THE WATER
俺たちが此処バーモントにやってきたのは3年前。
俺がバーモント大学に入学して母さんが亡くなった年のことだ。
「いってくるよ」
「気をつけてね。イーサン」
同居人のセラと軽いキスを交わして学校へ出発。いつものように彼女は好物のカフェオレとホットサンドをゆっくりと時間をかけ食べている。
故郷のブルックリンと比べてこの町は何だか静かでおとなしい。でも此処のほうが俺は落ちつく。俺は自前のコーヒーで喉を潤し、相棒のスケボーを走らす――
『みんな、ありがとう。ありがとう』
真夜中に適当なTV番組を観る。拍手喝采の中でその野球選手がスタジオへあがる。手を振りながら投げキッスっていう彼のファンサービスも忘れない。
『今日はゲストに今年も球界を大変盛り上げてくれたトッド・ステアーズ選手を迎えております。今年も素晴らしい成績を残してオフシーズンに入ったね?』
『ああ、普通の人間でプレーするショウタよりエキサイトだっただろう?』
『素晴らしい活躍だったよ! でも、やっぱり彼の名前をだしちゃうのか?』
『いや、ださなくてもいいけどな? 俺が彼の名をだせば盛り上がる事だし?』
なんとなく眺めていた。俺が観たいのはこの番組にでてくるオオツキだ。でも、ここはアメリカ。日本人の彼がこういったバラエティに出演することもない。日本の番組に出演するほうが理にかなっている。「だよなぁ」と独り溜息。
「起きていたの?」
後ろからセラの声。
「ああ、ごめん。テレビの音がうるさかった?」
「ううん、私もたまたま目を覚ましただけよ?」
彼女は難病を患って外にでる事ができない。この家でお気に入りのギターを弾いて過ごすことしか出来ないから、昼夜逆転する事だって珍しくない。
俺のほうがこんな真夜中に目を覚ますことのほうが珍しい。どうもレポートを書くのに疲れて机に顔を伏せたまま寝ていたらしい。
「コーヒーの飲み過ぎじゃないの?」
「それはない。さっきまで寝ていた」
「そう。私は水を蓄えて寝るわね?」
「おやすみ」
セラは母さんと同じ難病を患っている。強い日光に当たってしまえば蒸発してしまう。この変な病は4~5年前からアメリカで流行しだした。人間が水となる病。可笑しいことを言うだろう? でも、読んで字の如くそうだ。感染した人間は液状の体を現わすようになる。そこに肉も骨もない。体の全てが水だ。
THE WATER.
世界はこの病をこう呼ぶ。
セラは幼少時代から音楽活動をはじめ、20歳を迎えた時に念願のブレイクを果たそうとした。しかし彼女は大きなステージでの演奏後に舞台裏の野外で突然倒れて水人間となった――
水人間となった者はその肌や骨を取りもどすことはできない。ましてその体が貧弱な性質にある者は多少の日光で蒸発して命を亡くす。毒になる汚れが蔓延し、瞬時に泥水と化して地に還ってしまう者も――
体が丈夫な奴は水人間となっても平気なようだ。いまさっき、テレビに映ったトッドでも司会者のアンソニーでも水人間のまま大舞台で活躍し続けている。
スマホのグーグルでトッドやアンソニーが水人間でなかった頃の写真を眺める。
「そうか。こんな顏をしていたのか」
コーヒーを飲みながら俺はまた独り言。
コーヒーが好物の俺は元々白人だったけど、今は真っ黒な水人間の黒人だ。
もしかして、今のアメリカに人種差別なんてものはないのかもしれない。
いや、ないこともないのか? 水人間に溢れかえっているこの国は諸外国から良くも悪くも好奇の目に曝されている。水人間を見る為に世界各国から観光客がやってくるぐらいなのだから。人権もクソもあったものじゃない。
「この国は俺が生まれても死んでも何も変わらないよ」
いや、もうちょい前向きな言葉でこのレポートを締めくくりたいな。
「自由の国! 万歳!」
いいな。これでいこう。俺はレポートの末尾にその言葉を入れることにした。力作を書き終えた俺はそのままにベッドに向かう――
翌朝、うるさいほどドンドン鳴る玄関ドアの音に目を覚ます。
俺は目を擦りながら「こんな朝から何だ?」とチェーンをかけたままのドアを開ける。
「イーサン・ジョブスか?」
水人間ではない。ハッキリとした肉と骨を持った人間だ。久しぶりに目にした。アメリカ人の全てが水人間になってないことを実感する。
「そうだけど? オタクは誰?」
