将軍の懸念 【side ムト】
ノアと別れたムトは、イルナと共に、着替える服を慌ただしく選んでいた。
「ムト将軍、この服がいいんじゃないかな。着てみて。……サイズはどう?」
「はい、殿下。……ちょうどいいです。こちらを頂きます」
「うん。ムト将軍は男前だからさ、どんな服もよく似合うよね」
イルナがしみじみと言う。まだ16歳のイルナには、強くたくましい将軍・ムトは憧れの的だった。
「……それにしても父上……じゃない、ウル様と母上を2人きりにするのは……やっぱり心配だよね。早く部屋に戻ろう」
「お気遣いありがとうございます、殿下」
着替えたムトとイルナは、先ほどの応接間に早足で向かう。
――ムトはイルナを好意的に思っていた。イルナは自身の置かれた立場をよく理解している。
イルナは、「イルナ派」と「反イルナ派」の影でのせめぎ合いも、ノアの危うい境遇もよく分かっていた。そして対立が生じることにイルナが胸を痛めていることを、ムトは知っていた。
以前バビルの凱旋パーティーで、イルナがノアに毒入りスープを飲むよう勧めたことがあった。あとから調べてわかったことだが、ウルの忠実な侍女がイルナに、ノアに勧めるべきだと言ったらしい。イルナ本人はそれが毒入りスープだとは知らなかったのだ。
ムトの目には、イルナは年相応のごく普通の少年に映っていた。それに素直で真面目な性格。勉学や武芸の鍛錬にも精を出しており、ラビの後継者として十分に期待できる。
イルタニやサーラは彼の存在を敵視しているが、ムトはイルナを排除しようという気にはとてもなれなかった。
なにより、ラビがイルナのことを後継者として認めているように、ムトは感じていた。
――あのクーデターが起こってから。
ラビは正妻も娶らず、半ば無理やりあてがわれた側室の元へも通っていなかった。そこにイルナの実の父・有数の古い一族であるウル・シンが、「国の安定のためには後継者を早く決めなくてはいけない、子ができぬのならぜひ養子を」とラビに迫った。
ラビはそれをあっさり受け入れた。抵抗しなかった。そして養子としてやってきた子らを実の家族のように受け入れた。ラビはバビルにいる間、王子たちに剣技を教えたり、幼い第三王子を肩車してやったりと、仲睦まじく過ごしていた。王子たちもラビに懐いていた。
第1王子のディタナを隠れ蓑に、第2王子のイルナ、そして「保険」の第3王子ヌマハを使い、王家を乗っ取ろうと企むウルの思惑を、もちろんムトもわかっていた。だがラビがそれを明確に拒否しない以上、ムトにはウル達と敵対する理由がなかった。
ラビの血を引く者が王位を継ぐべきだという、イルタニ達の気持ちはわかる。だが完全に賛同することはできなかった。ラビが血筋にこだわらないなら、それでいいというのがムトの考えだった。
バビルの安寧が保たれるのなら、それでいいと思っていた。
ーーなのにあの日、突如。
ラビが、征服したラルサの神殿に現れた奇妙な女を、王妃にすると言い出した。
ムトは動揺した。
――あれだけ女を避けていた陛下が? 急に王妃を娶る? しかも、こんな貧相な女が、「神からの贈り物」だと?
ありえない。陛下はこの女に騙されている。きっと女はスパイか刺客で、巧みな演出で陛下に近づき、陛下の懐に潜り込んだのだ。
だが女、どこの差金か知らないが、陛下を甘く見るなよ。陛下の寝所に入れば最後、お前はすぐにでもここから逃げ出したくなるだろう。今まで何人の女が王妃の座を欲し、首を絞められ夢破れ、王宮を去っていったことか――
そして案の定。ラビと初めて過ごしたその晩、ノアもまた、苦しみを味わった。朝になれば去るだろう。
そう思っていたのに、翌日。
ノアは元気に王宮内の探検を始めた。
――なんだこの女は。
予想の外れたムトは、ノアを監視する。そしてノアが書庫で外交文書を読んでいるのを見て、ついに本人に疑惑をぶつけたのだった。
そしてライルから、さらに予想外の話――「王妃にふわしい女を召喚する儀礼」の話を聞く。
――まさか陛下とライルの間で、そんな儀礼を行う話がされていたとは。
なぜ陛下は俺に教えてくれなかったのか――。
ムトは嫉妬した。色々不満になった。
だが話してみるとノアは――ラビのことを知り、向き合いたいと言った。果敢にラビとの2回戦目に挑んだ。
そしてラビはノアに白旗をあげた。ムトは、戦場から逃げ出すラビを見るのは初めてだった。
さらにバビルへの旅路で、ラビのノアに対する態度は日に日に柔らかくなっていった。
ーーいつの間にか陛下はすっかりノアを気に入っている。ノアになら例のトラウマが起こらない。陛下の女へのトラウマが少しずつ和らいでいるのだろうか――
ムトは安堵しつつも、同時に新たな懸念も抱き始めた。
もしノアが陛下の子を産むような事になったら、陛下はイルナ王子達をどうするおつもりだろう?
ラビがどう考えていようと、イルナ派がノア排除に向けて動き出すのは目に見えていた。実際、ノアは毒を盛られた。今のところはその程度だが――。
それからーーなんやかんやあった。
(急に雑)
ノアはよく拉致られたし、よく拉致られた。だが何度離れても、ノアは陛下のもとへ帰ってきた。その度に2人は仲を深めていた。
敬愛するラビが、大切に大切に愛する女。
だからだろうか、奇妙に見えていた女を、ムトは段々気にせずにはいられなくなった。
……平民の自分にも分け隔てなく接してくるところ。陛下のために法典? を作るといい、なにやら懸命に勉強をしているところ。エシュヌンナの寝所から漏れてきた、予想外に甘い声……。
もちろん、バビルの王妃となる女だ。触れるつもりなんて毛頭なかった。だが、ムトは色々我慢できなくなり……今に至る。
こうして、まさかのノアvsイルナ派ボスの直接対決になってしまった訳だが――。
◇◇◇
先ほどの部屋に戻ると、ノアはいなかった。
「ウル様、ノアはどこです?」
ひとり優雅に座ってワインを飲んでいるウルに、ムトは動揺を必死に抑え、問いかける。
「早かったね。ムト将軍、すっかりノアさんを守る騎士のようだ」
ウルはそんなムトの様子を楽しげに眺めている。
「ノアはどこですか?」
イルナの視線はムトとウルの間を不安気に行き来する。ウルは答える。
「安心してください。彼女を殺したりはしませんよ。『神からの贈り物』が殿下のそばにいてくだされば、こちらとしてはありがたい。今は別の部屋で着替えていらっしゃるだけですよ」
「部屋はどちらに?」
「レディの部屋に入ってはいけませんよ。それより明日にはマリへ向かいます。将軍も準備しておいてくださいね」
「ノアのそばにいさせていただきます」
ムトが礼をし立ち去ろうとすると、外から警備の兵達がやってきた。ムトは兵たちを押し退け部屋を出ようとするが、一斉に槍を向けられた。
「!」
「父上!ムト将軍になにを……!」
声をあげるイルナを一瞥し、ウルは立ち上がる。
「ムト将軍。あなたは貴重な戦力だ。殺したくはない。しばらく大人しくしていてください」
ムトはウルを振り返り、キツく睨む。




