運び屋一家 ①
――エシュヌンナの王宮、急遽設られた新たな支配者の寝所。
朝日が差し込み、目が覚めた。
大きな寝台の上。隣で陛下がスヤスヤ眠っていた。
昨晩の顔とは一転し、赤子のように無垢な寝顔。愛しくてたまらなくなる。
服を纏わぬたくましい体に、大小様々な切り傷、アザ。世界美男遺産に認定したいこのお方、早く傷が癒えるよう、これ以上傷が増えないよう、願う。
ーー陛下、今日は昼にシンさんと話し合いがあるんだっけ。なんでも、囚われたラルサ王が奇妙な儀礼の話をしていたとかなんとか。
でもまだ時間はある。今はそんなことは忘れて、ゆっくり休んでほしい。
服を着て寝所から出ると、廊下には数人の兵が控えていた。その中に眠そうな目をこするムトもいた。この人も相当疲れているだろうに。夜、少しでも休めただろうか。
「おはようございます。……ムト、おはよう」
ムトはハッと顔を上げ、私の顔を見て、そしてなぜか顔を赤らめ目を逸らす。
「お…………おはよう」
なんだこの反応。
……ハッ! さては昨晩、色々聞いてたな?!
こちらも釣られて顔が火照る。
「あー……あー、うん、じゃ、陛下まだ寝てるからね。私はサーラさん探してくる」
「サーラ殿ならナディア王妃のおそばにいる。……それと、これを探してノアに渡すよう、陛下に命じられていた」
ムトは床に置いてあった少し大きめな包みを指さした。
なにか……四角いものが入っているようだが。
「先のエシュヌンナ王が作らせた文書らしいが」
「ハッ!エシュヌンナ法典!」
駆け寄ると、ムトが包みを開いてくれた。
楔形文字がびっしり刻まれた粘土板が数枚重ねられている。ひとつ手に取り、適当に読み上げる。
「……『もし船頭が過失を犯し、船を沈めてしまったら、——彼が沈めたものはすべて、全額賠償しなければならない』……うん、これだ。これっぽい!」
「相変わらずスラスラと読めてすごいな」
ムトが感心している。そういえばムトは字は読めないと前に言っていた。
「……ラルサにいた時は、よく訓練されたスパイだな、なんて誰かさんに言われましたけどね」
「あの時は疑って悪かった」
「ムトに謝られるとなんか怖いんだけど」
ムトはちょっとムッとした。ムトだけに。
持ち運ぶには重かったので、法典はムトに預かっておいてもらい、サーラさんを探す。ナディア王妃は医務室にいるはずだ。医務室はどこだと探すが、昨日初めてきたばかりの王宮。早速迷子になる。
誰か……誰かに道を聞かなくてはとキョロキョロしていると、見覚えのあるシルエットが2つ、並んでいるのが見えた。
「……あ! シャム君とクイズ隊長!」
2人がくるりと振り返る。
シャム君は相変わらず顔を覆っているが、ブンブン、大きく手を振ってくれた。昨日エシュヌンナに入場する前に見失ったのだが、まだ居てくれたんだとホッとする。ちゃんとお礼ができていなかった。
「ノア様、おはようございます」
駆け寄ると、クイズ隊長がピシッと渋く敬礼した。
「おはようございます。……こんなところで会議中ですか?」
「えぇ。シャムへの褒美の件です。ノア様をお守りした功績を讃えられ、陛下から直接褒美を賜ることになったことを伝えておりました。……いやぁ、ノア様がお連れしていたので、さぞ信頼できる男だろうとは思いましたが、期待以上の働きをしてくれました」
「そうでしょう! シャム君は強いんですよ!」
シャム君は目を細める。褒められて嬉しそうだ。
「……本当に。軍でもっと活躍できるだろうに。なのに彼、もう元の仕事へ戻るというのです」
「あ……シャム君、あのおじさんのところへ帰るの?」
シャム君はこっくり頷く。
クイズ隊長は残念そうだ。
「行く前に陛下にお会いするように。陛下からの褒美は最高の栄誉だぞ。必ず陛下の元へ行くんだぞ」
隊長はそう言って、また敬礼して去っていった。
「シャム君すごいね!もう運び屋やめてバビル軍に転職したらどう?」
シャム君はブンブン、勢いよく首を横に振る。
それから心配そうに目を向けてきた。
「ダイ、ジョ、ブ?」
……ライルのこと、他にもいろんなことがあったから、気遣ってくれているのだろう。シャム君は優しい。
大丈夫かと言われると、難しい。食欲はわかないし、油断すると胸が締め付けられて、涙が勝手に出てきてしまう。
でもライルに、生きるよと言ってしまったから。
ライルの分まで生きると言ってしまったからな。
生きないと。
「シャム君、心配してくれてありがとう。……うん。私は大丈夫。頑張るよ」
シャム君はこっくり頷いた。
それからハッ!と目を見開いて私の首元を凝視した。
「え、なに、虫でもついてる?!」
慌てて見るがわからない。
シャム君はムスッとして、両手で私の頬を左右に引っ張った。
「な、なにふふのひゃふくん」
「…………」
無言で引っ張り続けるシャム君。なんだこれ。
ハンサムボーイがジッとり睨みつけてくる。
「キス、マー、ク…………」
「え?」
――と、そのとき。




