7章「見える世界と見えない世界」
「……ずいぶん背負い込んでんな」
そうつぶやきつつ、清司は屋上へと続く階段に向かっていく生徒を見ていた。
彼にとってはよく見る光景だ。
何かがとり憑いている人間には、黒い霧のような、モヤのような、とにかくそんなものがまとわりついていることがよくある。
そういう人間は、不慮の事故に巻き込まれたり、自ら命を断ったり。
とにかく、まともな死に方はしないのが常だ。
しかし、このまま放っておくのはいかがなものか。
屋上へ向かっているのなら、そこからのノーロープバンジーチャレンジなどという悲劇も、最悪考えられなくもない。
さて。
どうするべきか、腕を組み思案していると、廊下の向こうからもう一人の男子生徒が走ってきた。
「平田ー‼」
どうやら屋上に向かっている人物は平田という名字らしい。
その平田は、追いついた彼の声かけに答えるでもなく、やはりフラフラと、屋上へと歩を進めている。
「どうしたもんかな」
清司が迷っているうちに、思いのほか早く屋上の扉の開閉音が響いた。
屋上は入学して間もない彼の憩いの場でもある。
晴れた日は屋上の隅で、のんびりと弁当を食べるのが、今は楽しいのだ。
そこでことを起こされると、屋上が立ち入り禁止になりかねない。
そうなるのは非常に避けたい事態だ。
清司はため息をつくと、二人のあとを追い、階段を駆け登った。
◆
屋上ではすでに、背中に黒い靄を背負った平田がフェンスによじ登り、もう少しで乗り越えようかというところだった。
「くっそ! 早いな‼」
そう毒づくと、清司はダッシュで近づき、フェンスに飛びつくと、平田の制服を掴んで後ろに引っ張った。
しかし、かなりしっかりフェンスを掴んでいるようで、なかなか片手では引きはがせない。
「平田ぁ‼」
足元では、平田の友人が必死に呼びかけているが、彼の耳には届いていないだろう。
清司の力では足りないのか、平田はありえない力でじわじわとフェンスを登っていく。
とうとう一番上に手が届くかというとき、清司は意を決して平田の背中に張り付くと、両脇から肩にかけて腕を回し、仰け反る形で引き剥がしにかかった。
「——っ! どっせぇい‼」
そんなかけ声と同時に力を込める。
と、その瞬間、平田は力を失ったかのようにフェンスから手を離した。
非常に悪いタイミングだ。
「う? おあぁあ‼」
清司が込めた力の分だけ反動がつき、そのままの勢いで屋上の床へ落下する。
もちろん、清司を下敷きにして。
「ぐぇっ!」
着地の衝撃とのしかかる平田の重量に、肺の空気が押し出され、そんな声が漏れた。
と、そんな清司に構うことなく、平田の友人は彼に声をかけ続けている。
「平田! おい! 大丈夫か⁉」
平田より、今は下敷きになった自分の方を心配してもらいたい。
若干むっとしながら、清司は自分の体の上で気を失った様子の平田を乱暴にどけた。
自分が下敷き——もとい、クッションになったのだから、怪我はないはずだ。
「ったく……なんだってんだよ、こいつは」
そうぼやきながら、清司は平田の頬をぺしぺしと叩く。
「おい、起きろ」
すこしして、
「う……うーん」
と、平田がうめきながら目を開けた。
「平田ぁ! よかった‼」
そう言って友人が安堵の声をあげる。
「あー。俺の心配はねぇのかよ?」
あまりの無視のされ具合に、いい加減そうつぶやくように言う。
「あ! 助けてくれてありがとう! ……えーっと?」
「B組の柳谷だ。お宅らは?」
「あ、C組の近藤と平田です。平田を助けてくれてありがとう‼本当に、ありがとう‼」
言うと、近藤は清司の手を両手で握りしめた。
よほど平田を心配したのだろう。
近藤の目には涙が滲んでいる。
しかし、感謝されるのはいいが、握手でもないのに、男にしっかりと、両手で手を握られるのは、あまりいい気分ではない。
と、清司の微妙な表情に気づいたのか、近藤はぱっと手を離した。
ふと、黙っている平田に目をやると、彼は何かを探すように、周りをキョロキョロと見ている。
