マリの宮殿にて
ヤリムに連れられて、マリの広大な宮殿にたどり着いた。
門をくぐると、一気に緊張してきた。でもヤリムは歩みを止めない。役人と思しき人に何かを告げ、さらにどんどん奥へ進む。
それにしてもこの王宮は……とにかく部屋が多い。油断すると一瞬で迷子になってしまいそうだ。
動物や人の行列が描かれた鮮やかな色彩の壁画。上等な敷物、象眼細工の木製家具。置いてあるものがいちいち豪華すぎる。さすが西の大国・マリの王宮である。
すれ違う人々はヤリムに恭しくお辞儀する。やっぱりヤリムって結構偉い人なんだなと再確認する。私のことはどう見えているのだろう。
「ノア様、この先が玉座の間や」
少し先に、重厚な木製の戸、その前に控える警備の兵が見えた。
「この先に……ジムリ・リム王がいるのね」
「えぇ。……それでノア様、なにがあっても暴れないでくださいね」
「え? うん。なんで?」
「すぐにわかります」
そう微笑んで、ヤリムは警備の兵に合図をした。重厚な戸が開かれる。
ギギギギ……
眼前に広がったのは――
明るく、天井の高い部屋。
部屋の端にはずらりと高官らしき人や、美しく着飾った女性が並んでいる。
奥に置かれた玉座。そこに優雅に腰掛けた人物は、部屋に入って来た私たちをまっすぐ見つめている。
マリ王、ジムリ・リム。
褐色の肌に銀色の短髪が映える、たくましい肉体を持った凛々しい男性。
第一印象はーー
ーーこいつもイケメンだったかーー!!
ヤリムと2人、数多の視線を浴びながら進む。
そして王からほどほどの距離で立ち止まり、ヤリムは深々と頭を下げる。一緒に頭を下げておく。
「陛下、突然押しかけ申し訳ございません」
ヤリムの声に、ジムリ・リムが口を開く。
「まったくなぁ、お前が女性を連れてくるとは何事や?」
その声は明るく朗らかで、あまり支配者らしくない、フレンドリーさがあった。
ヤリムが顔を上げ、私の手を取る。
「陛下にいち早くご報告したかったんです。陛下、俺、婚約しました」
「?!」
秒速で隣のヤリムを振り返ると、ヤリムはニッコリと笑い、私の手を取り、指にはめた指輪を王に誇らしげに見せつけた。
「こうして大事な母の形見の指輪も受け取ってもらいまして、ヤリム・アッドゥ、ついに身を固めます」
「ちょっ…………」
そんなの聞いてないんだけど!!
抗議の声をあげようとしたその瞬間、玉座の間に大きな笑い声が響き渡った。声の主はーージムリ・リムその人だった。
「アッハッハ!!ヤリム!バビルから戻ってきた思ったら結婚か? 驚いたぞ!おめでとうな!!」
玉座に座り、大きく口を開け豪快に笑っている。すごく豪快に笑っている。それに釣られてか、周りの人々からも歓声と拍手が上がった。
「ありがとうございます、陛下。俺、幸せになります。どうか我らに祝福を。我が最愛の妻に王のご保護をお与えください」
「いや、ヤリム?!」
「俺たち夫婦になるもんなぁ。2人で陛下に祝福されて、幸せになりたいなぁ?」
ヤリムがものすごい微笑みフェイスで圧をかけてくる。
部屋に入る前に暴れるなと言ったのはこのことだろうか。それにしても婚約だなんて、ヤリムはなにを考えているんだろうか。
ジムリ・リムは楽しそうに立ち上がり、ニコニコのヤリムとアワアワな私の前に、歩いてきた。その姿は堂々としていて、輝かしい。
「もちろんだ!ヤリム、お前は長年国によく仕えてきた。本当によく尽くしてくれた。そんなお前の新たな門出を祝福しないわけがないだろ。
……あー、この2人に幸があらんことを。ヤリムとその妻に保護を与えよう。このマリにおいて、我が祝福を受けし者、王の保護を得し者に手を出すことは、何人たりとも許されぬ」
そう高らかに宣言して、王は私とヤリムの頭をポンポン、順に触れた。
よくわからないが祝福されてしまった。なんてことだ。
「陛下。ありがたき幸せです」
ヤリムが礼をする。
それからジムリ・リムはまじまじと、見定めるようにこちらを見てきた。自然と背筋が伸びた。
「……それで、お前の妻となる、幸運なこちらの女性のお名前は? 遠く異国のお姫様か?」
隣からヤリムが手を握り、優しく見つめてきた。睨み返すとヤリムはプッと笑って、王を振り返り話しだす。
「こちらは以前、突如ラルサに現れた『神からの贈り物』。ノア様です」
