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夕焼けと瞳 ①

 ――バビルもシッパルも、ここエシュヌンナも、どこの都市も小高い場所にある。


 そういう場所を選んで建設したというよりも、この世界の建物が粘土から作られていることが、その主な要因となっている。


 粘土を固めた、日干しレンガで作られた建物。倒壊したり破壊された場合、この世界の人々は、その上にまた日干しレンガで新しい建物を作った。


 それを何年も何百年も繰り返しているため、町はどんどん丘のようになっていく。――これを、後代の人間は「遺丘(テル)」と呼ぶ。

 

 特に古い町・シッパルなんかは、今より2000年以上前からあるらしいから、相当盛り上がっているはずだ。


 そんなわけで、都市で最も高い場所は、見晴らしがなかなかいいのである。


 ーーエシュヌンナの王宮の端、街が一望できる2階のバルコニー。


 空は茜色に染まっている。向こうにはゆっくり沈んでいく真っ赤な夕陽。


 夕陽が空を染め上げるこの光景は、東京となんら変わらない。


 夕焼けを眺めて感傷的な気分になるのは、昔も今も変わらないだろうし、


 人の死を悼む気持ちも、きっといつの世の人にも共通だ。


 東京でも時々こうして夕焼けを眺めていたっけ。

 

 後輩の男の子が、乃愛先輩、黄昏(たそがれ)てますね。なんて、チョコをひとつくれたりしたっけ。


 もうすっかり遠い過去のことみたいだ。

 

 ……ここにきて、あまりにもいろんなことがありすぎた。


 それに、ライルが死んだ?


 話に聞いただけだから、まだ信じきれていない自分がいる。

 

 でもシンさんが堪えきれず流した涙、差し出されたライルが持っていたはずの粘土板、陛下の一瞬の動揺。

 

 それらが真実なのだろうと、告げていた。

 

 ……そういえば前にボルシッパで、星空の下、ライルが言っていた。

 

『死者の魂は冥界にいく。富める者も貧しき者も、悪しきものも良き者も、みんな同じように7つの門を通り、女王(エレシュキガル)の治める地下の国へいく』


 ライルは今、何番目の門のあたりなのだろう。口達者なあの人のことだ、適当なことを言ってすぐに門を開けてもらって、スイスイ進んでいるような気もする。


 そして冥界に着いたら、すぐさまマリカさんを探すのだろう。


 そんなことを考える。


 近くに人は誰もいない。遠くから声が聞こえるだけ。

 静けさの中の、夕焼けの独占。

 ひんやりした風が短い髪をかき上げた。

 

 ――突然、背中に温かい重み。


 後ろから誰かが抱きついてきた。

 

 振り返るまもなく聞こえてきたのはーー


「嬢ちゃん!」


 その言葉に、息が止まった。

 ……でも、振り返らなくても、わかる。


 ライルじゃない。



「…………全然似てないですよ、陛下」


「そうか?」


「はい。ライルの声はもっと、軽いです」


「そうか……」


 背中から抱きついたまま、陛下はくったりと頭を預けてくる。着替えてはいるけれど、まだどこか戦場のにおいがする。


「……あと片付け、終わりましたか?」


「一旦な」


「ナディア王妃は……」


「なんとか一命を取り留めた。……だが、お腹の子は……」


 胸に回された陛下の手を握る。


「…………」

 

 そして2人、しばらくの無言。

 外で騒ぐ人の声がやたら耳についた。


 陛下がポツリポツリと話し出した。


「……昔はよく、こうやってアイツが後ろから抱きついてきた。……俺より少し背が高いからって、ラビは小せーな!って、バカにしてきた」


「……目に浮かびます」


「そのくせ、お前はいい王になるんだぞ、民を第一に考える正義の王になれよ、って。しつこくしつこく何度も言ってきた」


「はい」

 

「……俺が女を抱けなくなったとわかった時、頑張れ頑張れ!って笑いながら、大量の精力剤を渡してきた。余計苦しくなっただけだった」


「あはは」


「…………俺の婚約者は……アイツの妹だったんだが、俺が首を絞めたんだ。……なのに、アイツは……一度も……俺を責めなかった」


 陛下の声は、微かに震えていた。

 握る手に力を込める。

 

 ……その名を出すのは怖かった。


 でも今出さなかったらきっと、この先もずっと出せない気がしたから――


「……陛下、ライルから聞きました。……マリカさんのこと。全部聞きました」


 背中から息を飲んだ音。


「ライルは……陛下に感謝していました。陛下は無実のマリカさんを苦しませないよう、守ってくれたんだって」


「……俺は……」


「陛下は、マリカさんとライルが大好きだったんですよね」


「…………」


「大好きな人が死んでしまうのは……寂しいですね」


「…………」


「私も寂しいです。ライルはチャラチャラしてるし、私をこの世界に呼んだくせに先にいなくなっちゃうなんて意味わかんないし、すっごくチャラチャラしてたけど……でもカッコいいところもいっぱいありました」


「…………」


「……別れ際のライル、具合が悪そうだったんです。病気だったのかな。とても冷たい体でした。……それでもラルサの援軍を呼ぶために……ライルは、命懸けで、伝令を……」


「…………」


 涙に鼻水までが出てきて困る。でもそれらを引き止めて、なんとか言葉を紡ぐ。


「あのチャラチャラした人に、もう会えないかと思うと……胸にぽっかり穴が空いたみたいです。……寂しいです」


 背中に感じる陛下の息が乱れた。

 

「俺も…………寂しい。ライルがいなくなるのは……寂しい……」


 後ろから巻きつけられた陛下の腕に、力が込められる。だがそれは今にも尽きてしまいそうな、弱い力。

 

 目をつぶればまぶたの裏に、余裕たっぷりにニヤリと笑う、あの綺麗な人の顔が浮かぶ。

 

 なにかと抱きついてきて、スキンシップが無駄に多くて、チャラチャラしていたあの神官。


 マリカさんと陛下の幸せを、誰よりも願っていたお兄ちゃん。


 ーーあの人が守りたかった、この孤独な王の寂しさを、少しでも紛らわせてあげたいと思った。

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