8章「終局」(参)
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清司がいつの間にか閉じていた目を開くと、そこは何もない、白い空間だった。
足元を見ると、自分の影すらもない。
明らかに異質な空間。
左側には白い虎が一頭。
その頭をなでて、清司は声をかける。
「ここがお前が言ってた『境界』か?」
『左様』
撫でられて目を細める白秋は、猫のように喉を鳴らしながら短く答えた。
「……今度は消滅させる。使えるな?」
覚悟を決めて、清司は確認をする。
『お望みとあらば。ただし』
「?」
『ここは現世とは違う世界。魂の状態の主は、長くはいられぬ』
確かに、こんな異空間は初めての体験だ。
体感的には現実世界とさして変わりないが、見渡す限り何もないただの白い空間は、人間の常識を狂わせる。
さらに、今の自分が「魂の姿」であるならば、なおさら長居は無用だろう。
前方を見ると、白いボロボロの着物を身にまとい、長い髪を振り乱した女が立っていた。
それが先まで戦っていた化け物であると認識する。
「一撃でやる」
『御意』
見据えて言うと、白秋は返事とともに刀の姿で左手に収まった。
彼は抜刀すると呼吸を整え、構える。
落ち着いて、決めていた言葉を言う。
「白秋……斬るぞ」
その言葉に呼応するかのように、刀に熱がこもる。
熱くはない、ある種の温もりにも似たそれは、手を伝わり、全身に広がった。
意を決して駆け出す。
上段から唐竹に一閃。
斬られる瞬間、女の姿の化け物は、こちらを一瞥すると笑みを浮かべた。
そして、斬られた箇所を中心に、折りたたまれるように小さくなると、最後は小さな点になって消滅する。
「……終わったのか?」
思っていたよりも、かなり呆気ない最後だった。
白秋は虎の姿に戻ると、
『主、『境界』が瓦解する。急ぎ戻るゆえ掴まられよ』
そう言って馬ほどの大きさになり体を伏せる。
言われるとおり、背中にしがみつくようにまたがると、白秋は虚空にできた丸い穴目がけて飛び上がった。
◆
その日は朝から野良仕事をしていた。
いつもと変わらない仕事。
生活は楽ではない。
が、父親と母親と、まだ小さい弟妹たちがいるのは、ささやかな幸せだった。
しかし、その日は少しだけ違ったことがあった。
村に、旅の行商人だという男が訪れたのだ。
その男は目鼻立ちがよく、遠目からもいい男だと思えた。
その男は数日間村に滞在するという。
それからは、村の年頃の娘達は仕事の合間を縫って、こぞって男に会いに行き、男もそれに愛想よく応えていた。
そんな男が村に来て三日目。
男が突然、自分に会いに来たのだ。
話したいことがあるから、夕刻人目を忍んで会いたい。
村の外れの溜池で待っていると、自分にだけ聞こえるように言って去っていく。
なんの話だろうと思った。
色恋の話ではあるまい。
自分は醜女ではないが、見目麗しいというわけでもない、どこにでもいる普通の村娘だ。
夕刻、言われたとおりに人目を忍んで、待ち合わせの溜池の辺りに行くと、男は自分を笑顔で迎えた。
男は突然がばっと抱きついてくると、耳元であなたに惚れた、どうか一緒に来て欲しい、あなたを幸せにしたい、と囁いてきた。
大胆な行為に驚いてしまい、すぐには信じられず、男の腕から逃れるとその場から逃げ出してしまう。
男は後ろで、三日後の出立の前に迎えに行くと叫んでいた。
それから、頭の中でその言葉が繰り返し流れ、思わず赤面してしまったり、仕事が手につかないということがふえた。
三日後の早朝。
男は約束通り、家に迎えに来た。
父と母は驚いていたが、事情を話され、結納の手付金だと、それなりの額の金子を貰うと、泣く泣く送り出してくれた。
父と母と弟妹に見送られ、朝の静かな村を出る。
どこに行くかは、知らされなかった。
◆
山を一つ越え、町を二つ三つと過ぎた頃。
