間層 母のために《藤根 兎渡香》
「また無理したの、お母さん」
「ごめんねぇ。そんなつもりじゃなかったんだけど……ゴホッゴホゴホッ」
「大丈夫!?」
「だ、大丈夫大丈夫……いつものことでしょ?」
そう、これは藤根兎渡香にとっての日常だ。
お母さんは昔から体が弱く、倒れて病院のお世話になることがままあった。私が物心つく頃には親はお母さんだけで、女手一つで育ててくれた。体が弱いせいでずっと同じ仕事につけず、転々としていて、それもまたお母さんを疲労させている要因であるように思えた。
「……ごめんねぇ。こんなお母さんで」
「そんなことないっ! お母さんがお母さんで良かったってずっと思ってるよ!」
年々酷くなっていくお母さんの体調に、お金持ちの雪奈ちゃんに仕事を紹介してもらおうとも思ったが、お母さんに止められたこともあった。友人関係がそれで歪むのは嫌なのだそうだ。
少しでも楽ができたらと、私はお母さんに内緒で彼女の紹介のもとアルバイトをしているから今更なんだけどね。雪奈ちゃんの家が持ってる系列の飲食店で、直接の上下関係は無いし、あの子がそんなこと気にするタイプでもないから本当に助かっている。
いつも通り、病院の帰りにバイトのシフトを増やしてもらう連絡する。
中学からこんな感じだったし高校生になったところで今更何も変わらない。唯一変わって欲しいお母さんの体調も。明確な病名があれば少しは変わったかもしれないが、ただ体が弱いだけなので不便なことも多い。
「はぁ……」
気丈に、元気に、お母さんみたいな明るい私でいられているだろうか。秋と冬の境目の季節、日付が変わるタイミングで私は目を閉じた。
――起きたら世界が変わっていた。
世界にダンジョンと、スキルなるものができたらしい。
【五行拳】――
【五行拳・焔】
【五行拳・礫】
【五行拳・刃】
【五行拳・雫】
【五行拳・梢】
調べた通りに自分のそれを確認する。
感覚的にそれが攻撃的なものであるのが分かった。
一縷の望みを賭けてお母さんに確認しておいてバイトに向かう。その日、お母さんからの返信は無かった。
次の日、病院からの連絡で急いで向かった。
そして告げられたのは、お母さんの容態悪化。
特にダンジョンとかは関係なく、体の弱さから肝臓か何かの病気になったとのこと。
私にはよく分からなかったが、どうやら最悪死に至る危険な難病らしい。
あの日発症したそれは、現代の医療ではどうにもならないとか。結局お母さんが眠っているところだけしか見れず、絶望したまま帰ることになった。
それから、必死に何とかする方法を探した。
でも、病気を治すスキルの持ち主なんて見つからない。だからもう、眉唾な噂に縋るしかなかった。
「ダンジョンにはなんでもある……」
――不治の病すら治す薬だって。
だから私は二人を誘ってダンジョンに潜ることを決意したんだ。
◇
あの日から二週間。紆余曲折あって八百枝南君という面白おかしい人との縁もあったりしたが、向こうはあまりこちらに興味がないのか関わりは減っていった。人手があるに越したことはないんだけどそこは残念だった。
結局、未だ手がかりすら掴めていない。二人の都合もあって週末だけとはいえ、かなりの無理な行軍だった。それでも見つからない。
病状もさして変わらない。目が覚めて軽く話せたけどかなり辛そうだった。
――すぐに見つけ出すから、そんな決心は、今この瞬間崩れ去った。
授業が終わったタイミングで電話が鳴り、お母さんの容態が悪化したと病院から連絡か入ったのだ。今日保つかも分からないらしい。
「ど、ど、どうしよう! お母さんが……」
「兎渡香ちゃん、落ち着いてください。まずは確認が先です」
「そうそう、案外大丈夫ってこともあるかもだし」
「でも……っ!」
一瞬、何かを思案している様子の彼と目が合ったが、巻き込んだら悪いと思い今は気にしないことにした。
「……二人とも、ついてきてくれる?」
「もちろんです」
「ん」
急いで病院へ向かう。
私は余裕もなく走っていただけだったが、雪奈ちゃんが気を利かせてお家の車を用意してくれていたらしい。本当に頭が上がらないくらいお世話になっている。
そのまま病院へ到着してお母さんの病室へ急ぐと、そこには眠ったままのお母さんが色んな器具に囲まれていた。
「お母さんはもう、助からないんですか」
「……」
お医者さんは苦虫を噛み潰したような表情を浮かべて重々しく口を開いた。
「今日が峠でしょう」
「そうですか」
お医者さんと軽く話をして、病室を出る。アタマが真っ白になっていて何を話したかすら覚えていない。
今日が最後なんて、信じられない。信じたくない。今お母さんの傍にいたら、その瞬間が訪れてしまうんじゃないかと、現実から逃げ出すように病院の中を走った。
溢れ出す涙が床に落ちないように袖で拭いながら。どれほど徘徊して泣いていたか分からない。気付いたら病院の待合で雪奈ちゃんと友ちゃんに慰められていた。
「あがあざんが……ぐすっ、いなぐなっだら、わだじ……」
「兎渡香ちゃん……」
「……」
世界が変わっても、不変の摂理が理不尽に私を苦しめる。
お母さんが何をしたというのか。
どうして神様は私をひとりぼっちにさせるのだろう。
やるせない気持ちを持て余していると、何やら雪奈ちゃんが入口の方を指差した。
――ボロボロの制服に身を包んだ彼が、いつものように平気な顔をしてそこにいた。
「よ。蛇字丸さん達、この辺で今にもマズイ状況の患者とか知らない? ワンチャンにかけてみたいと思ってそうな関係者でもいいけど」
まるですべてを見ていたかのような口ぶりで、何かを企む南くんに、思わず声が漏れてしまう。
「な、んで……」
私の掠れた声を気にする様子もなく、彼はとぼけたような手振りで話す。
「えっと……ダンジョンでさっきキュアポーションっていう病気とかを治せるっぽいもの手に入れて。余ってるから来たんだけど……いる?」
「……!」
ボロボロの制服は、その壮絶な戦いの痕跡が感じられた。学校帰りにそのままダンジョンへ行ったのだろう。
私達の話を聞いていたのか、あの後急いでダンジョンに潜って、何のあてもない、あるかも分からないもののために命を賭して探して回ったというのか。
どうして、利用しようとした私なんかのためにそこまでするんだろう。その答えを導き出すにはあまりに彼のことを知らない。
だから今は、その優しさを受け取るしかない。他に私に道は無い。
「あり、がどう!」
「お、おう。気にしないでなー」
キュアポーションとやらを受け取る。ただ、今はどうやって感謝を示せばいいか分からないくらい疲弊していたので、とりあえず感謝のハグをして病室へ走る。
そしてお医者さんの静止も無視して私はお母さんに薬を飲ませた。
直後、お母さんの身体が淡く光り、痩せ細った頬すら元の元気な時のものに戻った。
やがてお母さんはゆっくりと目を開く。
「兎渡香……おはよう?」
「もう、心配、かけないでよぉ!」
私はお母さんを強く抱き締め、もう一人にしないでと強く願うのだった――。




