神からの贈り物【side ラビ】
バビル王・ラビは、本名「ハンムラビ」といった。
ラビは「偉大」、ハンムは「おじさん」という意味なので、合わせると「おじさんは偉大である」という意味になる。「おじさん」は一種の尊称ではあるが、気に入らないので人々には「ラビ」と呼ばせていた。
半年にわたるラルサ攻略戦を終え、ラビは神殿の前にいた。すでにライルが中で例の召喚儀礼の詠唱をしている。
――「俺が神に祈って、お前にいい女を召喚してやるよ!」というライルの提案。女なんてどうでもいいが、神から贈り物を授かることそれ自体はいいパフォーマンスになるとラビは考えた。だからライルには勝手にしろといったものの、儀礼が成功するかどうかラビは内心気にはなっていた。
あとは神殿に登り、王である自分が神に捧げ物をすれば、「召喚」の条件は揃うはず。
ラビは最後の供物を持ち、階段を上がり、頂上についた。屈服させたラルサの町が一望できた。
そこに供物を置く。深く礼をする。そしてラビは一歩、二歩、後ろに下がる。
すると突如、神殿の頂上がまばゆい光に包まれた。ラビは思わず腕で目を覆った。
目を細めると少しずつ弱まっていく薄ら黄色い視界の中で、捧げ物を置いた場所に黒いなにかがあるのが見えた。
それがうつ伏せに倒れている人間の女だと、ラビはすぐに気がついた。
召喚儀礼が成功した!――ラビの鼓動は早まった。
光が消え、女の姿がはっきりと見えてくる。柔らかくカールした茶色く長い髪、華奢な体のラインがわかる黒い服、そこから覗く脚は色白で、踵が異様に尖った黒い靴を履いている――ラビは固唾を飲んでその女を見つめた。
そして目を覚ました女がフラフラと立ち上がり、外を見回しはじめた。それから何か小さく呟いて、くるりと後ろを振り向いた。振り向きラビの視界に飛び込んできたその顔は、驚くほど――似ていた。
だがよくよく見ると、色白なところ以外は全く似ていない。なぜあの顔を思い出したのか不思議なくらい、似ていない。
こうして少し動揺したものの、光に包まれて現れたこの女、利用しない手はないとラビは瞬時に切り替えた。女に妻に迎えると告げ、抱きあげ、ラビは階段を降りだした。
下で待ち構えるバビルの勇ましき兵士たち、同盟軍の兵士たち、ラルサの王族役人たち・その他大勢の民衆たち。
彼らは皆、光と共に現れ今はラビの腕に収まる謎の女に釘付けになっていた。ここでラビは自分の選択が間違っていなかったことを確信した。
階段を降りていると、下から神官長が声を張り上げる。
「王よ……先ほどの光は? その女性はまさか……」
「そうだ。我は神より贈り物を授かった!」
問いに答えると、人々は一斉に歓声をあげた。
「我らが陛下が神から贈り物を授かった!」
よく通る神官長の声が響き、女が神の贈り物であると認められた。そしてそれは、バビルがラルサを陥落させたのは神の意向に沿うものであったと、バビル王は神に愛されているのだと、世に高らかに宣言できる強力な証となった。
ひと通りパフォーマンスを終えると、ラビは困惑しているだろう女をムトに任せ、神殿の中へ向かう。
その奥の部屋で、ライルがひとりぐったりと、壁に背を預け座っていた。ライルはラビが来たことに気づき、振り返った。
「……よう、来たか。勝手にしろって言うから勝手にさせてもらいましたよ。……驚いた? それで、どこ?」
「ムトに任せてきた。だが……あれがそうなのか? 奇妙な格好をした異国の女だったが」
「……異国の女?……いや、神は間違えないはずだ」.
