1章「日常」
その日、柳谷清司は市立九華高等学校の入学式を終え、帰路についていた。
道路沿いの街路樹の桜が花を咲かせ、時折吹く風に花びらを散らせている。
背中に背負った鞄には、新しい学校の資料やら教材やらが詰め込まれていて、そこそこに重い。
これから通学路になるであろう道を覚えつつ、友人と四人で歩いていると、前を歩いていた一番小柄な少年、櫻井康樹が口を開いた。
「な、このあとどうする?」
彼の赤茶色の頭を見下ろしながら黙っていると、隣を歩いていた黒髪の少年、水縹太壱がそれに答える。
「とりあえず、おれは一旦帰りたい」
彼は家の事情から朝が早い事もあってか、若干の疲れを滲ませながらそう言った。
すると、
「そのあとだよ!」
すかさず康樹が振り向きながら返す。
「早い時間に終わったのだから遊びに行きたい」と言葉にしなくとも顔に書いてある。
時刻は昼を少し回った頃といったところで、確かにこのあとの予定を、何もせずに過ごすのは惜しい。
が、
「俺は寝るぞ」
清司はそう言って、わしわしと康樹の頭を撫で回した。
「わー! やーめーろー‼」
頭を撫でられた康樹は、間髪入れずその手をつかむと、よくもやったなと言わんばかりに、清司のみぞおちめがけてアッパーを繰り出す。
小柄な体格を活かした、下方からの手加減無しの鋭い拳が、いい具合にみぞおちに入り、清司は思わずその場でうずくまった。
自分と同じ量の荷物を持っているとは考えられない身軽さだ。
「康樹、ちょっとは、加減、しろ」
「人が朝セットした髪をわしゃわしゃにするお前が悪い!」
げふんごふんとむせながら訴えるが、清司より頭一つ分小さい康樹は、髪を直しながら鼻息も荒くそう返した。
髪型には気を使っているらしい。
それはさておき。
「荷物置いたあと駅前に集合でいいんじゃない?」
二人のやり取りをサラリと無視して、一人前を歩いていた長身痩躯の少年、東奥充晶が言う。
「だから俺は——」
そう清司がいいかけたところで、
「オッケー! じゃあ、後で駅前集合な!」
望んでいた答えを得た康樹が、嬉しそうに言う。
「じゃ、僕こっちだから。またあとで」
充晶が笑顔で言いながら分かれ道を自宅の方向へ向かう。
それを見送って、
「ほいほーい」
と、太壱は手を振った。
満場一致の流れで一先ずの解散になったことに、清司は黙り込む。
「さて、じゃあおれたちも一旦帰りますか」
息をついて、太壱が清司の方を見る。
「なんで俺まで」
清司は、ここまでの一連の流れの中で、発言がほぼ無視された形になり、思わずそうこぼした。
彼ら二人とつるむようになってから、こんなやり取りは日常茶飯事ではあるが。
「とかなんとか言って、楽しいくせに」
そう言って、太壱が肘をぐいっと当ててくる。
「うっせーよ」
楽しくないといえば嘘になる。
しかしそれを素直に認められるほど大人にもなれず、彼はそう言ってそっぽを向いた。
「素直じゃないなぁ。じゃ、あとで迎えに行くから、待ってろよ?」
「ちっ。わかったよ」
「寝るなよー!」
「わかったっての!」
なんだかんだで、一番付き合いの長い太壱にそう念を押され、彼は自宅へ足を向けた。
◆
清司は自宅に着くと、一息つく間もなく荷物を置き、私服へと着替える。
自室から出てリビングに入ると、入学式から一足先に帰っていた母親が台所に立っていた。
「あら、出かけるの?」
洗い物をしながら声をかけてくる。
「ああ。太壱達と足りないもん買ってくる」
「そ。あんまり遅くならないようにね」
「わかった」
そんな会話をしている最中、玄関チャイムが鳴った。
おそらく自分の迎えだろう。
玄関を開けると案の定、太壱が立っていた。
「よっすー」
「ういーっす」
軽く挨拶を交わし歩き出す。
「清司、今日はいつもよりいらついてね?」
清司の顔をちらりと見やり、ポケットに手を突っ込んで太壱が言う。
「ああ? んなこたねぇよ。いつも通りだろ」
「そうか? それにしては眉間のしわ、ハンパねえけど?」
言われて、清司はその眉間のしわをさらに深くして、
「いつもどおり嫌な予感しかしねーんだよ」
そう返した。
「あ、そーゆーやつね」
太壱はそんな理由に納得したのか、事も無げにそう言う。
清司は、そんな太壱の返答にため息をついた。
帰り道の会話から、確かに嫌な予感はしていた。
嫌な予感と言ってもよくあることなのだが、胸の辺りに何かがもたれている感覚が取れなくなることがある。
そんな時は昔から、彼や彼の周りの人間に何かが起こった。
もちろん、何が起こるかなど分かるはずもないし、ただの体調不良という時もあるにはある。
だが、これまでの経験上、今回は体調不良ではないという確信があるのだから困ったものだ。
「何も無けりゃそれで良いんだけどな」
「まぁ。お前のそのカン、昔っから外れたこと無いもんな」
清司の言葉に太壱はそう言って、肩をすくめてみせた。
お互いに「いつもの」ことだった。