男はここで暫く過ごすと、人気のない場所にあるあばら家のような家に入った。
中には数人の男たちがいて、こちらを品定めするような目つきで見てくる。
思わずついてきた男の影に隠れるが、男はそんな自分の腕を乱暴に引くと、男たちの前に突き出した。
「今回はこいつを選んできた。見目は普通だが、肉付きはいいだろ。まぁ、好きにしろや」
その言葉を聞いてぞっとする。
男の顔を見ると、今までと別人のような、とても冷たい顔をしていた。
あまりのことに頭の中が真っ白になる。
と、家の奥から女が顔を覗かせた。
「ちょっと! その前にあんたら、払うもん払ってもらうよ!」
その言葉に、やっと状況を理解する。
自分はこの男に騙されたのだ。
そして目の前の男たちは、この男の客だ。
愕然として動けないでいると、下卑た笑みを浮かべた客の男たちが、自分の手を引き奥の間へ連れて行った。
◆
奥の間は当然のように寝床になっていて、とてもきれいとは言えない布団が一枚敷かれているだけだった。
客の男たちは構うことなくこちらの着物を乱暴にはだけさせると、ことに及んだ。
精一杯の抵抗をするが、大の男数人に囲まれては手も足も出ない。
すべてがやっと終わると、客の男たちは部屋から出ていった。
喉が枯れ、声も出ないまま涙を流す。
部屋の隅に捨てられた自分の着物を手繰り寄せると、そのまま落ちるように眠りについた。
次の日は違う客が来た。
やはりやることは同じで、嫌がる自分をいじめるのを楽しむように弄ぶ。
強く抵抗すると、頬を強く叩かれた。
その音が聞こえたのだろう。
戸が開く。
一瞬希望をいだきかけるが、顔を覗かせたのは冷たい顔の女だった。
「ちょっと! 品物傷つけるんじゃないよ! まだ新しいんだからね! 使い物にならなくなったら弁償だよ!」
それだけ言って戸を閉める。
言われた客は「わぁってるよ!」と乱暴に言うと、ことを再開した。
そんなことが毎日のように続く。
客が来ない日は、居間の柱に縛り付けられ、逃げ出さないようにされた。
「脚の筋斬られないだけマシと思いな」
柱に縛り付けられるとき、女は冷たくそう言い放った。
食事は日に一度。丼一杯の雑穀粥を与えられる。
空腹には耐えられず、すするようにして食べた。
何もない夜はそのまま放置される。
奥の間からは、あの男と女の情事の声が漏れ聞こえてくる。
耳をふさぎたくなるが、それも叶わない。
気が狂いそうになって夜を明かす。
◆
そんな日々が続くと、当然のように子を孕む。
それを察知すると、どこからともなく女が鬼灯を山のように持ってきて、その実を食べさせてきた。
子が流れると、またいつもの地獄の日々が続く。
◆
どれだけの月日が流れただろう。
身も心もボロボロになり、客たちが来ても無抵抗でされるがまま。
多少殴られても声も出なくなった頃。
男が柱の縄を解き、自分を担ぐようにして家から連れ出した。
抵抗する気も起きず、そのまま担がれていると、雑木林の中で乱暴に地面に落とされた。
顔を上げると、男が女と自分を見下ろしている。
「こいつももうだめだなぁ」
「結構稼がせてもらったがね」
「なぁに、すぐに次見繕ってくるからよぉ」
そんな会話のあと、接吻を交わしている。
男の手には刀が握られており、それが鈍い光を放っていた。
男の刀が、自分目がけて振り下ろされる。
刃物が自分の肉を裂く痛みを感じるが、それ以上に腑の奥から黒く、冷たいものがこみ上げる。
しかしそれを言葉にすることも叶わず、体から力が抜ける。
その姿を見て、事切れたと思ったのだろう。
二人はそのまま背を向け歩き出す。
あぁ、自分はこのまま、誰に看取られることもなく、死んで朽ちていくのか。
そんな絶望が心を支配した、その時だった。
『あな、うらめしや。さぞあの二人が憎かろう』
そんなささやき声が聞こえる。
最後の力を振り絞り、まぶたを開くと、目の前には黒々とした鱗を持つ大蛇がいた。




