その頃陛下は【side エシュヌンナ】②
「アウェル!お帰りなさい!」
「サーラ、ただいま」
ここしばらく、アウェルはバビルに派遣されていた。夫の無事の帰還にサーラの顔はパッと明るくなるが、アウェルの顔には疲れがありありと浮かんでいた。その疲労は長旅によるものだけではなさそうだった。
アウェルはサーラにひと言投げかけたあと、すぐに王の元へ向かう。いつもとは違う様子のアウェルを、サーラは遠巻きに心配する。
「陛下。書記官アウェル、ただいまバビルより戻りました」
アウェルに気づいたラビは、険しい顔つきが幾分か緩まった。
「アウェル。よく戻った」
「……陛下、出兵の準備ですか?」
「あぁ。ノアとムトがマリに攫われた。マリに向かう」
「なんと……!お二人とも……いやそれにしても、これは絶妙なタイミング……」
「どういうことだ?」
ラビが眉をピクリとさせる。アウェルはラビをまっすぐ見据える。
「……陛下。大事なご報告が」
◇◇◇
――少し前にラビは、シンから奇妙な話を聞いた。先の戦争で捕らえた前ラルサ王が、「死者を蘇らせる儀礼」の話をシンに明かしたのだと言う。
その儀礼の方法が記された文書がラルサの神殿奥深くにしまわれていると、前ラルサ王は言った。だがシンが調べたところ、そんなものは見つからなかった。
だが、前ラルサ王が言うには――
『その儀礼文書は、征服した都市で見つけたものだ。古いシュメール語で書かれている。そこの神官曰く、かつて王がその儀礼を成功させ、望んだ死者を蘇らせた。
だがそれは過酷な儀礼だったそうだ。術者は自身の生命を差し出さねばならない。儀礼を行った優秀な神官は、まもなく死亡した。しかも彼の生命を吸収し蘇った死者は、世にも恐ろしい姿をしていたらしい。
……そこで神官と相談し、その文書はラルサの神殿奥深くに封印することにした。それと、蘇った死者だが……王に儀礼を行うよう進言した連中が運び去り、どこかに閉じ込めたようだ。…………その連中とは誰か? そこまでは知らない』
ーーその話を聞いて、ラビは瞬時に思い出した。
かつてヌマハが、『お家には「決して近づいてはいけない場所」があったんです。入ちゃうと死んじゃうんだって、パパが言ってました』ーーと、無邪気に話していたことを。
ラビはウル・シンの周囲を調査させるため、アウェルをバビルへ送った。
そしてアウェルは王の期待に応え、重大な情報を王に持ち帰った。
「陛下、やはり『蘇ったおぞましい死者』は、長年、ウル様の屋敷内、地下の部屋にいたようです」
やはり存在したのか。ラビはため息をついた。
「そうか。……死者を蘇らせるなんて、冗談かと思ったが……」
「はい、真実だったようです。そしてそれがつい先日、外に出ました」
「外に出た?」
「戦場で使うために慣らしていたのでしょう。その『死者』はほぼ不死身の巨体と、とんでもない怪力を持っており、戦場に出せば一騎当千。それひとつで街を滅ぼせるような存在だということです。関係者に聞き出したところ、それは『ギルガメシュX』と呼ばれていたそうです」
ラビはアウェルの顔を覗き込む。
「まさか、『死者』は……あの英雄、ウルクのギルガメシュ王なのか?」
「どうやらそのようです。偉大なる英雄を兵器扱い。ウル様は恐ろしいことをなさっています」
離れた場所で聞いていた、サーラもダガンも目を丸くする。ナディアはショックを受ける。
「……あの屋敷にそんなものがあったなんて……」
ラビは腕を組み、悩ましげにアウェルに尋ねる。
「アウェル。それを…………戦場で使うため、とはどういうことだ?」
アウェルは落ち着いた声で答える。
「陛下。イルナ殿下がマリ討伐のため、挙兵の準備をしています。まもなくバビルを発ち、一週間後にはラピクムあたりにつくはずです。『死者』はその戦場で、兵器として使われるのでしょう」
「イルナが挙兵?!なぜ勝手に?!…………あぁ、ウルの指示か」
ラビは目を開け声を荒げ、でもすぐにいつもの落ち着いたトーンに戻った。
「……あの方に振り回されるイルナ王子も不憫です。ウル様は『死者』を使いマリを征服して、イルナ王子の力強さを示したいのでしょうね」
イルナの妹であるナディアの顔が、暗くなる。
ラビは深く息を吐いた。
「ウル・シン……。ここに来て本性を現したな」
――ウルとは難しい関係にあるが、彼は敵国を滅ぼすために兵器を使おうとしている。バビルにとって問題がある行為ではない。
それでもラビはウルの行動を歓迎できなかった。王に無断で勝手に挙兵したから、だけではない。禁忌の儀礼で蘇った死者を、それも古の英雄を兵器扱いする行為。容易く容認できるものではなかった。
それに、おそらく今、マリにはノアとムトがいる。
その場にいた全員が、目を地面に落とした。
「……つまり、マリには……ノアちゃんとムト将軍がいる。そこに、ギルガメシュXとかいう、世にも恐ろしい人間型兵器を持ったイルナ王子の軍が向かっている、と。さて、ここからマリに向かって、間に合うかな……」
いつもより低い声で発されたダガンの言葉に、ラビは無言で歩きだし、部屋を出た。その拳は強く握られ、細かく震えていた。
「陛下!…………」
アウェルは王のあとに続き、部屋を出た。
椅子にかけたナディアは、王と夫の背中を目で追うサーラを見上げ、聞く。
「……サーラ、ウルは……マリがノア様とムト将軍を人質にとり、例えば停戦の交渉をしてきたとして……話を聞くかしら」
サーラは肩を落とし、ため息混じりに答える。
「ナディア様の実の父上のことを、悪くは言いたくないですが……あの方は目的の達成のためなら、なんでもする方です」
ナディアは膝に乗せた手を、ギュッと握った。
「そうね。私もそう思うわ。我が父ながら恐ろしい。それに、禁忌の儀礼で蘇らせたいにしえの英雄を……兵器のように使うなんて。なんておぞましいことでしょう……」
「ほらね。嵐の神の街には災厄が降り注ぐんだよ」
ダガンがぼそりとつぶやいた。
縁起でもないこと言わないでくださいと、サーラが怒る。




