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境界に佇む者たち  〜柳谷清司の怪奇録〜  作者: 風月
サイキック・ケースワーカーズ 結成譚
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5章「受け継ぐもの」

 目の前には、顔を真っ赤にして激怒する男がいた。


 男はこちらの胸ぐらをつかんで喚いている。


「ごめんなさい! ごめんなさい! 叩かないで!」


 恐怖で目に涙をいっぱいにためて懇願するが、男は容赦なく顔を打ち据えてきた。


 バチン! という音と鋭い痛み。


 同時に、細い体が床を転がった。


 口の端が切れたのか、血の味が広がり、まともに受け身も取れず、全身に痛みが走る。


 男から少しでも離れようと、身をよじらせるが、それすらも気に食わなかったようで、男は容赦なく蹴りをいれてきた。


 本能的に身を縮めて、体の中心を守るような姿勢をとる。


 しかしそれすらも男の怒りの火に油を注いだようだ。


 髪を乱暴に鷲掴みにされると、そのまま玄関まで引きずられ、外に放り出されてしまった。


 自分が何をしたというのだろう。


 早く終わった学校から帰ってきて、自室に行こうとしたら呼び止められ、この状況だ。


 しばらく呆然と玄関を見つめていたが、今度は別の女性の悲鳴じみたわめき声が聞こえ、逃げるようにその場を後にした。



 裸足のまま、行く宛もなくとぼとぼと歩く。


 上着もカバンも持ってくることができなかった。


 冬も近い秋の空は、黒い雲が立ち込めている。


 寒さと、雨の予感にどうしようかと困り果てていると、公園の遊具が目に入った。


 近づいて見てみると、ドーム型の遊具があり、大人でも入れそうな空洞がある。


 ここなら雨も、多少の寒さもしのげるかもしれない。


 そう思い、中に潜り込んだ。


 中は薄暗く、少し湿った土の臭いがする。


 靴下が土の湿気を吸い濡れてきたが、何も履いていないよりマシだった。


 しんとした中、再び考える。


 私が何をしたというのか。


 打たれた頬に触れると、熱を持っているのがわかった。


 口の中の出血は止まったのだろうが、まだ血の臭いが残っている。


 悪いのは、あんな男と再婚した母なのに。


 抱えた膝に顔を埋める。


「……お父さん……」


 目を閉じて、優しかった、死んだ実の父を思い出す。


 そのままウトウトと眠りについた。



 寒さで目が覚めた。


 どれくらい眠ってしまっただろうか。


 ハッとして顔を上げる。


 外はまだ日は落ちていないようだが、先程より気温が下がっているように感じた。


 身震いして膝を抱えなおす。


 夜になれば、あの男は外に出かけていくはずだ。


 それまで耐えなければならない。


 と、外からポツポツと雨の音が聞こえだした。


 ついに降り出した雨に、気分が落ち込む。


 そこに、小さな子供が駆け込んできた。


 お互いに顔を合わせて、驚きの声を上げる。


 男の子は一人なのか、他の子供達の気配はない。


 気まずそうに外の様子を確認しつつ、こちらのことも気にしている。


 外の雨は激しさを増してきた。


 これでは外に出るのは無理だなと諦めた様子で、男の子は正面に膝を抱えて座った。


「えっと。おねえさんは、どうしてここにいるの?」


 沈黙に耐えられなくなったのか、男の子は不思議そうにそう聞いてきた。


 それはそうだ。


 本来子供が遊ぶために使う遊具に、男の子からすれば十分大人に見える自分が潜り込んでいるのだから。


 外の雨音がさらに強くなる。


「うーん。そうだよね」


 少し考えて、


「ここなら、見つからないかなって思ったんだ」


 そう言って笑顔を作った。


 ちゃんと笑えているかは自信はなかったが。


「かくれんぼ?」


 自分の答えに、男の子は子供らしく首を傾げながらそんなことを言う。


 まさか、自分の母親の再婚相手のクズ野郎に、暴力を振るわれたあげく家を追い出されたなんて話ができるはずもなく、笑顔を貼り付けたまま「そうだね」と、答えた。


「そと、おれしかいないよ?」 


 やっぱりこの子は一人で遊んでいたのか。


 そのことに少し同情を覚えながら、会話を合わせることにする。


「そっかー。みんな雨降ってきたから帰っちゃったかなぁ」

「じゃあ、ひとりぼっち?」

「そうだね」

「さみしい?」

「今はキミがいてくれるから寂しくないよ」

「そっかー。よかったね」


 男の子は、子供らしい眩しい笑顔を見せる。


「フフッ。ぼく、お名前は?」


 あまりの無邪気さに、思わず笑みが溢れた。


「おれ? やなぎやせいじ! ごさい!」


 元気よく言って手を広げてみせてくる。


「おねえさんは?」

「私? 篠宮しのみやミカ。十七歳です!」


 自分も元気を装って男の子にあわせ、手で年齢の数字を表現して答えた。


 すると、少しはにかみながら


「ミカさん」


 と呼ぶ。


 五歳児にさん付けで呼ばれるのもなんなので、


「ミカお姉ちゃんでいいよ」


 と答えた。


 いつの間にか気持ちがほぐれ、自然な笑顔になる。


