神の裁き ②
「それは……無理です」
「えー? じゃあムトさんには死んでもらおうかなぁ。いやー、バビルの人とはいえ、かつてマリを救った英雄を殺さなきゃいけないのは心苦しいなぁ」
ヤリムさんはとぼけたような顔をする。
ムトは額に血管を浮き上がらせる。
アーシャちゃんの顔が青ざめる。
「なんでそうなるの!それとムトのことは関係ないでしょ。いいよもう、教えなくていいからムトには手を出さないで!」
「あはは。ノア様必死やなぁ。可愛い可愛い」
睨みつけると、ヤリムさんに顎を掴まれ、顔をグイッと寄せられた。
「っ!」
目の前には楽しそうなその男。黒い長い前髪の向こうで、黒い瞳が笑ってる。
獲物をぐるぐる巻きにとらえた蛇が舌をシャッシャッと出しながら、今まさに獲物に食らいつこうとする……そんな感じ。
蛇、この人は蛇っぽい。蛇系お色気メンズ。ムカつくけど。
「……この華奢な女の子が、あのラビさんの寵愛を受けてるとはなぁ。 ……ラビさんって側室のとこには通ってなかったんやろ? 女の子を避けてたみたいやけど……この体のどこがそんなにいいのかなぁ。気になりますわ。俺も知りたいわ」
ムトが暴れたが、ヤリムさんが足で踏みつけて押さえた。
アーシャちゃんも目を赤くして泣き出しそう。そりゃそうだ。アーシャちゃんはこの男が好きだったのだ。なのに、目の前でこんな真似!
コイツ!本当嫌い!!
(以下、さん付けはやめる)
「でも俺、無理矢理は嫌なんです。罪悪感とか感じたくないんですわ。だからノア様から進んで申し出てくれません?」
「……私をマリ王の元へ届けるんでしょ? 王より先に手をつけちゃったら面倒なことになるんじゃない」
「それはそうなんですけど……でもねぇ」
ヤリムは、唇が触れ合うギリギリの距離まで顎を掴んで寄せる。もう一回頭突きしてやろうか。黙って睨んでいると、額にキスを落としてきた。ムトがまた暴れた。
「『神からの贈り物』……。本物かどうか、ちょいと試してみようかな」
その言葉に、なぜだか背筋に悪寒が走った。
夕刻、馬車は川沿いの、特段何もない場所に停まった。少し先に城壁が見える。街だろう。
私とアーシャちゃんは縄を解かれて、周りを男達に囲まれて馬車から降ろされた。ムトは縄を巻かれたまま降ろされた。
10メートルくらい先には広大な川が流れている。遠く向こう岸に沈んでいく夕陽に照らされて、水面は黄金色に輝いている。流れは穏やかそうに見えるが、底が見えない。力強く、深い深い川。
ヤリムが腕を組み、私の方を振り返る。
「……あそこの町はヒート。ヒートがマリかバビルか、どっちのもんかで争ったのが、うちのボスとラビさんの対立のきっかけともいえる。あそこは防水剤として使える瀝青がとれますから。船をよく使うバビルはどーしてもこの町が欲しかったらしい。そんで喧嘩になったんやけど……
ヒートにはもう一つ、名物がある。なにか知っとります?」
「神明裁判」
アーシャちゃんが厳しい顔で答えた。
「なにそれ?」
「アーシャ、さすがバビルの女官やな。……つまりな、神に決めてもらおうかと思ったんですよ、そこにおるムトさんのこと。ムトさんにはかつてマリの窮地を助けてもらった恩義がある。でもムトさんは先の戦場でマリの兵をたくさん殺しました」
「!」
眉をしかめるムトを、ヤリムが見下ろす。
「だからな、ムトさんを生かすべきか殺すべきか、無罪か有罪か。神に決めてもらおう思いました」
「……どういうこと?」
アーシャちゃんがヤリムを睨みながら答える。
「裁判の一種です。被告人を川に投げ込みます。無罪なら神が生かし、有罪なら神が川底に捕らえます」
「い、いやいや…………」
文化が違う案件。ちゃんと裁判して。
ヤリムはうんうん、頷きだす。
「太陽神シャマシュは正義の神でもあり、裁判の神でもある。夜、地下の世界に沈んだら、冥界で裁判を行いますからねぇ。……ノア様はラルサのシャマシュ神殿に現れたんやろ? シャマシュ神からの贈り物ですもんなぁ、神にお願いすればムトさんにとっていい結果が出るんじゃないです?」
ヤリムが振り返り、貼り付けたような笑みを浮かべる。不気味だ。
……そうか。試されている。
この人、「神からの贈り物」を試しているんだ。
それにまさか……私が「神からの贈り物」なんてたいそうなものじゃなくて、「死者蘇生の儀礼」で失敗して巻き込まれて来ちゃったただの人間だってことも……知っている?
知っていて、わざと脅すようなこんな真似をしてるのだろうか。
「……アーシャちゃん、ライルの儀礼のことも話した?」
隣のアーシャちゃんに小声で聞く。アーシャちゃんは小さく首を横にふる。
とすると、やはりこの人は私の神パワー(?)を試しているんだ。
どどどどうしよう…………!




