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静かな場所で



 一人で目を覚ます朝には、いつも少しだけ時間が止まっている気がする。

 カーテンの隙間から差す光が、部屋の奥を淡く照らす。

 寝息の音も、食器の触れる音もない。

 ――こんな静けさに、もう慣れたと思っていた。けれど、今日の空気はどこか違っていた。


 窓を開けると、冷たい風が吹き込む。

 微かに揺れたカーテンの裾が、足に触れて冷たい。

 部屋は広くなったわけでもないのに、空間だけがやたらと余って見えた。


 机の上には、昨日のままのマグカップ。

 冷めきったコーヒーの表面に、薄い膜が張っている。

 その光景だけで、ふと、さやのいた頃の朝を思い出す。


 彼女はいつも、ニュースを見ながらコーヒーを飲んでいた。

 話しかけても、返事は遅れて、どこか上の空だった。

 けれど、あの沈黙も、思えば“共生”と呼べたのかもしれない。

 そう思えるようになったのは、今になってからだ。


 愛していなかった。

 それでも、確かにそこに「誰かがいる」時間があった。

 言葉を交わさなくても、同じ空気を吸って、同じ朝を迎えていた。

 それだけのことが、どれほど貴重だったのか――失って初めてわかる。


 俺はこれまで、彼女といた日々を「空っぽな時間」だと思っていた。

 感情がなく、義務のように続いていた生活。

 けれど、本当は違ったのかもしれない。

 そこには、静かに流れる体温のようなものが確かにあった。

 俺はそれを「ぬくもり」と呼ぶことすら知らなかったのだ。


 コーヒーを流しに捨て、新しい湯を沸かす。

 立ちのぼる蒸気の向こうで、時計の針が音を立てて進む。

 さやがいなくなっても、世界は動き続けている。

 誰かの朝が始まり、誰かの夜が終わる。


 窓の外を見下ろすと、通勤する人たちの流れがあった。

 同じ駅へ向かう群れの中に、誰一人として同じ人はいない。

 それでも、同じ街の空気を吸って生きている。

 それが人の“共生”というものなのかもしれない。


 孤独というのは、誰かがいないことじゃない。

 自分だけが止まってしまったときに、生まれるものだ。

 そして俺は今、その止まった場所から、少しずつ外へ歩き出そうとしている。


 湯気の立つマグを手に取り、ゆっくりと口をつける。

 苦みが喉を通り抜けるとき、胸の奥がほんの少しだけ温かくなる。

 愛がなくても、人は誰かと生きていける。

 けれど、その誰かを失って初めて気づくのだ。

 愛の有無よりも――共にあったという事実こそが、人を生かしていたのだと。



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