 と、せいじと答えた男の子は指をもじもじさせ、少し照れたように


「ミカおねえちゃんは、あしたもここにくる?」


 と、聞いてくる。


 一瞬迷ったが、これ以上あの男に会いたくなかったし、暴力を振るわれるのもゴメンだった。


「毎日来るよ」


 男の子を見てそう答えると、


「ホント⁉」


 と、とても嬉しそうな顔になった。


「うん」


 こちらも嬉しくなり、そう大きく返事をする。


「じゃあ、おれもまいにちくる!」


 そう言いながら小指を差し出してきた。


 自分もその小さな小指に小指を絡め、ゆーびきーりげーんまーんと二人で歌う。


 絡めた小指はとても小さく、温かかった。


 外に目をやると、雨脚は弱まり、少し空も明るくなっているようだ。


 子供ならもうすぐ帰らないと、親に心配されるだろう。


「そろそろ帰らないと、おうちの人心配するんじゃないかな?」


 そう言って、帰るよう促した。


「うん」


 男の子はそう言うと立ち上がる。


「また明日ね」


 遊具の外に出た男の子に、試しにそう言うと、満面の笑みで振り向き、深々と頷いた。


「うん! バイバイ!」

「バイバイ」


 手を振って、雨の中を駆けていく。


 安心して家に帰れるあの子が、無性に羨ましかった。



 学校では、理由のないいじめの標的だった。


 下駄箱や机の中身が、ゴミ箱に捨てられているのは日常茶飯事。


 授業で当てられれば立つだけで嘲笑の的となり、プリントが前から配布されるときなどは「消えちゃえ」「死ねばいいのに」などと囁かれることもしょっちゅうだ。


 休み時間になれば当然教室の中に居場所などなく、ただ自分の席で黙って時間がすぎるのを待つだけだった。


 トイレに入れば、酷いときなどはバケツの水を上からかけられ、水浸しになることもあった。


 その時は家に帰ると、母親に理由も聞かれず、クリーニング代のことでくどくどと怒られた。


 体育の授業などは悲惨だ。


 チーム分け、組分けではいつも余される。


 常に「篠宮菌が伝染る」と、バイキン扱いだ。


 一度、どうしてこんなひどいことをするのかと聞いたことがあった。


 その時は


「顔がムカつくんだよね」


 と、ひどい理由を言われた。


 昼食はいつも一人。


 そもそも弁当も、実の父が死んでからは作ってもらったことがない。


 自分で毎朝、前の日のおかずの残りとご飯を詰めて持参していた。


 それも自分の夕飯を削って用意しなければ、余分な量などはなかった。


 それすらも、教室の自分の席で食べようものなら、これみよがしに避けられるか、食べている弁当を奪われ、目の前で捨てられることもある。


 仕方なく、普段は誰も使わない旧校舎のトイレでこっそり食べるのが日常となった。


 教員に相談したりもした。


 しかし、どの教員も「お前が何かしたんだろう」と、相手にはされなかった。


 諦めるしかなかった。



 公園であの男の子と出会ってから、学校から帰るのが待ち遠しくなった。


 帰り道はまっすぐに帰らず、必ず公園に寄る。


 公園では、いつも男の子が笑顔で迎えてくれた。


 それにどれほど救われたか。


 男の子と遊んでいる時間が、唯一何も考えなくていい、心が休まる時間だった。



 学校からの帰りが公園への寄り道というコースが定着した頃、突然パタリと男の子が姿を見せなくなった。


 初めは風邪でも引いてしまったのかとも思った。


 しかしそれが三日……一週間と長くなると、違う心配が心の中に浮かぶ。


 もう、この公園で遊ぶことに飽きてしまったのではないか。


 あの子はもう、来ないのではないか。


 そんな不安が心を支配する。


 一人では、特にやることもない。


 男の子と最初に出会ったドーム型の遊具の中で、隠れるように過ごす時間が増えた。


 もともと、男の子がいようがいまいが、自分が帰れる安全な場所などないのだから。



 公園で時間を潰し、夜になって男が酒を飲みに出かけた頃を見計らって帰る。


 そんな毎日にも慣れた頃。


 その日は、家に帰ると何故かまだ男がいた。


 すでに酒が入っているのか、男はいつもよりも赤ら顔で、その上機嫌が悪かった。


 すべてが最悪のタイミングで回りだす。


 どこかに出かけてしまったのか、母親はいない。


 男と家で二人きりという状況に、背筋が凍る。


 と、一度はリビングから出たものの、男に呼びつけられ、仕方がなく再びリビングに入った。


 途端、男に顔を殴られる。


 いつもそうだ。


 目が気に入らない。

 態度が気に入らない。

 足音がうるさい。


 理由はいつもそんなものだ。


 今日は何だというのか。


 殴られたあと、顔を伏せて痛みに耐え、なるべく男の逆鱗に触れないよう黙っていると、やはり男は手を伸ばしてきた。


 が、その手は顔を殴るでもなく、胸ぐらをつかむでもなく、胸元へと伸びる。


 制服の上から胸を弄られ、嫌悪感に思わず男の手をはたき落とした。


 やってしまった。


 恐怖が一気に全身を支配し、体が硬直する。


 しかし男は下卑た笑みを浮かべると、そのままこちらの体を床に引きずり倒し、覆い被さってきた。


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