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境界に佇む者たち  〜柳谷清司の怪奇録〜  作者: 風月
サイキック・ケースワーカーズ 結成譚
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8章「終局」(伍)


 話し終え、空を見上げる。


 空はすっかり日が暮れて、濃紺の空に三日月が浮かんでいる。


 公園の街灯から、時折ジジジっという電磁音がかすかに聞こえるほど、公園内は静まり返っていた。


 清司は深く息を吐くと太壱を見やった。


 太壱は黙ったままうつむき、額に手を当てている。


「……あれは——」

「おまえ、次があるかはわかんねぇけど、もう消滅させんな」


 言いかけた言葉にかぶせるように太壱が言う。


「おまえが負担を負うことないだろ」 

「………………」


 その言葉に対する言葉が浮かばず黙り込んだ。


「さっき吐いてたのだって、存在の譲渡で見てきたもんの影響だろ。康樹が近寄ったのに怒鳴ったのも、そのせいのはずだ」


 確かに。


 目が覚めたあの瞬間、視界に入る「男」全てに嫌悪感をいだき、下手をすれば憎しみさえいだきかけた。


 康樹があれ以上近づいていれば反射で殴り倒していただろう。


 あれは自分の経験ではない。


 それを自身に必死に言い聞かせ、ようやく落ちついたのだ。


「それはおまえの言うとおりだ……でも」

「でももクソもねぇ。次は頭に蹴りじゃおさまんねぇぞ」


 あの衝撃が蹴りだった事に、内心軽い戦慄を覚えるが、それでもこの性根は変えられないだろう。


 そう思い、言葉を選ぶ。


「……それでも俺は、多分、ああいうの前にしたら、止まんねぇよ」

「……だったら、どんなもん斬ったのか、必ず話せ。話すことで軽くなることもあんだろ」

「……わかった」


 深いため息まじりに言った太壱の言葉にそう返す。


「あーあ! 世話の焼ける幼馴染だ! まったく!」

「ぼやくなよ」

「ぼやきたくもなるっての! それに、お前その肩、どうすんだよ?」


 言われて、清司は自身の肩に目をやる。


「肩……? あ……あぁ!」


 右肩に受けた傷から出た血液がベッタリと固まり、シャツの生地が腕に貼りついていた。


 これは、はたから見れば大怪我をした人間のそれだろう。


 傷自体はもう塞がっているのか、それほど痛みは感じないが、これはごまかしようがない。


 シャツの生地自体も引き裂かれて大穴が空いている。


 これはまずい。


「そんなん洗濯出したらおばさんに何言われるだろうな?」

「……どうしよう……このシャツ、この間母さんが買ってきたばっかり……」


 清司はそう言いながら、様々なことが頭をよぎり顔が青ざめる。


「後先考えねぇおまえが悪い。こってり絞られろ」

「助けてくれ」

「無理だ」


 無慈悲な太壱の言葉に、清司は頭を抱えるしかなかった。



 柳谷家のヒエラルキーは、頂点に母親が君臨する形で成り立っている。


 その下に父親。


 最下層に清司と、三つ年下の弟の司郎というわかりやすい配置だ。


 しかしその構造が、今の彼には恐怖でしかなかった。


「………………」


 無言で、そっと、静かに玄関を開ける。


 が、


「おかえり」

「——っ!」


 玄関の扉を開けた先の薄暗い廊下には、母親が無表情で、玄関マットの上に正座して待機していた。


 後ろでドアが閉まる音がする。


 母親はいたって穏やかに言った。


「清司。高校に上がってからの門限、この間決めたわね?」

「……ああ」


 口調は穏やかだが、薄暗い中でもわかるほどの怒気をはらんでいる。


「何時だったかしら?」

「……十九時」


 言いながら、変な汗が背中を伝う。


「今、何時かわかるかしら?」

「……二十一時」


 現在時刻は、家の玄関を開ける前に確認済みだ。


「何か言うことは?」

「すみませんでした」


 素直すぎるほどに清司がすぐに謝罪をすると、母親はすっと立ち上がった。


 一歩近づき、くんくんと清司の臭いを嗅ぐ。


「それはそうと。おまえ、どうしてそんなに血なまぐさい臭いをさせているのかしら?」

「………………」


 その瞬間、清司は自分の母親が、かつて救急医療の第一線で活躍していたプロの看護師であったことを思い出した。


 これは、非常にまずい。


 全身の血の気が引くのを感じる。


 ブランクはあっても、かつての現場で鍛え上げられた嗅覚その他諸々は、今も衰えていないということだろう。


