走馬灯
「……私はダガン様唯一の妻ベレト、アッシュルの王女。この高貴な血にかなうものなどそういまい。たとえ『神からの贈り物』といえど!……あぁついカッとなって無駄に話してしまった。まぁいい、もうお前は死ぬからな。お前たち、もう行っていいぞ」
「はっ!ベレト様、ありがたき幸せ!……姉ちゃん、まぁ……頑張れよ!」
運び屋おじさんはウィンクを飛ばしてきて、息子と共にスタスタ出て行こうとする。
「ちょ……ちょっと待ってよおじさん!イルタニさんを裏切るの? イルタニさんは私を生かそうとしてくれてるんだよ!ここにいたら私生贄になっちゃう!死んじゃってイルタニさんが悲しむよ!助けたほうがいいですよ!」
おじさんは眉を下げる。
「ごめんな、姉ちゃん。俺たちにとってはその時の依頼人の言葉が全てなんだ。請け負った荷物は何がなんでも運ぶ。理由も何も問わない。ただ、運ぶ。それが俺たちの流儀なんだ」
「……イルタニさんに言いつけちゃうから!」
「生きてたらね!」
おじさんはニッコリ、グッ!と親指を立てる。そしてくるりと背中を向ける。息子の方は少し悲しそうな目を向けてきて、やはりくるりと背を向け行ってしまった。
「……この薄情ものー!!!」
ありったけの力で声を出すが、それはただ冷たい空気を震わすだけだった。
「……もう満足したか? 哀れな無駄吠えは」
ベレトさんが愉しそうに言う。
「…………ッ!」
「ここは冥界の女王と冥界の王を祀る神殿都市、クタ。お前を冥界へ送るにはこれ以上ない、いい場所だ。感謝しろ。……そうだ、お前の拉致はエシュヌンナの犯行だと見せかけたから、今頃バビル軍はエシュヌンナを攻撃する準備をしているだろう。すぐに開戦だな。ちょうど良い。冥界への土産になるな」
◇◇◇
謎の男達に引きずられ、神殿の中央、冷たい石柱に縛り付けられた。粗い縄が肌に食い込み、腕も足も自由がきかない。口も縄で締め付けられ声もでない。くぐもった空気と哀れな音が漏れるだけ。
フードを被った人たちがブツブツ何かを唱えている。生贄の儀礼の呪文か何かだろう。
ーーあまりの理不尽さに現実が直視できない。
目を閉じると、なぜかーーシッパルで陛下のお迎えを待っている間、いろんな人に聞いたあのクーデター……陛下の兄たちが起こし、マリカさんが関与したとされる陛下を狙ったクーデター……の話が頭に浮かんだ。
「――あの時……私はすでにシッパルの修道院にいたので、あの日何が起こったのか、直接この目では見ていないのです。ですが、あの頃の兄上は警戒心が非常に強かった。宰相が何者かに殺されたあとだったので敏感になっていたのでしょう。兄上は常に兵をつけていました。寝る時は必ず信頼できる見張りを部屋に入れていました。
ですが……あの晩は違いました。あの呪われた女が、兄上の部屋を訪れる予定だったのです。ですから兄上は密かに見張りを外しました。
……そして戸がノックされ、部屋でひとり待っていた兄上がその戸を開けた途端。現れたのはあの女ではなく、武器を持った上の兄達でした」
――イルタニさん。
「――あぁ、あの時のことはよく覚えております。あれは嫌に冷え込む夜でした。
あの時私はバビルの王宮にいて、終わらぬ仕事に追われていました。ですが、夜の闇夜を切り裂く女官達の悲鳴を聞き、急いで同僚と共に陛下の居室に駆けつけたのです。
……そこで我々が見たのは、返り血に染まり、死体に囲まれポツンと立っていたラビ陛下。陛下は寝込みを襲いに来た上の兄4人を、たった1人で返り討ちにされたのです。
部屋の入り口で呆然と立ちすくむ、我々を振り返った時の、あの陛下の悲しい目。宝石のように美しいあの緑色の瞳が、どこまでも冷たく感じたものです」
――シッパルの役人①。
「ーー騒ぎを聞き駆けつけた私が見たのは、血まみれのお姿で廊下を歩き、あの女の部屋に向かわれる陛下のお姿でした。
えぇ、今でもはっきりと覚えております。あの時の陛下の……怒りと悲しみに満ちたお顔。あとから別のものに聞きましたが、返り討ちにされた陛下の兄が今際の際に、とある粘土板文書を見せたそうです。『今晩、お前が一人でいると俺たちに教えたのは誰だと思う? 戸を叩けばお前がすぐに戸をあけると、教えたのは誰だと思う?』ーーそんなことを言いながら。
……確かに、その文書にはクーデターの計画が事細かに記されていました。そして、あの呪われた女の手引きがあったことが書いてありました」
――現シッパル知事。
「……兄上とあの女が最後に何を話したのかはわかりません。ですが、役人たちがあの女の部屋に駆けつけた時、兄上は、寝台の上で息絶えたあの女を抱きしめ泣いていたそうです。
……後日捕まった関与者は、みな公開で首をはねられたのち、遺体は城壁に晒されましたから、あの女が陛下自らの処刑、そして一般的な埋葬を受けれたことは、とても寛大な処置だったといえます。
……どんな裏切りであろうとも、兄上には長く過ごした情があったのでしょうね。あの人たちは昔から…………いいえ、お姉さま。この話はもうよしましょう」
――イルタニさん。
「婚約者はなぜ陛下を裏切ったのか? ――それはわしにはわからぬこと。陛下の兄達に脅されたという人もいれば、本当は陛下を愛していなかったからという人もおりますからな。真相は誰にも分かりませぬ……あぁ、ノア様。この話はもうよしましょう」
――シッパルの学者。
「婚約者はどんな人だったのか?――ノア様、神からの贈り物。どうかご無礼をお許しください。これ以上のお話はご勘弁いただければと」
――シッパルの役人②。
シッパルで陛下の婚約者のことを詳しく聞こうとすると、みんなその話題を避けようとした。今ならその理由がわかる。
この世界では、憎むべき人の名を無闇に口に出してはならないという文化がある。呪われるからだ。陛下の兄たちの名は碑文や公的な文書から消されたそうだし、マリカさんの名前ももちろん、同じだ。誰も口に出さなかった。
裏切り者はその存在を認められず、静かに歴史から消されていく。
でも、まさかそれがライルの妹で、おそらく「蘇らせたい人」だろうとは気づかなかった。
陛下を裏切り、陛下に殺された妹を、陛下を騙して蘇らせる。あのライルがそんなことを考えていたなんて。
それを知ってから考えると、陛下とライルの関係性は奇妙だ。あの2人、なんであんなに仲がいいのだろう?
陛下から見ればライルは裏切り者の兄だし、ライルからみれば、罪人とはいえ妹を殺されている。お互い憎みあってもおかしくないだろうに、陛下はライルを慕っているし、ライルも陛下を弟分のように可愛がっている。
考えれば考えるほど2人の関係性は、実に奇妙で複雑だ。そこらへん死ぬ前に2人にちゃんと話を聞きたかった。
目を開き、現実に向き合ってみる。
目の前のこの状況は――実に奇妙で単純だ。
死にそ。




