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あと片付け

 ――太陽が空の頂上から下り始めた頃、勝利の軍勢が敗者の街・エシュヌンナに入った。

 

 陛下の乗る戦車、そこに一緒にポンと乗せられて、周りの景色が淡々と流れていくのをただ眺めている。


 ライルの死を聞いてもなお、陛下は強い王であることを忘れなかった。目の前に立つ背中は、あくまで気高い一国の王。


 立派だ。

 

 そしてラビ陛下達は、静まり返るエシュヌンナの王宮・玉座の間に騒々しく足を踏み入れた。


 そこに暗い顔で並ぶ幾人もの女性たち、役人たちを見回して、ラビ陛下は指で合図する。

 

 兵に運ばれてきて、陛下の前にそっと置かれたのは、首から上のないエシュヌンナ王・ツィリの遺体。

 

 さらにその胸の上に、苦悶の表情を浮かべたまま固まった、頭部がちょこんと置かれた。


 それを見て膝から崩れ落ちる人、声をあげて泣き出す人、気絶する人。玉座の間は灰色のどよめきに包まれた。


「……ナディアは?」


 陛下が声を上げた。

 だが、エシュヌンナの人たちは誰も答えない。


「ナディア様はどこかと聞いている!」


 ムトが声を張り上げるが、やはり誰も答えない。正気の人間も目を逸らしている。


 ゆっくりあたりを見回す。部屋の端にひとり、(うつむ)き小さく首を振る壮年の男の人が見えた。

 

 その人に歩み寄る。

 勝手に動くな、とムトがついてくる。


「ナディア王妃がどこにいるかご存知ですか?」


 声をかけると、男は悲痛の顔を上げ、無言で頷いた。そして玉座の間の奥を指さした。ムトがパッと走り出した。

 

 慌ててついていく。が、追いつく前にムトは眉間に皺を寄せ、奥の部屋から玉座の間に戻ってきた。


 豊かな波打つ黒髪を垂らす、ぐったりとした若い女の子を横抱きにして。


「……ナディア?!」


 陛下が目を見開き、駆け寄る。


 ムトはゆっくり床に下ろす。そして部下に何か命じた。

 

 彼女の白いドレスのお腹の辺りが、真っ赤に真っ赤に染まっていた。……腹部を刺したのか? 誰が? ……まさか自分で?


 陛下はその人の隣に膝をつき、手を取り、握る。


「う…………」


 まだ意識はあるようだった。玉のように吹き出す汗で黒い髪を張り付かせ、うっすらと目を開けたその人は、陛下を見上げた。


「……お父、様……」


 絞り出された声は、今にも消え入りそうなほど、弱々しい。


「ナディア、何があった!」


 陛下の声に、ナディア王妃は目を閉じた。その目尻から、ツーと流れ星のように涙が落ちた。


「……あの人は……死んで当然です。バビルを……父上を、裏切りました」


「だからと言ってお前が死ぬ必要はない!」


「それでもあの人は……私の夫でした。短い間でしたが……」


 ナディア王妃は目を薄く開き、数歩先に横たえられている、ツィリ王だったモノを見つめた。


 また、王妃の目から涙が真っ直ぐ流れて行った。


 玉座の間の入り口から、兵がムトに合図を送った。ムトは頷き、再びナディア王妃を抱き上げた。


「陛下、すぐに医者へ連れていきます」


「……頼む」


 陛下の声は、かすかに震えていた。

 ムトはナディア王妃を素早く運ぶ。


 ムトが歩くたびに、ナディア王妃の体から血が落ちて、床に点々と跡を残した。


 運ばれている途中、王妃は無惨な王の遺体に向かって手を伸ばした。

 

「あなた……」

 

 だがその手はそれに触れることはない。ただしばらく空を彷徨って、力無く降ろされた。


 王妃を見届けた陛下は、先ほどの壮年の男の人を振り向き、そのエメラルドの瞳で厳しく射抜いた。


「……なぜナディアを止めなかった?」


 陛下の声は、重く玉座の間を震わした。

 男はゆっくり額を床につく。


「バビル王、申し上げます。これはナディア王妃の強い御意志」


「王が死ぬ時は王妃も共に死ぬよう、ツィリに命じられたんだろ!」


 陛下は声を荒げる。

 男は震える声でこたえる。


「いいえ、むしろ王は王妃に生きるよう命じられました。王妃様があのような真似をされたのは……お腹のお子のためです」


「お腹の子……?」


 陛下の動揺に、男は答える。


「もし生まれれば、父上はこの子を殺さなくてはならない……それならば母と共に逝こうと、王妃様は決意なされたのです」


「…………」


 玉座の間は嘆きに包まれた。

 

 少しして、何も答えず動かない陛下のそばに、隊長が歩み寄った。


「陛下……」


「……わかってる」


 隊長の声に、陛下の時が動き出す。


 隊長やアウェルさんがテキパキと指示を出し、エシュヌンナの後処理が始まった。


 ダガンさんは無言で空虚な玉座を見つめていた。

 

 肩を優しく叩かれた。ポロポロ涙を流すサーラさんだった。2人一緒に、王妃が残して行った血の跡を辿るように玉座の間を出た。


 シャム君の姿は見当たらない。


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