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FOREST WIZARD~赤髪の少年魔法使いの物語~  作者: Lyric of Fantasy
第三章 王国の中心で嘘が崩れる

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9/12

九、霧の女

読む前に、まず再生してみてください。


この物語には、専用の音楽があります。

ケルトの旋律を流しながら読むと、文字がより深く、世界へと染み込んでいきます。


▶ BGMはこちら → [https://www.youtube.com/watch?v=nLcDQyHGrVY]

塔から出た時、空気が変わっていた。

日が傾き、都に夕暮れが落ちていた。長い影が建物の間を這い、石畳が橙色に染まっていた。

それだけではなかった。

霧がいた。

都の中に霧は似合わない。石の建物と整然とした道に、霧は違和感があった。でも確かに、塔の影に霧が溜まっていた。薄く、低く、地面を這うように。

少年はその霧の方へ歩いていた。

なぜかは分からなかった。足が、そちらへ向かった。

霧の中に入ると、温度が変わった。冷たいとは違う。普通の温度ではない感覚。少年は自分の手を見た。指先が、かすかに透けて見えるような気がした。

気のせいだと思った。

でも霧は深くなっていった。

「来たのか」

声がした。

女の声だった。

少年は周囲を見た。霧の中に、人影があった。はっきりとした輪郭ではなく、霧そのものが形をとったような、輪郭の曖昧な影だった。

「あなたは、誰ですか」

「さて」女の声は言った。「名前があるものかどうか」

少年は動かずに待った。

霧の影が、近づいてきた。

少しずつ形になっていった。女の形に。長い髪を持つ、青白い肌の女の形に。でも目が見えなかった。目の位置に、霧があった。光がなかった。

「お前が来たことで」女は言った。「少し、動けるようになった」

「あなたは、何者ですか」

「歌われなかったものたちの、残滓だ」

少年は息を呑んだ。

「歌われなかったもの……」

「そうだ」女は言った。「三十年の間に、歌われるべきだったのに歌われなかった声が、この世界には無数にある。死ぬ前に歌いたかった者の声。生まれた子供に歌って聞かせたかった歌。悲しい時に泣きながら歌いたかった旋律。誰かを送る時に口ずさみたかった別れの歌」

「それらが、消えずに残った」女は続けた。「歌われなければ消えるべきものが、行き場をなくして漂っている。私は、そういうものたちの集まりだ」

少年には、分からないことが多かった。でも何かが胸を打った。

「苦しいですか」少年は訊いた。

女は少し黙った。

「苦しい、という言葉が正しいかどうか」女はゆっくりと言った。「歌われなかったものには、感情がない。でも、行き場がない。それは苦しみに似ている。存在しているのに、存在できない。それが、三十年分、積み重なっている」

少年は都を見回した。

夕暮れの中に、人々がいた。行き交う人々。静かな人々。

あの人々の中にも、歌いたかった声が眠っているのかもしれない。誰かに伝えたかった言葉が、旋律に乗せたかった想いが、押し込められて眠っているのかもしれない。

「一つ」少年は言った。「聞かせてください」

「何を」

「あなたの中に、ある歌で。一番古いものを」

女は動かなかった。

しばらく、霧の中に静寂があった。

それから、音がした。

歌ではなかった。言葉でもなかった。音とも呼び難い、ただの振動だった。でもその振動の中に、何かがあった。悲しみのような、喜びのような、でもそのどちらとも言い切れない何かが。

少年の目から、涙が溢れた。

「……これは」

「三十年前に、死んだ老人の歌だ」女は言った。「その老人は生涯、一度も誰かに歌を歌ってあげられなかった。声が悪いと、子供の頃に笑われて。だから歌わなかった。でも死ぬ前の夜、夢の中で歌った。誰にも聞こえない夢の中だけで。それが、私の中に残っている」

少年は涙を拭わなかった。

「正しくなくていい、と」少年は言った。

「何?」

「その老人は、声が悪いと笑われた。でも夢の中では歌った。正しくなくていいから、歌いたかったんだと思う」

女は答えなかった。

でも霧が、少し揺れた。

「お前は歌うつもりか」女は言った。

「はい」

「止められないと分かっていても」

「止めたければ止めてください」

「止めない」女は言った。「止めるために、ここにいるのではない」

「では、なぜ」

女は少し間を置いた。

「見たかった」女は言った。「誰かが歌う姿を。三十年間、一度も見たことがなかったから」

少年は女を見た。

目のない顔を。霧でできた体を。三十年分の歌われなかった声を抱えた、この存在を。

「ぼくの歌は」少年は言った。「上手くないです。正しくないかもしれない。怖いです。王国の兵士に聞こえたら、どうなるか分からない。それでも」

「それでも?」

「あなたたちに、聞こえますか」少年は言った。「歌われなかったもの全部に、届きますか」

霧が、静まった。

女は答えなかった。

でも少年は、その沈黙の中に答えを見た。

届く。

歌えば届く。

完璧でなくていい。正しくなくていい。ただ歌えば、この女の中に積もった三十年分の声に、届く。

少年は踵を返した。

「どこへ行く」

「広場です」少年は歩きながら言った。「門のそばにあった、広場の真ん中に」

「そこは、人が多い」

「知っています」

「見られる」

「知っています」

「歌えば、何かが変わるかもしれない。分からない方向に」

少年は立ち止まった。

振り返り、女を見た。

「それが怖かった」少年は言った。「ずっと、怖かった。もし歌っても何も変わらなかったら。あるいは、変わりすぎたら。でも」

少年は、巨人の声を思い出した。石の道の振動を。老婆の目を。魔法使いたちの死んだ目を。王の疲れた顔を。女の抱える三十年を。

「変わらない方が」少年は言った。「ずっと怖い」

霧の女は動かなかった。

少年は歩き始めた。

広場に向かって。

石畳を歩くたびに、地面が振動した。

コツ、コツ、コツ。

どこか遠くで、谷の巨人がその音を感じているかもしれない。大地の底で目を閉じたまま、少年の足音を聞いているかもしれない。

塔の上で、王が窓を見下ろしているかもしれない。

霧の女が、後ろからついてきているかもしれない。

少年には分からなかった。

確かなことは、足が止まっていない、ということだけだった。

広場が見えてきた。

夕暮れの広場。石畳が橙に染まり、井戸が影を落としている。人々が端を歩いている。中央は、空っぽだった。三十年間、空っぽのままだった広場の中央が。

少年は、その空っぽの中央へと向かった。

この物語の続きは、音楽の中にあります。

▶ [https://www.youtube.com/watch?v=nLcDQyHGrVY] ←流しながら読むのがおすすめ


気に入っていただけたら、チャンネル登録もぜひ。


新しい物語が公開されるたびに、音楽も一緒にお届けします。

▶ チャンネル登録はこちら → [https://www.youtube.com/@Lyric-of-Fantasy]

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