8話
今日はお琴のレッスンに来ている。
というか、ここ最近は毎日来ている気がする。
なぜ多忙な院瀬見家長女の私が狂ったように琴を弾いているのかというと、発表会が来週に迫っているからだ。
来週発表会といってもこんなに根詰めなくてもいいのでは、と思うのだけれど、どうやら私には琴の才能がないらしい。
確か飛鳥様は一度聴けばすぐにスラスラ弾けていたような。
私は何度弾いてもペンペン音が鳴るだけだ……
ポンコツでも才能は一級品の飛鳥様と違って、どうやら私は普通に凡人なので、琴に関わらず何事も努力量に比例した結果しかつかないらしい。
私が琴を狂ったようにペンペンペンペンやっているのも、凡人がなんとか院瀬見家の長女として発表会に立つためなのだ。
くっ!薬指を動かそうとすると中指と小指も動いてしまう!
というか、こんな冬目前の時期に発表会をしないでほしい!
寒くて指が思うように動かないよ!
「舞衣さん、背筋をもっとのばして弾きましょう」
うぅ、先生に注意されてしまった。
どうしても頑張って弾こうとくると背筋が丸まってしまう。
先生に呆れた目で見られるのが怖くて、ふと廊下の方に目を向けると着物を着た女の子のような人影が一瞬視界に入った。
え!?!?まさか座敷わらし!?
辞めてよーー私ホラー系大の苦手なんだから!!!
いくら福を呼ぶといっても座敷わらしって妖怪でしょ!?
しかも先生のお家、和風な造りで余計ホラー感が増すんですよ!!
私が突然挙動不審になったのを訝しみ、先生も廊下の方に目を向ける。
ほら!いますでしょう?着物を着た座敷わらしが!!
「あぁ、すみません、私の娘が来ていたみたいで。ほら凛子、こちらへ来て挨拶なさい」
む、娘!?先生お嬢様がいらっしゃるの!?
初耳だし、急に御挨拶だなんて……!
焦りながら琴の爪を外していると、もじもじと襖を開け女の子が入ってきた。
……わあ、かわいい〜〜!!
着物に和室に琴なんていう日本風のこの状況に違和感を覚えるくらいに、顔立ちは目がぱっちり、まつ毛がふさふさでフランス人形みたい!
私が凛子ちゃんの可愛さに見蕩れていると、もじもじしながら先生の背中に隠れてしまった。
「すみません舞衣さん、同年代の女の子に会うのが珍しいみたいで…こら凛子、舞衣さんに失礼でしょう」
「いえいえ、私も初対面の方には緊張してしまうのでお気持ちは分かりますわ。凛子さん初めまして、わたくし院瀬見舞衣と申します」
なるべく柔らかい口調で凛子ちゃんに話しかける。
するともじもじと先生の着物の帯を掴みながら凛子ちゃんが顔を出し、
「初めまして、藤春凛子と、もうします……よろしくおねがいいたします」
「お会いできて嬉しいですわ。私も同年代の女の子のお友達は少ないのです」
「お、ともだち……?」
「はい。わたくし達、こうして顔を見合せて御挨拶いたしましたでしょう?私は凛子さんとぜひお友達になりたいですわ」
「は、はい……」
緊張で震えてる凛子ちゃんを少しでも和ませられたら、と咄嗟に友達だなんて言ってしまったけど大丈夫だったかな……!?
凛子ちゃんはフランス人形みたいな目をパチクリとさせて固まっている。
緊張をほぐすどころか硬直させてしまってどうする!