「この町の担当になったクリスチャンだ。クリスチャン・ジョンソン」
そう言うと彼は警察手帳をみせる。最初から警察と言えばいいものを。面倒な野郎がこの町にやってきたと俺は深く溜息をついた。今日はせっかく祝日なのに。
「お前さんはこないだ健康診断を受けたな?」
「ああ。そうだよ」
「朗報がある。国が水人間から元の人間に戻す科学技術を確立した」
「何だって?」
「俺を見ろ。俺もその恩恵にあずかった」
「それは……でも、まだニュースにもなっていない。話が本当ならばSNSでも大騒ぎになるだろ?」
「ああ、だからこんな田舎から試験的に始めていくのさ」
「そっか……今すぐ俺にも施してくれるのか?」
「ああ。だが俺がココにきたのは他に理由がある。むしろそれが本題だ」
彼はそう言うと背中のバッグからバキュームのホースを取りだした。
「ここに死んでいる筈の人間をかくまっているな?」
「何の話だ?」
「大統領が替わり、この州の法も改正された。重病のウォーターは尊厳死を優先される。重病の者を匿い秘匿する事も重罪だ。それが殺人を犯した者だったならばなおさらだ。水人間でなくてもな?」
全てを見破られた。
鼓動が早まり加速する。
「イーサン、もう諦めましょう」
後ろからセラの声。
いや、母さんの声。
「キャシー・ジョブス。やはりここにいたのか。セラ・ローレンを舞台中に殺害、成りすまして延命するとは……」
「いくつか間違っているわよ? 私が彼女を殺してはいない。彼女に憧れていた私が彼女になっただけのおはなしよ?」
母さんはセラ・ローレンの活動をファンの1人として熱く応援しつづけた。その熱は彼女がブレイクして大舞台に立つとなった時に最高潮に達する。だが、そのタイミングで母さんは彼女に拒絶された。
俺も母さんと一緒に彼女の活動を応援した。「家族になろう!」とファンレターだって毎日のように書いた。だけど、彼女は名声を得るたびにドンドン俺たちから遠くなる。
だから俺たちは水人間となった事を盾に復讐した。
でも何事も思うようにいかないもの。大統領が替わり、水人間でも重症な者は「尊厳死」として国や州が処理するという法がたてられることとなる。
病弱な人間として生きている筈の母さんは国から処理されるデメリットまでも背負うことに。だからセラの病気はだいぶ良くなったと俺は周りに吹聴してゆく。もっとも、歌手活動を若くして引退した彼女が学生の俺と何故か生活を共にするなんていう設定を怪しむ者もいない事もなかったが……。
水人間から人間に戻る。そんな日がやってくるとなると余計……な。
「ここ1カ月、アンタたちのことをつけていた。どうやら俺たちの見立てどおりだったようだ。だけど皮肉なものだな。アンタたち親子はこの1件がなければ、仲睦まじい親子そのもの。人間の姿に戻してやりたいと思えるほどに……」
「いやよ」
「なに?」
「いやに決まっている。今の私はセラ・ローレンよ? これほどまでに五体満足なことある?」
「何を言っている?」
「私は彼女そのものになったの」
「遺言はそれだけか?」
「この国は自由よ。音楽と同じでね」
「ドアを開けろ。すぐに楽にしてやる。このサイコババァ」
「私は自由の象徴」
母さんはお気に入りのギターを壁にそっと立て掛けて両手を広げる。
「イーサン、ドアを開けなさい」
俺はドアのチェーンを外す。
もう心臓が爆発しそうだ。
あの日、あのときにやった芝居がリアルに再現される事となる。
「ウワアアアァァァアアアアアァァァアアアアアアアアアアァァ!!! 母さん!! カアサンッ!」
俺は嘘偽りのない絶叫とともに母さんに抱きつく。
「アンタを殺すのに無駄玉使うくらいなら、もう一杯やってくるんだったぜ……ったく、これだからアメリカは嫌いなんだ。あばよ、地獄で会おうぜ」
耳がひき千切れる轟音といっしょに俺と母さんの物語は終わる――
セラ・ローレンとイーサン・ジョブスでの全米を泣かせる話。
その筈だった。
あのレポートで世の中を震えあがらせたかった。
あともう少しだった。
Dead in the water.
∀・)ご一読ありがとうございました♪♪♪
∀・)夏ホラー2025×アメリカになろうで1作書こうということでこういうのを書きました(笑)
∀・)夏ホラー2025の「水」と色々テーマを掛けております。少しでもホラー作品として楽しんで貰えたならば嬉しいですね☆☆☆彡