それに気づいたのか、近藤が立ち上がり、近くに落ちていたメガネを拾って平田に手渡した。
「あ、ありがとう……ぼく、なんで屋上に?」
「覚えてないの⁉」
驚いた様子の近藤の声に、平田が頷く。
そりゃ、あんだけどす黒いものを背負って、死んだ魚の眼で歩いていたなら、覚えていなくても仕方がないか。
清司はため息をつく。
「平田、お前さん、最近変なことないか?」
「変なこと、ですか?」
「例えば、どっかで誰かに押されて危ない目にあった、とか……」
そこまで言うと、
「……う、うわあぁああああん!」
「え、え、え?」
突然泣き出した平田に、近藤がたじろぐ。
こりゃよっぽど溜め込んでたなと、清司は内心あたりをつけた。
「元凶がわかってんなら神社か寺に相談することを勧める」
「ひぐっ、ひぐっ……怖かったです!誰に相談しても、相手にしてもらえなくって……」
かけた眼鏡をずらして涙を拭きながら、平田が言う。
清司はそんな彼を見てため息をついた。
「まあ、そんなもんだろ」
「な、なんの話?」
清司には大体見当がついていたが、近藤にはさっぱりわからない状況だろう。
ふと、胸ポケットの中の紙片を思い出した。
“何でも屋”の名刺だ。
こんな形で、見ず知らずのやつ。
しかも男に渡すことになるとは思いもしなかった。
できることなら渡したくはない。
しかし、今の平田には気休めでも頼れる人間が必要だろう。
思わず苦虫を噛み潰したような表情になりながらも、そう思いなおし、清司は名刺を取り出す。
平田に渡すと、彼は疑問符を浮かべながら聞いてきた。
「“何でも屋”、ですか?」
「心霊関係のな。寺も神社もどうにもならなかったら連絡しろ」
清司はそう言って立ち上がり、その場をあとにした。
◆
清司がコーヒーを購入してから再び教室へ戻ると、三人は完全に暇を持て余し、だらけていた。
充晶は椅子にのけぞり、康樹は机に突っ伏し、太壱はスマートフォンのゲームに勤しんでいる。
清司は特に何を言うでもなく自分の席に戻ると、買ってきたコーヒーに口をつけた。
「遅かったじゃーん」
机につっぷしたまま、くぐもった声で康樹が言う。
「なんかあったー? 腹でも下したー?」
「腹は下してねぇよ」
続けて充晶が天井を見上げたまま、どうでも良さげに聞いてくるが、清司はバッサリ否定した。
そして。
「人助けでもしてたか?」
「……………」
太壱の発言に思わず黙り込む。
なんでわかったと言わんばかりに視線を向けると、
「ただの勘だけど……図星?」
そう言ってゲームの手を止めた。
清司は頭をガシガシと掻きながら、仕方なしに答える。
「ちょっと色々あってな……名刺渡したから、もしかしたら、近々依頼の電話、来るかもな」
清司のその言葉に、ガタガタっと派手な音がした。
一人は立ち上がり、一人はひっくり返って床に転がっている。
立ち上がったのは康樹。床に転がったのは充晶だ。
太壱は珍しいものを見るかのような表情でこちらを見ている。
「な、なんだよ……」
三人の反応に驚いていると、
「せ、清司が……」
目を丸くして康樹がそこまで言って止まる。
「名刺を使うなんて……」
やはり驚いたのか、太壱が続け、
「いやぁ、びっくりしたぁ……」
床にひっくり返った充晶が、起き上がるのも忘れ、清司を見上げて言った。
まあ、その反応も仕方ないといえば仕方ない。
名刺を渡された当日、清司は最後まで名刺を受け取るのを拒否していたのだから。
清司はため息をつくと、黙ってコーヒーを流し込んだ。
◆
心当たりがあるなら神社か寺へ。
彼はそう言った。
学校からの帰り道。
黙々と歩きながら考える。
心当たりは確かにあった。
あの本を開いたことだ。
あの本を、開いた次の日から、おかしなことは始まった。
最初は些細なことだった。
階段の上段で躓いて転げ落ちそうになったり。
自転車とぶつかって道路に飛び出しそうになったり。
そのうち明らかにおかしなことが増えた。