私もあたふたとしていると見かねた先生がフォローを入れてくれる。
「分かりにくいかもしれませんが、これでも喜んでいるんです。ただ少し驚いているだけで……家庭の事情で凛子にはこれまで友達と呼べる方がいなかったのです。凛子の初めてのお友達が、淑女のお手本のような舞衣さんで、私もこの子もとても光栄です」
なるほど、人見知りの女の子といえば飛鳥様を思い出す。
いや、飛鳥様は厳密に言うと人見知りとは少し違うのだが、まあ似たようなものだ。
つまり何が言いたいのかと言うと、人見知りの女の子への対応は慣れているのだ。
「わたくしはここで琴の演奏を学ばせていただいているのです。今は発表会が近いので毎日先生にお時間をいただいて練習していて、ちょうど今ここの部分に苦戦していたところです」
楽譜を凛子ちゃんに見せながら、困ったように笑ってみせる。
私はまだたった7年ほどの人生しか過ごしていないが、習い事はその倍じゃ済まされないくらいいくつもやってきた。
が、ことごとく私にはどの楽器にもどのスポーツにも類い稀なる才能は持ち合わせていなかったらしい。
院瀬見家の長女としてどれも披露できる程度には仕上げているが、裏でこのように泥臭いレッスンをしてなんとか仕上げられているのだ。
これは琴に関しても例外ではなく、毎日練習してなんとか関係者が見にくる発表会で披露できるレベルにギリギリ仕上げる最中だ。
実はこんな笑っていられるほどの余裕などは一切なく、内心は非常に焦っている。
と、心の中で琴の譜面の難しさに叩きのめされていると凛子ちゃんがこちらに近付いてきて
「こ、ここ、ここここの部分は、楽譜では順手と書いてありますが、わ、わたくしは逆手で弾いています」
と尋常ではないほどドギマギしながら教えてくれた。
「まあ、逆手ですか?どう弾けばよいのでしょう」
正直、順手も逆手も上手く弾けないのだが。
凛子ちゃんはじっと譜面を見つめたかと思えば、着物の袖を正して琴の前に座り直した。
もしかして弾いてくれるの!?わーい嬉しい、なんておきらくな思考は一瞬で吹き飛ぶ。
凛子ちゃんが溢れるほどの大きな瞳を伏せ、琴を奏でたその一瞬で魅せられてしまった。
本当に同い年?
子供の、しかも女の子がこんなに力強い音を出せるの?
かと思えばしなやかに、次の音は軽やかに、まさに超絶技巧というやつだ。
私の練習していた曲はこの歳にしてはレベルの高いものだったが、子供が弾けるレベルの曲なので華やかさには欠ける。
……はずなのだが、なんだろうこの聞き入らずにはいられない演奏は。
凛子ちゃんの細やかな指使いに見蕩れていると、いつの間にか演奏が終わっていたらしい。
「……はっ!すみません、あまりにも素晴らしい演奏で見蕩れていましたわ。凛子さん、琴がとてもお上手ですのね!」
「い、いえ、ありがとうございます。つ、拙い演奏しかできませんが……」
「そんなことありませんわ!」
思わず凛子ちゃんの手を握ってしまう。
演奏の興奮がおさまっていないのだ。
「今まで聴いてきた中で凛子さんが一番琴を上手に奏でていましたわ!終わったことに気づくのも遅れたくらいです!」
「あ、あの、そのあの……」
「次は別な曲を弾いてくださいませんか?そうですねぇ、例えば……」
凛子ちゃんがどこまで弾けるかは分からないが、かなり難しい曲もきっと弾けるのだろう。
なにをリクエストしよう、と考えていると
「舞衣さん、すみませんが凛子が少し疲れてしまったみたいなので、また今度演奏させてください」
と先生に宥められてしまった。
凛子ちゃんの手を握りっぱなしにしてたことに今更気づき、急いで離した。
「大変失礼いたしましたわ。凛子さん、素敵な演奏ありがとうございます。是非またお会いできるのを楽しみにしておりますわ」
「は、はひぃ」
目をくるくるさせながら凛子ちゃんが空気の抜けたような返事をしてくれた。
院瀬見家の送迎のインターホンの音で、凛子ちゃんの登場という想定外のスケジュールによって琴のレッスンの時間がもう過ぎていたことに気がつく。
「先生、本日もどうもありがとうございました。凛子さん、また是非お会いしましょう」
「ぜひ、私からも凛子をよろしくお願いいたしますわ」
放心状態の凛子ちゃんの代わりに先生とお別れの挨拶を交わす。
今日はまともな琴の練習はできなかったけど、新しいお友達ができそうでなんだか心が浮つく。
「お嬢様、30分後には家庭教師の方がいらっしゃります」
「わかっているわ。少し空気を吸いたいから窓を開けてくださる?」
「かしこまりました」
高級大型ミニバンの送迎車に揺られながら風を浴び、凛子ちゃんが奏でていた琴の音を反芻した。




