7章「見える世界と見えない世界」(肆)
裂けた口からは、ちょろちょろと蛇特有の細長い舌を覗かせ、感情のない爬虫類の瞳でこちらを見ている。
『あぁ〜生意気だぁ〜式のくせに生意気だぁ〜!』
そう言いながら、こちらに向かって青い炎を吐きかけてきた。
ごうっという炎の音を聞きながら、横に素早く避けると、蛇へ突進してくる。
蛇の腹めがけ、勢いのまま頭突きをお見舞いすると、蛇は一瞬姿勢を崩し、炎を吐くのをやめた。
その隙をついて、虎の太い前足で蛇の頭を叩き、そのまま押さえ込む。
とその途端、真っ白い空間に歪みが生じる。
顔を上げると真上の虚空に窓ができていた。
そこから現世に逃げるつもりか。
ここが、主が使っていたあの板を場とした境界であるならば、出口もあの板の先に繋がっているに違いない。
白秋は四肢を使って蛇を押さえつけつつ、虚空——あの窓の先の空間へ向けて叫んだ。
『電話とやらの持ち主よ! 今すぐ電話から離れられよ‼』
◆
東町まで走って五分。
スマートフォンのマップを頼りに目的の公園を見つけた。
後ろから三人がついてきているかを確認する間もなく、公園に駆け込むと、平田がすでに待っていた。
しかし、様子がおかしい。
スマートフォンを手に持ちおろおろとしている。
よく見ると、スマートフォンのディスプレイから、通常ではありえないような光が発せられていた。
先ほど白秋が「境界」に入ったときと同じ光だ。
「平田‼」
「柳谷さん!」
清司は走る勢いを殺さず平田に駆け寄り、有無を言わさずスマートフォンを取り上げると、急ぎ離れて地面に置いた。
平田が抗議の声を上げる間もなく、スマートフォンのディスプレイの光が強くなる。
するとそこから声が発せられた。
『電話とやらの持ち主よ! 今すぐ電話から離れられよ‼』
白秋の声だ。
さて、何が出てくるのか。
清司はある程度の覚悟を決めて、白秋に命令を下す。
「白秋! そいつをそこから引きずり出せ!」
『御意』
直後、画面から大きな虎の前足がにゅっと現れる。
それを皮切りに、薄緑色の縞を持つ白い虎が、何か大きな緑色の長いものを咥えて出てきた。
虎はそれを数回地面に叩きつけるように振り回すと、ぺっと放り投げる。
投げられたものに目をやると、それは女性の上半身に、下半身は黒光りする鱗を持つ緑の蛇の化け物だった。
『痛い〜痛いよぉ〜許さぬよぉ〜』
そう言って上体を起こす。
『男はぁ〜なぶり殺しにしてぇ〜食ろうてやるぅ〜。女はじわじわと腸食ろうて役にたてようなぁ〜。許してはやらぬよぉ〜』
振り乱した長い黒髪。
その顔面は半分崩れ落ち、蛇のものが見えているため、片目が蛇のそれになっている。
一糸まとわぬ姿だが、所々がやはり腐り落ち、両腕はあるものの、骨が折れているのか、もとの形状を維持していない。
右足は付け根からなく、残った左足も腕同様ぐにゃぐにゃの状態だ。
ともすれば腐臭が漂ってもおかしくなさそうなほどだが、長い時間を経て蛇と一体化してしまっているのだろう。
臭いを感じることはない。
今まで色々なものを見てきたつもりだったが、ここまでおぞましいものを見たのは初めてだ。
恐怖に縛られないよう握りこぶしを作り、全身に力を入れ、震えてかちかちと鳴りそうな奥歯を、きつく噛み締めてこらえる。
若干の息苦しさを感じ、きちんと着ていた制服の上着を脱ぎ、ベンチに放り投げた。
「あ……う……わぁ」
後ろで平田が声にならない声を上げている。
確かに、こんなものを見たら普通なら卒倒してもおかしくない。
そう思ったときだった。
ドサッという音がして思わず振り向く。
思ったとおり、平田は目を回して倒れてしまった。
と、後ろからバタバタと足音が聞こえる。
