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神官の願い【side ライル】

 土埃を巻き上げながら、マシュカン・シャピルへ向かい馬は走る。

 

 その軽やかさからは信じられないくらい、それに乗っているライルの体は重い。おまけに視界はぼやけ、息をするたびに胸が痛んだ。


 ――でも、まだだ。まだその時じゃない。


 次第に、手綱を握りしめる手にも力が入らなくなってくる。


 よりによってこんな時に。タイミングの悪さに腹が立つが、同時に、これでもよく持った方だよなと、ライルは乾いた唇で微笑んだ。


 ――もーすこしだ。もーすこしでそっちに行くからさ、マリカ頼む。ちょっと冥界の王(ネルガル)冥界の女王(エレシュキガル)を足止めしといてくんね? これが終わるまではそっちに行けねーんだわ。


 ライルは内心、冥界で待つ妹マリカに呼びかけた。


 ……マリカ、美しい妹。瞼の裏に焼きついたその妹の最後の姿、あの日の光景。


 あの日、ライルが駆けつけた時ーー


 ラビは寝台の上、マリカに覆い被さって、声をあげて泣きながらその体を抱いていた。


 マリカの腕は、はらりと地面に垂れていた。


◇◇◇

  

 マシュカン・シャピルの城壁が、地平線上にぼんやりと浮かび上がる。


 あと少し、あと少し。


 そこまでいけば、シンの部下に伝えさえすれば、すぐにラルサのシンの耳にも入るはず。そしてラルサの大軍がバビルを救う。


 ラルサ……ライルの脳裏に、ラルサで行った()()()()のことが浮かんだ。


 死者を蘇らせる儀礼。思い返してもあれは本当に大変だった。必要なものをリスト通り揃えるだけでも苦労した。


 ーー高級な香木、ヤギ10頭分の血、粘土で作った人の模型。リストの前半のこれらを準備するだけでも手間がかかるのに、さらに神の第一のしもべである、王から神への献杯も必要。


 それから一番難しいのが、長い長い古めかしい呪文を噛まずに詠唱しきること。これが何よりの難関だった。


 リストの最後、「蘇らせた者を生かすための寿命を、術者が分け与えなければならない」という条件は、ライルにとっては全く苦にならなかった。


 ーー「等価交換」。


 冥界から地上に戻った女神の代わりに、その夫が冥界に行かねばならなくなったという伝説・「イシュタルの冥界下り」の話をしたとき、確かノアはそんな単語を発していた。

 

 何かを得るには、同等の代償が必要。

 まさにそれだ。

 命を与えるには、誰かが命を捧げなければならない。


 だが、マリカを冥界から呼び戻せるのなら、己の寿命を差し出すことなどライルにはちっとも惜しくなかった。


 なのに、失敗した。

 

 儀礼を終えた後、ラビから「奇妙な格好をした異国の女が現れた」と聞いた時。ライルは深く失望した。


 儀礼とは、“願い”と“代償”を同時に捧げるもの。たとえ呪文を誤っても、願いが通らずとも、差し出したモノは戻ってこない。


 神は無慈悲に帳尻だけはキッチリ合わせてくるらしい。


 結果、マリカは蘇らず、ライルは見知らぬ女に寿命を分けた。なんて無駄なことをしたのだろう。


 「神からの贈り物」ーーそう呼ばれることになったその女、どんな顔なのか、どんな奇妙な格好なのか。あまりに落胆していたため、ライルは見に行く気もおきなかった。


 その代わりに頭を駆け巡ったのは――


 自分にはあと、どのくらいの寿命が残されているのか?

 

 わからなかったが、冥界の神々の気配が以前よりずっと近くに感じられたし、その日はその場から一歩も動けなかった。


 ーー朝が来て、ようやく体が動いた。ライルは気持ちを切り替えた。これからは一日一日が貴重だ。汗まみれの体を清め、とらえられていたラルサの大神官の元へ向かう。


 なぜ望んだ死者が蘇らなかったのか?


 ライルが問いただすと、大神官は儀礼のミスを指摘した。そして禁忌の儀礼を行ったこと、さらに「神からの贈り物」が来たと人々を騙したことでラビとライルを凶弾した。


「バビル王は『神からの贈り物』などとほざいていたが……あれは手違いで呼び出された、ただの異世界の女!……お前たちは人々を欺いている!神を欺いている!今に神罰が下るぞ!」


 大神官は事が落ち着き次第解放される予定だったが、生かしておくことは危険だとライルは判断した。その場で彼を殺した。


 その後ズルズルと王宮内を歩いていたライルは、見慣れぬ色白の女がスタスタ歩き回っているのを見つけた。


 ――あの女だ! 


 ライルは直感ですぐにわかった。


 異世界から間違って召喚されてしまった、小柄で見たことのない顔立ちの女。


 名前は――ノア。すでに昨晩ラビと共に過ごしたとも、アーシャから聞いていた。


 それならば彼女も他の女同様、マリカの呪いに囚われたラビに首を絞められ、恐怖を感じているはずだ。以前イルタニがお世継ぎ対策としてラビの元に送り込んだ女たちは、大体翌朝には逃げていった。彼女も逃げる方法を考えているに違いない。


 ――そう考えあとをつけるが、その女はどうも違う。ノアは純粋に王宮内を探検して、むしろ楽しんでいるようにすら見えた。逃げる素振りは見せなかった。ライルにはそれが不思議でたまらなかった。


 そしてもう1人、ノアをつけている男がいることに気づく。


 ムトはまた、ライルとは別の理由でノアを見張っているようだった。そしてムトに剣を向けられたノアが感情を爆発させたのを見て、ライルは彼女の前に姿を現したのだった。


 ーーあれからもう、3ヶ月近く経つのか。


 その色白の肌がマリカを彷彿させ、時折ライルの胸は痛んだが、それでもノアのことは気に入っていた。


 突然知らない世界に連れてこられ、王妃になれと言われ、それでも前向きにラビと向き合おうとした女。よく頑張っていたと思う。ライルは彼女を素直に尊敬していたし、彼女にならばラビのことを頼めるとすら思っていた。


 ーー嬢ちゃん、巻き込んで悪かったな、でも、来てくれてありがとうな。


 ノアには自分が生きるはずだった命を、どうか目一杯生き抜いてほしい。だが、それもあとどのくらい残されているのかーー


◇◇◇


 その視界にハッキリと現れてきたマシュカン・シャピルの城壁。


 あそこまで行けば、あそこまで辿り着きさえすれば。

 

 ……ノアはすでにラビと会っている頃だろうか。


 「絶対に運ぶ運び屋」の存在はライルも知っていたし、なにより、()がいた。だからライルはノアを安心して預けられた。すぐにマリの来襲をラビに伝えられるはずだ。


 あとはーー援軍を呼ぶというライルの任務が達成されれば、バビル軍は安泰だ。

 

 たとえマシュカン・シャピルにつくまでに寿命が尽きたとしても、マリの裏切りを記した粘土板文書がシンの部下の手に渡りさえすればいい。それでラビ達を救える。


 ライルは力を振り絞る。


「もーちょい……頑張ってな……もう少しだからよ……」


 意識が遠のく中で、ライルは走り続ける馬の頭を力なく撫でる。

 

 そして神に、祈りを捧げる。

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