「……脱ぎなさい」

「……は?」


 母親の言葉に、清司の理解が追いつかず固まっていると、母親は清司の学ランの襟を掴んだ。


「今すぐ、その制服を脱ぎなさい」

「い、いや、それは——」

「いいから脱げぇぇぇえ‼」


 柳谷家の玄関に、母親の怒声が響きわたった。


 玄関の明かりがつき、リビングにいた父親と弟が、何事かと顔を出す。


 そんなことには構うことなく、母親は清司の制服を無理やり脱がしにかかってきた。


「こんだけ鉄臭い臭いプンプンさせて、どこ怪我してきた! 言え‼」

「母さん! 落ち着きなさい!」


 玄関先の乱闘騒ぎに父親が割って入るが、母親は一向に引かない。


「落ち着いてるわよ! こんだけ血なまぐさいんだからそれなりに出血してるでしょう! 早く処置しないと!」

「わわ、わかった! 自分で脱ぐ!」


 母親の気迫に押され、清司はついに観念し、学ランを脱いだ。


 血に染まったシャツがあらわになり、瞬時に場が静まり返る。


 が、母親の対応は早かった。


 すぐさまリビングに駆け込むと、救急セットを持ってすぐに戻ってきた。


 その間に父親に上がり框に座らされる。


 母親は、迷わずゴム手袋を装着し、清司のシャツの袖から肩までを大きくハサミで切り裂いた。


 そして慎重に、腕に貼り付いた血濡れの生地を剥がしていく。


「……母さん、そんくらい自分で——」

「黙れ怪我人」

「はい」


 容赦ない母親の気迫に、清司は閉口する。


 そうこうしているうちに、化け物にやられた傷口が顕になった。


 出血はしっかり止まっている。


 が、傷自体はよほど深かったらしく、まだ生々しい状態だった。


 刺されただけで、肉を大きくえぐり取られなかったのは不幸中の幸いだったかと、清司はため息をついた。


 見ると、母親が訝しげな表情で清司をにらんでいた。


「……おまえ、この傷は何があった」

「……転んだ」

「看護師ナメてんのか? どこで転んで何がどうしたらこうなる。説明できるなら簡潔に説明してみなさい」


 何をどう説明すれば納得してもらえるというのか。


 言葉が全く思いつかず、清司は黙り込んだ。


 今の状況では、どんな言葉を並べたところで下手な嘘にしかならない。


 それは母親の神経を逆なでする行為でしかないことを、彼は熟知していた。


 清司が黙りこくったのを見て、母親は深くため息をつく。


「はぁ。お前のそれは変わらんね。とりあえず中に入りな。ここじゃ寒い。続きは中でだ」


 そう言い残し、リビングへと入っていった。


 それを黙って見送って少ししてから、肩をすくめて困った顔をしている父とともに、清司もリビングへと向かった。



 リビングに入ると、すぐさまダイニングテーブルの椅子に座らされ、上半身の服を引っぺかされた。


 もちろん、肩の傷口には触れないよう配慮されてだ。


 肩の傷はすぐに乾いた血を洗い流され、消毒のあとガーゼを当てられる。


 さすがの手際の良さに感心していると、頭にげんこつが落とされた。


「いてっ」

「げんこつが痛くてなんでこの傷が痛くないの! 普通ならのたうち回ってるだろうよ!」

「……我慢した」

「我慢で済むなら医者も看護師もいらないんだよ!」


 母親のもっともな言い分に、げんこつを受けた清司は、頭をさすりながら目線をそらす。


「まったく。どこでこんな我慢の仕方覚えたんだか……ほら、防水テープ貼るから胸張って、腕横に伸ばしな」


 指示されたとおりに胸を張り、上腕を広げると、ガーゼの上からぴたりと、透明な膜のような、薄いテープが貼られた。


「はい完了。いいか、自然に剥がれてくるまで防水触るなよ。それからガーゼが汚れたら剥がして交換だよ。傷口熱っぽかったら報告しな」


 母親はそう言って、てきぱきと道具を片づける。


「……ありがとう」

「さっさとシャワー浴びてきな。その間に夕飯用意してやるから。説教はそれからだ」

「……うぐ」


 一瞬。


 本当にほんの一瞬、このまま有耶無耶でことが終わることを期待したが、それはとても淡い期待だった。


「返事は?」

「はい」

「わかったらさっさと行け。傷口には触るなよ」


 その後。


 言われた通りにシャワーを浴び、しっかり出された夕食を摂った後で、やはりしっかりと、門限を大幅に超過したことに関して二時間コースの説教を受けたのだった。


 この時はまだ、これが常習化するなど、つゆほども予想していなかった。


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