇか!」
ふらつく膝に手をつき、無表情な目をこちらに向けて抗議する白秋に怒鳴るが、白秋は納得がいかないのか、
『飛んだであろう』
と、憮然とした声で言った。
「アレはジャンプ! 飛び上がっただけだ!」
清司は地団駄を踏みそうになるのをこらえて言うが、やはり意図は伝わっていないようで、白秋は首を傾げる。
『何が違うのだ』
「……あーもう!」
確かに「飛べ」としか言わなかったし、どう捉えるかは、白秋の理解力に賭けるしかなかったのだから、これはもう仕方がないかと、彼はため息をつく。
ともかく、現場からは離れることができたのだから良しとしよう。
一息ついて、清司は今度こそ家に帰るべく、一歩踏み出した、その時だった。
「あ、れ?」
ぐにゃりと視界が歪み、暗転。
そのまま彼はその場に倒れた。
◆
『主様』
突如、頭の中に昼間のあの龍の声が聞こえて、太壱は眉根を寄せた。
家に帰ってから小一時間ほど。
夕食を済ませた太壱は、翌日の学校の準備をしていた。
なんの事はない。
他にやることが思い浮かばなかったのだ。
そこに人外から声をかけられ、彼は明らかに不機嫌になった。
無視を決め込み作業をすすめる。
が、
『主様。白虎の主が倒れました』
そう言われて思わず手を止め、カバンに入れたままになっていた玉を取り出した。
手のひらの中の青いガラスのような玉に向かって言う。
「どういう事だ?」
『今、白虎……白秋から連絡が入りました。至急助けて欲しいと』
その言葉に、太壱は首を傾げた。
「白虎」という玉があって、自分のが青い龍ということは、玉の正体——と言っていいかは定かではないが、それは四聖獣がモチーフになっている可能性が高い。
康樹と充晶の玉が何かはわからないが、あの玉の色合いから見て、それぞれ「朱雀」と「玄武」だろう。
そして、清司の玉が白であったことを考えると、清司の玉が「白虎」であろうことは確かだ。
「それは本当なのか?」
「「白虎」の持ち主が倒れた」という話の真偽を改めて問うと、玉はすぐさま答える。
『真でございます。私どもは嘘をつけるようには出来ておりません』
その言葉に、太壱はため息をついた。
「何があった?」
ことと次第によっては、今からでも駆けつける必要があるだろう。
『わかりません。とにかく白秋も混乱しているようで、助けてとしか……』
感情が感じられない玉の声に、太壱は苛立ちを覚えるが、聞き出さなければならないことは他にもある。
「場所は?」
『申し訳ございません。私は契約がなければ外の情報を知り得ないのでございます。外の情報がわかるようになれば、玉同士の場所も把握できるのですが……』
条件がそろわなければ、権限的なものが限定されるとは、まるで課金アプリのようだ。
太壱は、苛立ちがつのるのを抑えるように立った状態で、つま先をぱたぱたと上下させる。
行儀は悪いが貧乏ゆすりだ。
「お互い念話はできるのに?」
『覚醒していればそれは可能なのです。他の者たちは契約したのでしたね。彼らに助力を求めますか?』
「……ちっ」
そこまで話して思わず舌打ちをする。
理由はどうあれ、倒れた清司をあの康樹と充晶に任せるのは宜しくない。
清司とは、小学校一年時からの付き合いだが、時折化け物の類に襲われたり、その気に当てられたりして、具合が悪くなったり、倒れることがあった。
別に虚弱体質ということではなく、本人曰く倒れる時は本当にいっぺんに視界が暗転して、気がついたら倒れているのだという。
その後は決まって体調を崩していた。
今回も恐らくそれだろう。
最近めっきり減っていたから、失念していた。
太壱は、手にしていた玉を叩きつけるように机に置くと、
「お前の名前は、「蒼春」だ」
そう言った。
瞬間、部屋が埋まるほどの大きさの青い龍が姿を現し、
『承りました。只今より、私は蒼春として、主の御身に仕え、共にあることを誓います』
言いながら深々と頭を垂れた。
「すぐに準備して出る。お前は玉に戻れ。念話で場所だけ教えろ」
『御意』
そう言って、彼は着替えもそこそこに上着を引っ掴むと、飛び出すように家から出て駆け出した。
◆
「キミは、毎日会いに来てくれる?」
「うん」
「約束だね」
「うん。やくそく!」
幼い頃。
見知らぬ年上の少女と交わした約束があった。
◆
今にも雨が落ちてきそうな曇天の下。
その日も清司は、家から少し離れたその公園で一人遊んでいた。
家の近くにも公園はあるが、近所の子供たちは皆、清司を気味悪がってまともに遊ぼうとはしない。
清司の目には、生まれたときから人には見えないものが映っていた。
両親は朗らかな性格の持ち主で、そんな清司を気味悪がることも無く、普通の子供として育てていたため、自分が見えているものが他の人にも見えていると信じ、それが当たり前と思っていた。
幼稚園に入り、自分が他の子供とは違うということを自覚してからは、目に見えるものを、他の人に伝えるということをしなくなっていた。




