将軍と少年 ②
話し終えたムトは、顔の切り傷に触れながら、満足気に床に目を落としていた。
この世界では……「平穏に生きること」というのが、とてつもなく難しいらしい。
そんな中でも目標を持って、懸命に生きてきたムトが、なんだかまぶしく見えてきた。
「……ムトが陛下命な理由がよくわかったよ。ムトのこと知れて嬉しい。話してくれてありがとう」
「…………別に」
「それと、陛下ってやっぱりすごい人なんだね」
「そうだ。すごい方だ。あの方は王になるべく生まれた方だ。陛下なら、『二つの川の間の地』全土を治められる。歴史に名を残す王になられる」
同じこと、ライルも言っていた。
「だが……陛下には長らく心を許せる女性がいなかった。あのクーデターで女の裏切りにあって、心に深い傷を負われたから。……俺はあの時遠征中だった。陛下のおそばにいられなかったのが心底悔やまれる」
「…………」
そうだ、ムトはマリカさんが無実であることを知らないんだ。
ムトにならライルから聞いたことを話してもいい気がするが、それがいい選択なのかはわからない。
話したい。でもライルに、誰にも言うなって言われたしな……
ぐるぐる悩んでいると、横からムトがいつになく優しい目を向けてきた。
「だが……陛下は変わった。今やすっかりノアをご寵愛されている」
「い、いやぁ、それほどでも」
「本当に『王に相応しい女』だったんだな。ライルから『王に相応しい女を召喚する儀礼をした』と聞いた時は信じられなかったが、儀礼は大成功だったみたいだ」
「う、うーーーん」
唸ってしまう。
あぁ話したい。儀礼のことも話したい!
ムトになら全部話してもいいかしら……
頭を抱える私の横で、ムトはゴロンと背中から倒れて仰向けになった。そして目を隠すように、手のひらを上にしてかぶせた。
「……ムト?」
呼びかけると、ムトの唇が小さく開いた。
「ライル」
「ライル?」
「俺がどんなに陛下にご信頼頂いても、陛下とライルの間には俺の立ち入る隙なんてなかった。あの男はいつも飄々と、陛下の一番の信頼を受けていた」
ムトは弱々しく吐き捨てた。
「2人は幼馴染だもん。仕方ないよ」
「俺が陛下の一番になりたかった。なのにアイツは……一番の座を譲ることなく……逃げやがった」
そう言って、ムトは唇をへの字に結んだ。
意外な告白だった。ムトがそんな感情をライルに抱いていたなんて。
ムトの目は手で隠れて見えない。でもその手は強く握られて、細かく震えていた。
その震えが空気を伝って、こちらの心臓まで震わされるようだった。
ムトの隣にゴロンと仰向けになる。
天井のシミを見る。いつだかの修学旅行の夜を思い出す。
「……逃げた。ほんとだよね。私をこの世界に呼んだくせに、ライルったら自分はさっさと異世界に行っちゃった」
「異世界……」
「冥界って、異世界みたいなもんでしょ」
「なるほど……」
「だいぶ陰鬱な世界らしいけどね。でもライルなら騒がしくやってそうだよね。冥界の女王も口説いてそう」
「…………目に浮かぶな」
「ね!」
本当に、目に浮かぶ。今頃マリカさんが手を焼いているはずだ。
ムトの方に顔を向ける。
ムトは目を覆っていた手を高く上げた。
そして私の目線に気づいたのか、こちらに潤んだ目を向けた。
なぜだか胸がいっぱいになる。
「……まったく、ライルが遊んじゃってる分、私たちが陛下を支えなきゃね。だからムトは早く怪我治して。ちゃんと休んで」
「……あぁ」
高くあげられたムトの手は、ゆっくり私の方に降りてきた。
ゴツゴツした、戦士の手。それはゆっくり唇に向かってきてーー
「?」
触れる寸前に引っ込められた。
ムトはくるっと反対側を向いた。
「……ムト?」
「ぼちぼちなんかじゃない……」
「なんか言った?」
「なんでもない」




