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葬式の日


秋雨の降る朝だった。

葬儀場の屋根を叩く雨音が、やけに静かに感じられた。

線香の匂いと湿った花の香りが混じり合い、空気が重く沈む。

人の声は遠く、どこか現実味がなかった。


――さやが、死んだ。


告げられたとき、俺は「そうか」とだけ答えた。

それ以上、何も言えなかった。

驚きも、悲しみも、まるで他人事のように感じた。

ただ胸の奥のどこかで、小さな音がひびいた。

その音が何なのか、自分でもわからなかった。


棺の中の彼女は、穏やかな顔で眠っていた。

十年前、婚約を交わしたときとほとんど変わらない表情だった。

あの頃も今も、彼女は静かで、何を考えているのかわからなかった。

その沈黙が心地よくて、俺は一緒にいることを選んだ。

愛していたからではない。

ただ、離れる理由がなかったからだ。


式が終わるころには、参列者の数もまばらになっていた。

黒い傘がいくつも開き、雨粒の中に消えていく。

俺は玄関口で傘を差しながら、しばらく立ち尽くしていた。

雨脚は弱まらず、靴の先からじわじわと冷たさが染み込む。


「これで、終わったんだな……」


誰に向けた言葉でもなかった。

ただ口から零れた。

十年という時間が、あっけなく一日で終わる。

その現実だけが、妙に重かった。


帰りの電車は、異様に静かだった。

窓に映る自分の顔は、ひどく他人のように見える。

携帯の画面には、一週間前にさやから届いた短いメッセージが残っていた。

「帰りに牛乳買ってきてね」

それを見て、ふっと笑った。涙ではなく、笑いだった。

どうして泣けないのか、自分でもわからなかった。


---


あの日の午後の光は、今とはまったく違った温度を持っていた。

窓から差し込む日差しは柔らかく、照らされた机の上には書類の山が整然と積まれていた。

俺はスーツの袖を整えながら、さやの顔を思い出す。微笑んでいたのだろう。礼儀としての微笑みだった。


婚約を決めたのは十年前の冬。

両家の顔合わせの場で、俺たちはほとんど言葉を交わさなかった。

親たちは喜び、親戚は祝福し、俺たちはただ頷いた。

心の奥にあったのは、愛情よりも「面倒ではない相手」という安心感だった。


「そうじ、これからもよろしくね」

さやが静かに言った。

俺は「こちらこそ」と返すだけだった。

手を握るでも抱きしめるでもなく、隣に立ち、同じ方向を向く。

空気が奇妙に居心地よく流れていた。


帰り道、街灯に照らされる雪道を並んで歩く。

会話はほとんどなかった。沈黙は日常の心地よい音だった。

さやの手が偶然触れそうになる距離を保ち、ただ歩く。それだけで十分だった。


式の準備も淡々と進めた。

衣装合わせ、招待状、食事のメニュー。

笑い合う瞬間もあったが、感情はほとんど混ざらなかった。

笑顔は笑顔として、沈黙は沈黙として存在していた。

それが当時の俺たちにとっての「共生」だった。


---


婚約後の十年間も、日常は静かに流れた。

朝はそれぞれのリズムで動き、昼は互いの生活を尊重し、夜は別々の部屋で過ごすこともあった。

言葉は必要最低限、触れ合うことも稀だった。

それでも、存在の輪郭を互いに知り、安心感を持って共に暮らしていた。


休日に買い物に出かけても、手をつなぐことはなく、ただ並んで歩く。

スーパーの通路を歩き、必要な物をカゴに入れる。

互いに求める必要も、裏切る必要もない。

これが俺たちの「共生」の形だった。


夜、布団に入ると肩は触れ合わず、言葉も交わさず。

それでも互いの存在を感じながら眠ることができた。

愛という形はなくても、共に生きるという確かな感覚があった。

だからこそ、十年後の葬式で雨音を聞きながら、俺は静かに彼女を思い出すことになる。

"""


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