仕方ないことなんだ
「ちょ……」
離れようとしたら、後頭部を押さえられた。
お酒の匂いに飲まれ、頭が働かなくなってくる。
「……ノア」
「なっ……」
「エシュヌンナで……寝室から漏れてくる声……毎晩聞いて……」
「んあっ……」
逃げても唇が追いかけてくる。何度も優しく啄まれる。
脳が溶けそう。
「ずっと……この顔を見たかった」
伏せられた黒い目に至近距離で見つめられ、身体中がゾクゾクする。
「ムト……っ」
指をしっとり絡められ、甘い声で囁かれ、
にゅるりと舌が侵入してきて――
私のキャパは爆発した。
※本日2回目
「…………だーーーっ!だめ!ストップ!これ以上はだめ!だめです!」
分厚い胸板を思いっきり押し出す。
ムトは、ハッ!と我に帰ったように目を丸くして、勢いよく体を引いた。
「……ッ!悪い!つい夢中になって……!」
「セーフ!なんとかセーフ!(?)」
「だよな!よ、よかった!(?)」
「うん!よかった!いやぁ、よよよよかった!(?)」
2人してパニクっている。
2人して肩で息をした。
「…………」
2人して目を泳がせて黙り込んだ。
空気が落ち着いて、ムトがつぐんでいた口を開いた。
「…………寝るか」
「うん…………」
ムトの方を見ないようにソソソと小屋を出て、すでにスヤスヤ幸せそうに寝ていたエニアちゃんの隣にお邪魔する。
だが、心臓の音がやけに響く。今晩は……寝れなさそうだ。
一瞬でも、頭がとろけた自分が情けない。
陛下、ごめんなさい。
でもこれは……不可抗力です!
浮気じゃありません!
◇◇◇
自己弁護と陛下への懺悔で、ほとんど寝れないまま迎えた朝。
どこかギクシャクした朝食後。おばあちゃんが出かけたタイミングで、エニアちゃんが疑いの目を向けてきた。
「……ねぇ、ハドキムさんとナカガワさんって、本当に恋人なの?」
隣に座るムトが吹き出した。
「な、ななななんでそんな風に思うの?!」
「だって恋人って、もっとイチャイチャするはずでしょ? サッちゃんのお姉ちゃんと彼氏は見るたびに抱き合ってるよ。なのに2人は全然イチャイチャしないじゃない。恋人なら一緒に寝ればいいのに。昨日の夜だって、ナカガワさんったらこっちに戻ってきちゃってさ。……本当は恋人じゃないんじゃないの?」
「いいいいいやいやいやいやちゃんと恋人だよ?」
「えー、疑わしいなぁ。じゃあ今ここでキスしてみてよ!」
ムトがまた吹き出した。
私も内心、神に祈りを捧げた。
「……エニアちゃんよ。照れちゃうから勘弁しておくれ」
「え〜〜?……だって、ハドキムさんとの『ぼちぼちのキス』、見てみたいんだもん!」
エニアちゃんは両手で頬杖をつき、無垢な目を向けてくる。
このおませさん……まったく困ったものだ。アンタからもなんか言ってやっておくれ、なんて気持ちで隣のムトの方を向く。
だがムトは無駄にキリッとした顔をしていて、スッと手を伸ばし顎を掴んできた。
「?」
なんだなんだと思う間もなく、ムトの方に顔が引き寄せられ、そのままむっちゅりキスされた。
「…………」
あまりにも自然で突然で、されるがまま唇を遊ばれた。
少ししてムトは顔を離し、ほんのり顔を赤らめてエニアちゃんを見た。
「……これが『ぼちぼちの』。本当はもっとしたいんだが、ずっと我慢している」
目だけをパチパチさせて、固まっているエニアちゃん。その鼻から、血がタラーっとゆっくり垂れてーー
「…………きゃーー!!!!!」
黄色い叫びをあげ、エニアちゃんは家を飛び出した。
呆気に取られている私の横で、ムトは何食わぬ顔で立ち上がり、杖を取り、外に出て行こうとする。
ハッ!と我に帰り、とっ捕まえた。
「ちょちょちょちょいちょいハドキムさんや」
「なんだ?」
ムトは平然と振り返る。
「なんだ、じゃないんだよ。ワタシ、ヘーカノ女、アナタ、ヘーカノ部下、OK?」
「あぁ」
「あぁ、じゃないんだよ。なんですかさっきのは」
「エニアの疑いを晴らすためだ。仕方ないだろ」
仕方ないというくせに、なんでそんな堂々としてるんだ。むしろちょっと嬉しそうじゃないか。
「こ、子供の前であんな!破廉恥でしょ!それに仕方ないとはいえさぁ〜〜!あんな……あんな……!」
ムトはじっとり見下ろしてきて、何を思ったのか、また唇をフニフニ触りだした。
「あ!もう、触っちゃダメだよ」
手をどかせると、今度はどかせた手に指を絡めてきた。そして捕えた手を頬に寄せ、スリスリしてくる。何だコイツ!
