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境界に佇む者たち  〜柳谷清司の怪奇録〜  作者: 風月
サイキック・ケースワーカーズ 結成譚
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5章「受け継ぐもの」(弐)

 何が起こっているのか。


 この男は何をしようとしているのか。


 制服のボタンを外され、胸元がはだけると同時に、男の手がスカートの中に入ってきて、弄られる。


 そこで何をされるのかを理解した。


 このままではいけない。


 声を荒げ、必死に男を押しのけようと抵抗する。


 しかしそれすら男の加虐心を煽るだけで効果はない。


 下着に手をかけられ、いよいよもう駄目かと諦めかけたとき。


 暴れたときに落ちたのだろう。


 昔、実の父が、何かの賞を取ったときにもらったガラス製のトロフィーが手に触れた。


 それを手に、自分の身体に夢中になった男に振り下ろす。


 痛みに男が怯んだすきに、もう一度。


 痛みで動けなくなったところで、男の体から這い出し、もう一度。


 頭をめがけて何度も。


 そうしているうちに、男は動かなくなった。


 気がつくと、床に血が広がり、それがどんどん輪を広げていく。


 男はピクリともしない。


 はあ、はあ、と肩で息をする。


 呆然としていると、玄関が開く音がした。


 母親が帰ってきたのだろう。


 ああ。


 この状況を見たら、なんて言うだろうか。


 手に持ったままだった、赤く染まったトロフィーを棚に置き、はだけた胸元を抑えて駆け出す。


 廊下で母とすれ違う。


 母は何も言わなかったが、リビングの状況を見て悲鳴を上げた。


 コートを乱暴に掴み、急いで靴を履いて玄関から飛び出し、駆け出す。



 がむしゃらに走って、気がつくといつもの公園にいた。


 一つだけある街灯が、冷たい光を放っている。


 当然、公園は誰もいない。


 しんと静まり返った中、ベンチに腰を下ろす。


 ひんやりと冷たい感触が、衣服越しに伝わってきた。


 自分は、あの男を殺してしまったに違いない。


 そう考えると、身体が震えてきた。


 起こったことが、頭の中で再生される。


 いつもどおりに、少し遅い時間を見計らって帰っただけなのに。


 自分の人生はもう、取り返しがつかないだろう。


 いや、たとえ取り返しがきいたとして、あの男が無事だったとして、自分に何が残るのか。


 学校ではいじめられ、自分の家すら安全ではない。


 どこにも居場所なんてない。

 

 絶望感でいっぱいになり、あふれ出た涙が止まらない。


 ふと、芝生の上に木材やロープの束が置かれているのが目に入った。


 冬囲いのための道具だろうか。


 ふとした考えが頭をよぎった。


 このままあのロープで首を吊ってしまえば、何もかも終わらせて、楽になれるのではないか。


 それはとても、今までで最高の、良い考えのように感じて、泣いていたことも忘れてふらりと立ち上がる。


 置かれていたはしごを木の幹にかけ、なんとか良さそうなところまで登る。


 手近にあった丈夫な木の枝と、自分の首の後ろでロープをかた結びにして、ほどけないことを確認して。


 そしてそのまま、はしごを蹴って倒すと、空中に身を踊らせた。


 木と自分の首に結ばれたロープが、音を立ててピンと張る。


 全身の重さが首一か所にかかり、ぐえっと声が漏れる。


 強制的に呼吸が止まり、意図せず両手が首を掻き、もがくように足がバタつくが、それもすぐにおさまった。


 意識は途切れ、すぐに切り離される。


 全ては、終わりを迎えた。



 気がつくと、目の前には自分が木の枝からぶら下がっていた。


 まだぶらぶらと揺れているが、その四肢はだらりと垂れ下がり、動く気配はない。


 足からは液体が垂れ流しになっており、それが自分の尿だと知った。


 顔は苦痛に目を見開き、眼球が飛び出さんばかり。


 首は体重と重力の影響で引っ張られたためか、妙に伸びている。


 喘ぐように開かれた口からは舌がはみだしていた。


 これが自分の死に様か。


 そう思うと、あまりに滑稽で笑えてきた。


 生きている間はあんなに苦しんできたのに、死ぬのはこんなにも一瞬で、あっさりしたものだった。


 自由になった。


 これで誰も自分をいじめないし、殴らない。


 襲われることもない。


 居場所はどうかわからないが、少なくとも、人の目を気にする必要はない。


 あとはあの世でもどこでも行けばいい。


 そう思っていた。



 朝が来た。


 自分はなんの変化もない。


 ぶら下がる自分の死体とともに、ただそこに居た。


 昼間近くになって、公園に人が来ると、ぶら下がった自分が発見された。


 すぐに警察や救急車などが来て大騒ぎになる。


 と、そこにあの男の子の姿を見つけた。


 話しかけても大丈夫だろうか?


