CHANGE ②
「母上、急に来ちゃってすみません。でも、どうしてもお会いしたくって……父上はここに来ることをお許しにならなくて、それでこっそり上から来ました」
「そっか。……ムトは?」
「部屋に閉じ込められています。下手に動いたら母上がどうなるかわからないぞと、脅されて……」
「そうかぁ……。イルナ君、座って座って。スープでも飲む? 冷めちゃってるけど美味しそうだよ」
イルナ王子が眉をひそめる。
「……それ、毒入りじゃないですよ。飲んで大丈夫ですよ。ご心配なら毒見しますけど」
「え?!いやいや、疑ってるわけじゃなくて……ただ食欲がわかなくて残してただけなの」
「俺への嫌味かと思いましたよ!……いや、嫌味を言われて当然ですね。……母上……あの時は本当に申し訳ありませんでした」
イルナ王子が頭を深々下げるが、なんのことやら…………
あ。
「バビルの凱旋パーティーの時の、毒入りスープの話?」
「……はい。まさかあのスープに毒が盛られているとは、俺知らなくて……信じてもらえないとは思いますが、俺、本当に知らなかったんです。でも結果として母上を苦しめてしまったことには変わりません。ごめんなさい」
そうして頭を下げ続ける王子。
恐ろしい出来事だったことには間違いないが、この少年が自主的にやったことではなかったとわかり、少しホッとする。
イルナ王子は素直でいい子に思える。親の顔が見てみたい……が、親と子は全く別物だ。
ウルさんは実の息子をも利用している。どこまでも恐ろしい人だ。
「……王子、顔あげて。大丈夫だよ。……それより王子の実のお父さんのこと、あまり悪く言いたくないけど……ウルさん、かなり危険なことをしているし、これからまたしようとしている。シュメールの復権がなんとかって言ってたけど……イルナ王子は知ってる?」
王子は顔を上げた。でもその目は暗く沈んでいた。
「はい……」
「あの……恐ろしい武器、というか兵器のことも知ってる?」
「はい。……ギルガメシュX。恐ろしいですよね。……それにアレ、かわいそうですよね。英雄があんな……」
イルナ王子の顔がますます暗くなる。
「少し前に、たまたまアレを見てしまった女官がいて……一度は屋敷から逃げ出したのですが、連れ戻されて……父上は実験と称し、アレに握りつぶさせていました」
「え……」
「敵国とはいえ、アレに襲われるマリを可哀想とすら感じます。父上の指示があれば、女子供も見境なしに殺されます」
「…………!」
……ヤリムが言っていた「バビルの王家が最終兵器を準備している」という噂は、その女官から流れたのかもしれない。
それにしても。恐ろしい人が恐ろしい兵器を手にしてしまったものだ。まさに最悪だ。
「なんとか……なんとかお父さんを説得して、使わないようにできないかな」
イルナ王子は目を閉じ、首を横に振る。
「父上はシュメールのために人生を捧げてきた人です。シュメール王朝を復興するため、あらゆる犠牲を払い、手を尽くしてきた。今更止められないでしょう」
「でもアレは……使っちゃダメだよ。たとえ敵国であろうとダメだと思う。ウルさんを止めないと!陛下に早馬を出して、止めるよう話してもらうとか……」
「ラビにアレを止める理由がありますか? 兵を使わず、アレひとつで厄介なマリを倒してくれるんです。むしろありがたい存在になるのでは?」
「でも……」
「それに……例え王が止めようと、ウルはもう止まらないでしょう。だって、あんな兵器を持っている人です。ラビの軍にだって対抗できますよ。俺は……それがなにより怖いです。ウルがそうしないのは、俺に父殺しの汚名を被せたくないから。まだそのくらいの理性はあるんです。それもいつまで持つか……」
「…………」
マリでアレを使って。
ウルさんのタガが外れてしまったら……
次に標的になるのは陛下かもしれない。
2人、暗い床に目を落とす。
壁の松明の炎が作る影がゆらゆら、床で揺れる。
ポツリポツリと、イルナ王子が話し出す。
「…………俺、シュメールの文化が好きです。父上が教えてくれた、古い歌や言葉が好きです。ウルの気持ちはわかります。父上の悲願を叶えられるのは俺しかいないですし、期待には応えたいです。……
……でも俺、母上を排除するとか、ラビを裏切るなんてとてもできない。だってラビは俺の憧れの人だから。理想の王そのものだから。強くて賢くてかっこよくて……優しくて」
そう語るイルナ王子の声は、震えていた。
「王子なんて、俺は別になりたくなかったです。本音を言えば逃げたいです。でも俺が逃げたら、この重荷は弟のヌマハが背負うことになる。そんなの……アイツには可哀想だ」
「王子…………」
王子の目は潤んで、今にも涙が溢れ出しそうだった。
「あんな殺戮兵器、使わないでほしいです。でもウルは、これは俺の王位ためでもあるんだって……でも俺、そんな王位とか求めてないです」
「…………」
「時々……胸が引き裂かれそうに感じます。俺は……母上、俺は一体、どうすればいいんでしょうか」
少年の静かな叫び。
それは閉じ込めていた古い記憶を、問答無用で呼び起こした。
『乃愛はお父さんみたいに、お母さんを見捨てたりしないわよね?』
『乃愛には期待してるのよ』
『お母さんには乃愛しかいないのよ……』
ドッ、ドッ、ドッ……
うるさく響く鼓動、早まる呼吸、背中に汗。
私はーーお世継ぎ争いに巻き込まれるのを恐れるばかりで、きちんと知ろうとしなかった。
でもその間、この子はひとりで抱え込んでいた。心が壊れそうなのを必死に耐えて――
私はあの時逃げられたけど、この少年は逃げられない。
さぞ孤独で、苦しかっただろう。