「……一晩考えたんだが、俺たちが恋人のように接するのは仕方ないことだ。ここはいい村だが、それでも敵国の村だ。安全に抜け出すために疑われないようにしなくては。だからこれは仕方ない。仕方ないことだ」
仕方ない。そう呟き、空いている手で腰を引き寄せ、また唇を狙ってくるムト将軍。なに急に色気付いてるんだ!
「ちょ……今は誰も見てないでしょ!触れるのは必要最低限にしてください!」
「……ノア。『神は細部に宿る』。誰も見ないような細かいところにも気を配らねば、良いものは作り上げられないんだ。だから誰も見ていない場所でも俺たちは触れ合わねばいけない」
「いやいや、そこまではしなくていいんじゃないかなぁ?!」
押し返すと、途端にムトが寂しそうに呟いた。
「…………ノアがかわいいから、いけないんだ。昨日みたいな……あんな顔を見せられたらもう、我慢できない……」
「えぇ?!いやいや幻覚だよ幻覚。前に私のこと胸がないやら色気がないやら言ってたでしょ。ほら今だにないよ。しっかりして」
「嫌だ。好きだ……」
それから両腕を背中に回し、ぎゅうぎゅうに抱きしめてきた。だからなんで!
「だ、だだだいたいさぁ、陛下はムトなら変なことをしないだろうから、シッパル行きに任命したんだよ!あんまりやると陛下の期待を裏切ることになっちゃうよ!」
「……陛下の期待には応える。陛下を裏切ることはしない。陛下の愛は俺の愛だ。俺は陛下が愛するものを一緒に愛したい」
「なに言ってるかよくわかんないなぁ!」
「とにかく、この危機を乗り切るためには恋人として接する必要がある。だから俺たちが触れ合うことは仕方ない」
ムトがキリッと答えるが、どうしちゃったのこの人。なんのスイッチ入っちゃったの。
「……あ、あのねぇ、私は陛下をお慕いしてるんですよ。いくらムトとはいえ、いくら偽装のためとはいえ、あんまり触ると本当に怒るよ!」
「…………そ……うか」
ムトは体を離し、眉をしょんぼり下げる。
そして切なげな目ーーまるで捨てられた子犬みたいな潤んだ眼差しを向けてきて、寂しげな声で続ける。
「ノアに触れると元気が出て、傷の治りが早くなる気がするんだが…………少しだけ。ダメか?」
きゅるーーん
うっ…………!!
「かわいいッ……!でもダメ!」
「嫌だ。仕方ない。イチャイチャしたい」
「しつこい!」
そんな小競り合いをしていると、エニアちゃんがお友達を連れて興奮気味に帰ってきた。
「ハドキムさん!さっきのぼちぼちのもう一回!ミッちゃんも見たいって!」
「……そうか。ミッちゃんが見たいなら……仕方ないな」
「なんでそんな嬉しそうなの!もうしません!!」