「お前みたいに色白だが、見たことのない系統の顔をしていた。……まあ、ひとまずパフォーマンスとしては大成功だ。最高のタイミングに最高の演出だった。ライル、感謝する」
「…………」
ライルは呆然としている。
「ライル、ゆっくり休め」
「…………もったいなきお言葉、陛下」
そう言って、ライルは魂が抜けたように頭を下げた。
ラビより3つ上の、神官らしくないこの神官は、ラビがこの世で信頼できる数少ない人間の一人だった。キツイ儀礼だったのか、ひどく疲れているようだった。
◇◇◇
サーラ達に手入れされ、夕食に現れたノア。衣装のせいか、かなり見違えた。これが神の選んだ「王に相応しい女」なのかは疑問が残ったが、その顔立ちと白い肌は珍しく、神からの贈り物の肩書きに十分値するとラビは思った。
ノアと王は早速親密な仲になったと、皆に知らしめる必要がある。だがその最も手っ取り早い方法を寝所で使おうとすると、ノアは体を震わせ怖がった。
それを見たラビは、またーー
ーー無意識のうちに首を絞めていた。緩め、再び締めてを繰り返していた。
そして彼女の目から涙がこぼれたのに気づき、ラビはやっと我に帰った。
また、やってしまった――
ーーあの日以来、女を抱こうとすると決まってこうだった。まるでその瞬間、体を乗っ取られるような感覚に襲われ、気がつくと女の首を絞めている。自分ではどうにもできない。側室の女達にも怖がられ忌避された。
ラビは長年、そんな自分を諦めていた。これはあの時の呪いだと。
だがノアは神の選んだ「王に相応しい女」。きっと今回はうまくいく。
――そんなラビの淡い希望はあっさりと砕かれた。ラビの呪われた手は「神からの贈り物」にすら伸びてしまった。
そしてノアもまた、他の女同様ラビを怖がった。ラビが湯浴みをしている間に彼女は別室に逃げ、翌朝も顔を合わせると分かりやすく恐怖を浮かべた。
――そうだ。俺を怖がればいい。怖がって、俺とはあまり関わろうとせず、ただ俺のお飾りの妻として、便利な駒として大人しくしていてくれればいい。――ラビはそう、自分に言い聞かせた。
それなのに。
夕食に現れたノアは別人のようだった。恐怖ではなく憐れむような目を向けてきたし、それにとにかくよく喋る。
さすがに寝室に連れて行けば怖がるかと思ったが、ノアは怖がるどころか白目を剥いてベラベラペラペラしゃべり出す。黙って聞いていれば、せっかくだから仲良くなろう、まずは男友達から始めましょうと意味のわからない提案までし始めた。
そして、ラビは驚いた。
「陛下といっぱい仲良くなりたいです!」
――そう言ってふわりと微笑むノアに、不覚にも心奪われた自分自身に、女は苦手なはずなのに彼女をかわいいと思った自分自身に、ラビは驚いたのだ。
だが長らく女性を避けてきたラビには、その感情をどう処理すればいいのかわからなかった。だから無様にも逃げだした。
「……陛下。ノア様は怖い目に遭っても逃げださず、陛下が女嫌いだと知り、何かいい方法はないかと模索され、陛下とまっすぐ向き合おうとされています。陛下もノア様と向き合うべきではないですか」
逃げ出したラビの目の前にサーラが現れ、腕を組み、厳しい顔をする。確かにその通りだと思いつつも、ラビは頭を抱える。
「……また苦しませたり怖がらせたくない」
「その時は私達が全力でお止めします。……ノア様、寝ずにお部屋で待ってらっしゃいますよ。さ、戻りましょう」
「……嫌だ」
「陛下!ノア様が寝不足になってしまいます。とりあえず戻りましょう。抱こうとしなければ大丈夫ですよ、ちょっと離れて隣に寝るくらいならきっと大丈夫!」
「今日はだめだ。隣に寝るだけなんて……無理だ。気になっちまうだろ」
それを聞き、サーラは背景にごうごうと炎を燃え上がらせ、ラビの腕を掴んで引っ張りだした。
「……陛下!行きましょう!それはもう行かなくちゃ!絶好のお世継ぎチャンス!はい、行きますよ!!」
「……サーラ!引っ張るな!……ムト!サーラを止めろ!!」
無理矢理王を引っ張るサーラを、部屋に駆け込んできたムトが押さえ込んだ。サーラはキーキー何かを叫びながらムトに引きずられていった。
一人になった部屋の中で、ラビは深くため息をつく。
もうずっと女を避けて生きてきたから、ラビにはどうしていいかわからなかった。