係長の大出世
月明かりに照らされ見えた男の顔。
ライルほどではないけれど、この地域の人にしては明るい肌色に、端正な顔を縁取る茶色い髪。30代半ばあたりか、余裕を感じさせる大人の男。
……あぁ、このお顔、体格、雰囲気。
間違いない。係長だ……!
係長もこっちに来ちゃったんだ……!
ちょっと中東風な感じがするけれど……!
きっと、こっちに来てちょっと中東風になっちゃったんだ……!
あまりの驚きで腰を抜かした私は、たやすく布で口を塞がれ軽々かつがれスタスタ運ばれ、この民家の物置のような部屋に連れてこられた。
部屋の外には男の従者らしき人が数人控えている。何人か顔を隠しているが、目がギラリと光ったのがわかる。
「……さ、着いた着いた。……あー、サーラちゃんならバビルの警備の兵が歩き回ってたから、すぐに見つけてもらえるよ。……さてと……いろいろ聞きたいんだけど」
絨毯の上にホイッと置かれ、塞がれていた口が解放され、私は満を持して声を出す。
係長に、ずっと伝えたかったこと。
「係長!急に死んじゃってすみません!」
「急に死んじゃってすみません???」
「係長には……本当に申し訳なくて……きっと沢山、ご迷惑をおかけしましたよね。引き継ぎもちゃんとできなかったし……本当にすみません!」
「俺、君を拉致ったのに謝られてるの??」
「係長はなぜここに? なぜちょっと中東風なお顔になったんですか?」
中東風係長が目を丸くして、声を上げる。
「知らんよ!昔からこの顔! エカラトゥム王はずっとこの顔!」
その人は指でご自身の顔をビシビシ指さした。
「……王……?! 係長から王だなんて、すごい出世じゃないですか……!」
「だから係長ってなに?!俺、元から王なんだけど!」
自称・王の係長が、バシッと両手で顔を挟んで覗き込んできた。
「……ノアちゃんだいぶ錯乱してるね。ちょっと薬が効き過ぎちゃったかな」
「薬?」
「村長の屋敷でさ、王族に出すワインに嘔吐と錯乱作用のある薬をちょっと入れといたんだよね。ノアちゃんかハンムラビ、どっちかでも屋敷から出てきてくれたらいいなと思ってさ。まさかこんなに上手くいくとは思わなかったけど」
しれっとそんなことを言い出す中東風係長。
ひどい。また毒盛られた!!
いや、そもそも係長が毒盛りなんてするはずない。やっぱりこの人は、係長みたいな、よく似た別人なのだろうか。
眉をひそめ睨む私の頬を、係長(仮)がバチバチ挟みながら豪快に笑う。
「大丈夫だよ!死にやしないよ! あっはっは」
何が面白いのかちっともわからない。
それからその人は、いつのまにか部屋の入り口に置かれていたコップを取り、手渡してきた。
「あそうだ。はいこれ、胃に優しい薬草入り飲み物。飲んで飲んで」
「……もう毒入ってないですか?」
「もちろん。ほら、俺が先に飲むからさ。安心して。…………あーー、うん、苦い」
「……いただきます」
確かに苦い。向かい合うその人と一緒に顔を歪める。
「……なんだかよくわかりませんが、係長らしき方にもう一度お会いできて、私嬉しいです」
「俺もよくわかんないよ……ていうか誰か別の人と間違えてない? 何度も言うけど、俺はダガン。エカラトゥムの王。といっても今は亡命中の身だけど」
「…………ほんとに係長じゃないんですか?」
「カカリチョーじゃないねぇ。エカラトゥム王」
なんだ、係長じゃないのか。
ただの王様か〜〜
はぁとため息をついて、エカラトゥム王がローブを脱ぐ。その下に上質そうな赤い服と黄金の装飾品がお目見えした。どう見たって凡人ではない。本当に王らしい。
でもその胸元に無数の傷痕のようなものが見えて、思わず目がいってしまう。
「…………あ、コレ? 気になる? 前にエラムに拷問されてさあ。その時の」
「拷問……?!」
「俺も色々あったんだよ」
「お疲れ様です」
係長じゃないなら、深入り不要。
その人は私のすぐ前にあぐらをかいて座り、頬杖をつく。
エカラトゥム王、ダガン。……誰だっけ。エカラトゥムってどこだっけ。誰か話してたっけ。思い出そうとしても頭がいつも以上に働かないし、たぶん、全く覚えのない単語だ。
「それで……エカラトゥム? の王が、私に何の用ですか?」
ダガンさんはにこやかに答える。
「俺、今日はハンムラビに会いにきたんだけどさ。交渉を有利に進めたいんだよね。君を殺さない代わりに俺の出す条件を飲めって、ハンムラビに言おうと思ってさ」
「えぇ…………」
サラッとそんなことを言うダガンさん。
もしや……ラビ陛下がわざわざ少人数の部隊を連れひっそり会いにきた、エシュヌンナの事情をよく知ってる男とはこの人か?