追いついた三人が公園に駆け込んできた。
「はぁ! はぁ! 清司! 早すぎ‼」
「ぜぇっ、ぜぇっ、ぜえっ、む、むりぃ」
それなりに体力のある康樹と、普段特別な運動をしていない充晶が、それぞれ膝に手をつき、ぜーぜーと息をして言う。
「はぁ! 清司! 間に合ったか⁉」
その隣で、余裕を残した太壱が状況を見ながら言った。
おそらく、自分の足がいつもより早い上に、体力的にも疲れていないのは、今現在白秋を使っているからだろう。
それよりも、今は化け物に集中しなければならない。
そちらに視線を戻しつつ、充晶に言う。
「充晶、出番じゃねぇのか?」
「あ、そうだね!」
彼は若干バテ気味に答えると、その手に弓を出現させ、空に向けた。
そして。
「守甲隔壁陣‼」
言葉と同時に、目一杯弦を弾く。
康樹の家の庭で見たときと同じように、光の矢が放たれ、五つに分かれる。
一本は空中で静止。
四本は公園の四隅に向かって突き刺さった。
瞬時に光の線が結ばれ、壁が形成されていき、あっという間に隔離空間が出来上がる。
と、自分の両隣に康樹と太壱が並んだ。
「あれが今回相手にするやつかぁ。初戦にしてはエグい見た目だな」
「あ、あれが化け物かよ……オレ、吐きそう……」
それぞれの感想を聞きつつ、清司は一歩前に出る。
「あれは俺が相手する」
「おい、お前、白秋使う気か?」
太壱が心配した表情で言う。
『存在の譲渡』の心配をしているのだろう。
「……消さないやり方はわかった」
「けど……」
「あんな化け物、お前一人で相手できるわけないじゃん!」
なおも食い下がろうとする太壱のセリフに割って入ってきたのは、吐き気から立ち直ったらしい康樹だった。
「逆に、俺達にぶっつけ本番でコンビ芸ができるってのか?」
「う……」
清司が康樹に目線を向けて言うと、さすがに返す言葉が浮かばないのか、黙ってしまった。
しかし、今はそれでいい。
白秋が牽制しているので今の所動きはないが、何がきっかけで化け物が動き出すか、予測などできない。
「お前は捕縛の準備してろ。使うの初めてだろ?」
「わ、わかった」
重ねて言うと、康樹は一歩下がって自分の武器を呼び出す。
「朱夏!」
初めて見る康樹の武器は大小の双剣で、赤い柄の部分には二本の剣を繫ぐ鎖がついていた。
「た、タイミングみて、オレが勝手にやってもいいか?」
「康樹、おれが言うから待て」
「お、おう!」
初めての実戦。
緊張しているのだろう。
康樹にいつもの勢いがない。
太壱はそれを見越しているのだろう。
康樹にいつもより優しく声をかける。
と、太壱も蛇の化け物を睨みながら、
「で、お前が一人で行って、勝算はあるのか?」
そう訪ねてきた。
「さあな。剣道の試合でもあるまいし、初めて見た化け物相手に、勝算もクソもあるかよ」
「それもそうか」
清司の言葉に納得して、太壱も自身の武器を呼び出す。
「蒼春!」
現れたのは、太壱が一番得意とする武器であろう薙刀だった。
柄の部分は青く、反りの深い刀身には、龍の彫り物が入っている。
「入れそうなら、おれも加勢するからな」
「……わかった」
そう答えて、前へ進む。
少しずつ、心のどこかで、何かが込み上げて来るのを感じる。
あの化け物は、人を食い殺すと言っている。
生きるために食うのではなく、自分の気を晴らすために殺すと言っている。
それはとても。
とても放ってはおけない、許せないことに感じる。
恐怖はおさまっている。
代わりに、何か違う感情が、心を埋め尽くそうとしている。
化け物と睨み合う白秋の隣に立ち、静かに言う。
「白秋、やるぞ」
『御意』
白秋は、所々に緑の装飾が施された、白鞘の日本刀になり、清司の左手に収まった。