 でも、こんな状況では遊ぶことはできない。


 自然と「ごめんね」と口にだすが、誰にも聞こえないだろう。


 そう思っていた。


 が、男の子が自分の名前を呼び、ぱっと振り返る。


 男の子と視線があったその瞬間、彼は驚いた表情とともに息をのんで、その場に倒れてしまった。


 子供が急に倒れたことで、現場は更に大騒ぎになる。


 新しい救急車が呼ばれ、すぐに男の子は運ばれていった。


 どうしてそんなことになったのか。


 理解はできなかった。



 どのくらい時間が経っただろう。


 何故か自分では公園から出ることはできなかった。


 どこにも行けず、ただ流れる時間を過ごす。


 過ごしているうちに、木枯らしが吹く頃になると、自分と同じような人が、自分と同じように人生を終わらせることが増えた。


 はしごに登って、木の枝と首にロープを結んで、ぶら下がる。


 そんな光景を、何度も見た。


 でも、自分と同じようにさまよう人は現れない。


 かわりに、首を吊った木には、片付けられたあとも消えないロープが増えていった。



 木の枝がロープで埋め尽くされる頃。


 季節は春。


 夕暮れ近くに男の子が一人で遊んでいた。


 気まぐれに近づくと、男の子は無邪気に遊びに誘ってくれた。


 なんて楽しいんだろう。


 こんなの、いつ以来だろう。


 こんな時間がずっと続けばいい。


 そう思った。


 なのに。

 一人の少年がふらりと現れて、男の子を連れ去ってしまう。


 嫌だ。


 こんなに楽しいのに。


 この時間が終わるのは許さない。


 無意識に悲鳴を上げ、少年を追いかける。


 自分の足は公園からは出られなかったが、追いかける手は少年の首を掴んだ。


 もう離さない。


 ほどなくして少年は公園に戻ってきて、ベンチに座る。


 心の声が聞こえる。


(俺を殺すのか?)


 彼には自分が見えているらしい。


 そんな人に、そんな酷いことはしない。


 でも、自分と一緒にいてほしい。


 そう思うと、自然と手は彼の首に力をかけていた。


 もう少しで、彼も自分と一緒になれる。


 その時だった。


 彼が何か声を発した途端、自分が吹き飛ばされる。


 見ると巨大なトラが、彼と自分との間に立ちふさがっていた。


 あんな大きな動物、見たことがない。


 驚いていると、それはしゅるりと姿を日本刀に変えた。


 気を取り直して再び彼の首めがけて飛びかかる。


 と、伸ばした両腕が斬り落とされた。


 痛い!


 いたいいたい痛いいたいいたい‼


 しばらく感じていなかった痛みにのたうち回る。


 そうこうしているうちに、自分の体が透け始めた。


 あ。

 自分は消える。


 そう理解した時には、世界は真っ暗闇に閉ざされた。



 ここはどこだろう?


 何だか悪い夢を見ていたような気がする。


 周りは真っ暗だ。


 でも、遠くに白い光がある。


 あそこに行けば、何かあるかもしれない。


 そう思い、ゆっくりと歩き出す。


 白い空間に着くと、そこには公園によくある、椅子が二つぶら下がったタイプのブランコが一つあるだけだった。


 なんとなしにそれに座って、揺られてみる。


 少し懐かしかった。


 と、見覚えのある少年が、隣のブランコに座った。


 ああ、あの男の子だ。


 やっと会えた。


 しかし、少年と最後に会ったときのことを思い出し、胸が痛くなる。


「ごめんね」


 自然とそんな言葉が出た。


 少年は、あのときとは違う、少し大人びたふうに「何を謝ることがある?」と言った。


「こんな事になるなんて思わなかった」

「こんな事……?」


 自分が木の枝からぶら下がったあの時を思い出して、自嘲気味に言う。


「君がまた来てくれるとも思ってなかったから、うれしくて……」


 そう。


 あの時はそれもあった。


 もう、会うこともないと思っていた。


「前に会ったことあったっけ?」


 ああ、それだけ時間が経ってしまったのか。


 目の前のあの子はもう、ちいさな子供ではないのだから。


 でも、忘れられるのは少し、寂しい。


「忘れちゃったよね」


 そう言うと、彼は「……ごめん」と目を伏せた。


 そんな顔をさせたいわけではない。


 そう思い、謝る。


「いいの。私が悪いの。私が嫌になって、諦めちゃったから」


 そうだ。


 自分はあの日、全てを諦めたのだ。


 だからこんなことになっている。


 しかし彼には伝わっていないようで、


「諦めた? 何を……」


 彼がそう言って首を傾げたその時。


『——るじ!』


 誰かが彼を呼ぶ声がする。


「あ? 何だこの声」


 声の主に覚えがないのか、彼の眉間にシワが寄った。


『目を覚まされよ!』

「うるさいな……」


 年相応に苛立ちながら言う彼を、少し微笑ましく思う。


 そうだ。


 彼にはちゃんと帰る場所、居場所がある。


「……戻ったほうがいいね」

「そうか?」


 自覚がないのだろう。


 彼はまたもそう言って首を傾げた。


 ああ。


 もうそろそろ時間だ。


 なんとなくそんな気持ちになる。


 長い時間から解放された感覚が、安堵感になっている。


 たとえこのまま、消え去るのだとしても。


「私を……消してくれて、ありがとう」


 元の世界に戻りかけている彼に、つぶやくように言う。


 聞こえただろうか。


 彼は最後に振り向いたが。


 まあ、どちらでもいい。


 もう、何も思い残すことはない。


 静かに消えるだけ。



「——っ!! はぁ! はぁ! はぁ!」


 目が覚める。


 視界には、窓から差し込む柔らかい光といつもの天井。


 清司は起き上がると、寝汗でぐっしょりになったせいで、肌着や寝間着が肌に張りついている不快感と、未だにおさまらない呼吸と鼓動の速さに顔をしかめた。


 一人の少女の苦悩と苦しみ。

 死に垣間見た安らぎ。

 その後の長い時間。 

 消える瞬間の想い。


 そんなものがないまぜになって、一気にかけめぐった。


 同時に、彼女の思いが脳裏をかすめる。


 彼女はずっと、独りだった。


 生きている間も、死を選んだあとも、ずっと。


 そして、この先は誰とも交わることのないしかない。


 それを彼女に与えてしまった。


 どうしようもない自責の念に駆られ、清司は膝を抱えた。


 自然と涙がこぼれてくる。


「俺、あの人を……殺したんだな……」


 そう独りごちて。


 目覚ましの音が鳴るまでの短い時間、独りむせび泣いた。


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