ヤリムの言葉に、ついさっきまで賑やかだった玉座の間から、拍手の音も、笑い声も、ぴたりと消えた。
さっきまであんなに笑っていた王も、固まった。
「いろいろあって、俺の妻になってくれたんです。どうです、かわいいでしょう?」
こんな静まりかえった空気の中でも、ヤリムは飄々と、にこやかな表情を崩さない。
目を逸らしたくなる沈黙ののち、王の口が、慎重に開かれる。
「……『神からの贈り物』は、ハンムラビの妻になると聞いている。ヤリム、まさか無理矢理連れて来たのか?」
「いえいえ、ノア様は自らの意思で俺のもとに来てくださったのです。ね? ノア様」
くいっと首をかたむけるヤリム。その目を見ると、なにか考えがありそうな……気がしなくもない。
「『神からの贈り物』……本当にそうなのか?」
王は私に問いかける。
これは……私から王に直接、話せということなのか。
横目でヤリムの反応を見ながら、慎重に、答える。
「……はい。ジムリ・リム王。私は自らの意思でヤリムのもとにきました。……陛下に、どうしても伝えたいことがありまして」
「俺に?」
「はい。バビル軍が……これからマリに対して恐ろしい兵器を使おうとしています。なにも対策をとらなければ、この街の人々は凄惨な最期を迎えます。それをお伝えするため来たのです」
ジムリ・リムの眉がピクっと動いた。
空気がざわついた。
「バビルがなにやら怪しげな兵器を持っていることは、俺もバビルにいる間に把握しとりました。でも詳細はわかりませんでした。ノア様はそれを実際に見て危機感を抱き、俺らに伝えるため、単身ここへ乗り込んできたんです。それが……あまりに非人道的なものやから、たとえ敵国であろうと使ってはならないと、命懸けでここまで来たんです。なんとも勇気ある行動でしょう」
ヤリムが補足してくれるが、ジムリ・リムは腕を組む。悩んでいる。
そりゃそうだ。だって敵国の王の女が、これから自国が使おうとしている兵器の話をしにくるなんて、裏があるとしか思えない。罠だとしか思えないだろう。
悩ましげな表情で、王はストレートに聞いてきた。
「……それで、その兵器の話をして、俺にどうしてほしいんや?」
私も率直に答える。
「バビルと和平協定を結んでください。あの兵器を使う理由を、あの軍に与えてはいけません。あれはあまりにも危険なものなのです。この街が焼け野原になります」
「なんでそれを俺に言う? 使わせたくないならハンムラビに言えばいいやろ」
王の声は厳しい。
「おっしゃる通りなのですが、バビルの王家もいろいろありまして……」
「兵器を使おうとしているのは、イルナ王子の派閥です」
どこからどう説明しようかと悩んでいると、ヤリムがフォローしてくれた。
ヤリムの言葉で王はすぐに理解したようだった。日頃からバビルの内部事情を聞いていたのだろう。
「…………」
王は腕を組み、黙る。
玉座の間は再び静寂に包まれる。
「…………」
嫌な汗がじんわり、背中ににじむ。
隣のヤリムは変わらない。私の手を取り、指で遊んでいる。
そして王が、重々しく口を開く。
「……ヤリム。お前は彼女を信じるんやな。それで婚約しただなんて宣言して、俺に彼女を保護するよう誓わせたんやな」
「はい。陛下、騙すような真似してすみません」
ヤリムは軽やかに頭を下げて謝った。
……そうか。
王は「新婦」となる私に、王の保護を皆の前で誓った。この世界の誓いは重い。万が一の場合でも、そう簡単には私に手を出せなくなる……
ヤリムめ、そういう大事なことは先に言ってほしい。
ジムリ・リムは銀色の髪をかきあげ、顔をゆるめて私を見た。
「……ラルサでハンムラビが『神からの贈り物』を得たと聞いた時、どうせ小賢しい策を使った、しょうもない女がきたんやろうと思ってた。是非とも茶化してやろうと思っていたが……まさかこんなに勇気ある女性だったとはな」
「そ、そんなたいしたものではありません」
「いや、敵国の女性ながら見上げたものだ。……話はわかった。それではノア殿。その恐ろしい兵器とやらのこと、詳しく聞かせてくれないか」
「…………は、はい!」
「ノア殿、ようこそマリの王宮へ。歓迎しよう」
両手を広げる王の微笑みに、全身の力が抜けた。
チラッと隣を見ると、ヤリムがニッと笑いかけてきた。