「……ダガンさんは、どんな条件をラビ陛下に飲んで欲しいんですか? わざわざ人質をとってまで陛下に何をお願いするつもりなんですか?」
ダガンさんはにこやかな顔を崩さず、答える。
「……まぁ、話すと長くなるんだけど。……エカラトゥム、俺の国ね。憎きエシュヌンナに攻められて取られちゃったんだよね。それで俺は亡命中。でも残念ながら今の俺の力じゃ奪還するのは無理そうでさ。それで、これからエシュヌンナを攻めに行くハンムラビにさっさと倒してもらって、ついでにエカラトゥムも奪還してもらって……そのあとエカラトゥムの玉座を俺に返してもらいたいんだよね。エカラトゥム王に戻りたいの、俺」
「は……はぁ。でもそんな都合のいい話あります? 敵国に取られた自分の国を取り返してもらって、しれっと王位に戻りたいってことですよね?」
「だからノアちゃんが必要なんだよ。ハンムラビを動かせる貴重な手札がさ」
そう言って、亡命中の王はまっすぐ見つめてくる。その首元の黄金のネックレスがキラキラと松明の火を照らし返している。
「……申し訳ないですけど、たぶん、私はダガンさんの望む役目は果たせないと思います。ラビ陛下のお考えはわかりませんが……もし陛下がダガンさんと違う意見をお持ちなら、たかが私一人のために意見を変えることはないと思います」
ダガンさんは眉をひそめる。
「……ハンムラビは『神からの贈り物』をあっさり見捨てると?」
「場合によっては」
「なんでそう思うの? ノアちゃん、近々王妃になるんでしょ?」
「……陛下は……王としての責務感がとても強いから。優しい方ですけど、王としてやるべきことに私情は挟まないと思います」
ダガンさんはわかりやすくため息をつく。そして後ろにゴロンと倒れて寝転がり、無地の天井を見上げた。
「……ふぅん。ハンムラビって冷たいね。昔、俺の親父の手下だったときはまだ可愛げがあったのにさ。今じゃ誰もが認める征服王だもんな。女のために動いたりはしないか。……そういやあのマリカちゃんのクーデター事件からだよね、ハンムラビが女嫌いになったのって。女嫌いまだ続いてる? 女嫌いが夫なんて嫌でしょ。ノアちゃん俺のとこ来る?」
「いや行かないですけどマリカちゃんって誰ですか」
「え? 知らないの?……あー……ここはバビルの領内だからな。大声では言えないんだっけ? ノアちゃん、こっちおいで」
ダガンさんが寝転んだまま、こいこいと手招きする。
それが妙に色っぽい。ドキドキしちゃうから係長のお顔でそんなことをしないでほしい。
ダガンさんの楽しそうなお顔のそばに近づくと。
「……わっ!」
腕を引っ張られ、その分厚い胸の上に倒れ込んでしまった。身を起こそうとするが、すぐにたくましい腕で抱き込まれて逃げられない。
「な、何するんですか!」
すると耳元で囁くように、ダガンさんは言う。
「はは。ノアちゃんチョロいね。大丈夫、教えてあげるだけだよ。……マリカちゃんはハンムラビの元婚約者。クーデターに関与したとかなんとかで、あいつが締め殺した女の子」
「あ…………それは聞きました。陛下の婚約者さん、マリカというお名前だったんですね」
「そ。でもその名前はバビルでは出しちゃいけない。罪深く呪われた名前だから。名前を口にするだけで禍いがもたらされるらしいよ。俺は呪いとか気にしないけど、普通の人はすごく嫌がるから」
「……名前を呼んではいけないあの人……」
「うん。……でもマリカちゃん……俺も昔会ったことあるけど、それはそれは美人だったよ。赤褐色の瞳、色っぽい垂れ目、髪は青みがかった黒髪で、もちろんスタイルも抜群で。なにより雪みたいに白い肌!神秘的でよかったんだよな」
「……どこかで聞いたことあるような容姿……」
「確かよく似た兄が居たはずだよ。これまたイケメンでさ」
「…………」
「妹のことを溺愛してた。確かチャラチャラした、ハンムラビの兄貴分みたいな感じの……」
「ライル?」
「そうそう!ライル。チャラかった。アイツは裏切り者の兄貴のくせに、クーデター後も奇跡的に生かされたんだよね。会ったことある? まだ生きてる?」
ある。生きてる。
落ち着いたテンポのダガンさんの心音と、鼓動が早まった自分の心音が、耳にうるさく響き出す。
「……つまり……ライルの妹がマリカさんで、その人が陛下の元婚約者で、クーデターに関与して、陛下に殺されたってこと?」
「そう。それでさノアちゃん、せっかくだし真面目に俺の側室にならない? エカラトゥムにきて欲しいんだよね。『神からの贈り物』が俺を選んだって言ったら、みんな俺のこと支援してくれそうじゃん。ね、エカラトゥムはいいところだよ」
ダガンさんが何かぬかしているが、まったく頭に入ってこない。
陛下の婚約者で、陛下を裏切って、陛下に殺された、ライルの妹・マリカさん。
ライルが蘇らせたかったのは……マリカさん?




