7章「見える世界と見えない世界」(伍)
◆
清司と太壱、康樹がやり取りを終えて、どうやらそれぞれの役割分担ができた様子なのを伺いつつ、充晶は近くにあったベンチへと腰を下ろした。
蛇の化け物——蛇女を最初に見たときは怖気が立った。
本当にあんなものが存在したのかという、信じられない気持ちと、純粋に蛇女のビジュアルに対する生理的な恐怖。
だが、意外にもすぐにそれはおさまった。
自分が前に出ることはないという事実が、どこか心の中でこの状況に線を引いているのだろう。
今はそれでいい。
通常ではありえないようなことを、こんな間近で見ることができるんだから。
それに、自分の能力では役に立てそうにないし、この結界を維持することのほうが大事だろう。
結界自体は三人に言った通り、空間を隔離する能力と、目に見えない世界の住人の可視化と、こちらからの物理干渉を可能にする力がある。
それに加えて、これは説明していないが、結界外からの干渉不可という能力と、外からの対象の不可視化という能力も備わっていると、玄冬は言っていた。
要するに、一度結界を張ってしまえば、外からは入れないし、入ろうという気にもならない。
外から見てもそこには誰もいないように見える。
あるいは何もないように見える。
そういうことだろう。
なんて便利な力なんだろうと思う。
色々とやりたい放題になるということじゃないか、とも。
何をするかは特別思いつかないが。
ともかく、今は遠目に見えるあの蛇女を閉じ込めるのと、自分たちが外から見えないようにしておけばいいということだ。
ふと、すぐそばに見覚えのない、自分と同じ年頃の少年が寝転がっているのに気づく。
もしかしたら、彼が清司と話していた依頼人だろうか?
充晶は彼に近づくと、軽く肩をゆすって声をかけた。
少年は少しうめき声をあげた後、ゆっくりと目を開く。
と、充晶の顔を見て驚いたのか、ガバッと起き上がった。
「大丈夫かい?」
「だ、大丈夫です。えっと……」
「あ、僕は“何でも屋”のメンバーの一人。A組の東奥だよ」
そう言って少年の手を引き、ベンチに座らせる。
「ぼくはC組の平田です」
座って落ち着いたのか、彼も遠慮気味に名乗った。
「きみ、あれを見たんでしょ? もしかして、グロ耐性ない人?」
充晶が、言いながら後ろ——ちょうど公園の中央にいる蛇女を指差す。
平田はなるべくそちらを見たくないのか、顔をそらして返した。
「あー、はい……昔から苦手でして」
「で、なんであんなのに取り憑かれてるの?どこかやばいところ行った?」
充晶が首を傾げながら問うと、平田は首を横に振った。
「いえいえ! あ、でも、最近古本屋で古本を手に入れまして……」
「ほうほう。その本は?」
「あ!」
そう言って、平田がショルダーバッグの中から、黒表紙の一冊の古い本を取り出す。
「柳谷さんに見てもらおうと思って持ってきてました。この本を読んだら、おかしなことが立て続けに起こって、柳谷さんに助けられて……」
「ふーん、そう。本は読んでもいい?」
「あ、はい。でも文体が古いから、読むのに苦労するかも」
平田の言葉を気にせず、充晶は本を受け取り、ぱらりとページをめくる。
昔の紙の、今にも崩れそうな、それでいて意外にもしっかりと芯のある、独特な和紙の手触りを感じながら、中身を確認していく。
文章は、不思議と充晶にも読めた。
内容は、パッと見には化け物退治の怪奇譚。
そういうことがあると構えて読めば、相対した化け物の対応のしかたと、封印のしかたを事細かに書いた記録だった。
「随分とヤバイものなんじゃない?これ。太壱!」
読みながら感想を述べ、同時に少し離れたところにいる太壱を呼ぶ。
太壱なら、この手の古いものがわかるかもしれない。
「どうした!」
駆けつけた太壱に本を見せ、共に読み進めていく。
最後の数ページは書き手が変わったのか、字体が変わっている。
そして、最終ページだけ、無理やり開いた形跡があり、そこは読めない文字が赤黒い液体を使ってびっしりと何かが書かれていた。
乾かないうちに閉じたせいでくっついていたのを、無理やり剥がしたように見える。
「……これは……」
太壱が眉間にしわを寄せる。
「これ、最初からこうなってた?」
「いえ……気になって、ぼくが剥がしちゃいました」
充晶の質問に、そう返した平田に対して、
「バカ野郎! これは……これはあの化け物を封印してた呪符だ!」
「「えぇー⁉」」
そう怒鳴った太壱の言葉に、二人は驚きの声をハモらせた。
◆
太壱は、封印の呪符の存在を確認して、もう一度中身を読み返す。
あの化け物が、どれだけの被害を及ぼしたか。
どれだけの人間を食い殺したか。
退治するにあたって、何をどうしたのか。
封印するために、何を犠牲にしなければならなかったのかが、事細かに書かれていた。
中身が読めたのは、おそらく書いた人間が、先のことを考えてそういう術を施しておいたのだろう。
古い書物には、そういったことが稀にある。
退治の方法は、この本の著者——退治した当人だろうが、その人物が直接術で縛ったと記されている。
しかし、その後が問題だった。
退治した後と、封印されるまでの記録。
その文章に、太壱は焦りを覚える。
内容に間違いがなければ、このまま清司を戦わせるのは、非常にまずいことだった。
◆
白秋を手に、意識を集中させ、呼吸を整えると、自然と体が抜刀の構えを取る。
剣道の経験は長いが、白秋を手にするまで、真剣など触ったことがなかった。
剣道と、真剣を使う居合道は違うものなので、もちろんなんの経験もない。
しかし、体は自然と動く。
姿勢を低くし、息を吐く。
目の前の蛇の化け物——敵を打ち倒すことにのみ集中する。
自然と周りの雑音が遠のいていく。
自分の足が地面をとらえる感触。
吹く風の向き。風の強さ。
敵の呼吸。
間合い。
それらをとらえて、清司は一気に踏み出し、わずかな時間で距離をつめ、敵めがけて振り上げるように下段から抜刀。
しかしそれは読まれたか、敵はぬるりと身を引いてかわした。
迷うことなく鞘を手放し、両手で柄を握って前へ踏み込み、上段から振り下ろす。
と、それまでぶら下がっているだけだった両腕が、その斬撃を受け止めた。
がきん、という金属音がして、瞬時に後ろに飛び退く。
見ると、女の腕が黒光りする鱗で覆われ、指先には鋭い爪が伸びていた。
『ああああぁ〜、お前はぁ〜なぶり殺しぃ〜』
そう言って、蛇とは思えない速度で突進してくる。
片方の爪の一閃を刀で受け、もう片方の爪の刺突を、身をひねって躱す。
敵の胴に、剣道では反則の蹴りを入れて、無理やり間合いを取った。
気がつくと、刺突を躱したつもりでかすったのだろう。
頬に鋭い痛みと、温かいものが流れる感触がある。
それを乱暴に手の甲で拭い、再び刀を構えた。
『いいねぇ〜。若い血はいいねぇ〜』
言いながら、爪についたであろう血をなめとる化け物。
こいつは、こんなふうに笑いながら人間を殺すのだろう。
清司は、湧き上がる感情に身を任せ、目の前の敵に切りかかった。




