はじめてのよる
サーラさん達について部屋に入ると、豪華な刺繍の赤い絨毯の上、大きなうちわにあおがれくつろぐラビ陛下がいた。
入り口の付近には数人の兵と女官が立っている。サーラさんたちもそこに並んだ。
ムト将軍もそこに立っていて、入ってきた私を見ると瞬時に鋭い目つきになっていた。どうやら私はこの人にだいぶ警戒されているらしい。気持ちはわかるけど。
一方ラビ陛下は私を見るとニッと笑い、トントンと空いている場所を示した。
「ノア、来たか。ここに座ってくれ」
「は……はい」
「そんなに固くならなくてもいい。膝を崩せ」
言われるまま座ると食事がどんどん運ばれてきた。見たことのないものばかりだが、なんだかいい香りがする。パンみたいなもの、牛肉の塊焼き、スパイシーな香りのスープ……それに、デーツ!甘くて美味しいスイーツ付き!
「腹は減ってるか?」
「は……はい」
「ノアは華奢すぎる。たくさん食え」
そう言ってパンのようなものをちぎり、口に運んでくださるラビ陛下。これはいわゆる、あーんというやつではないか。
「いや、そんな、自分で食べますから!」
首をブンブン横に振ると、ラビ陛下はハハハと笑って、口にずいっと押し込んできた。
「夫が妻を甘やかしてなにが悪い」
「んんん……」
「それにしても……綺麗だな。その服、似合ってる」
「…………」
顔が沸騰するかと思った。
人に見張られながらの食事は緊張したが、ラビ陛下は私に終始優しく話しかけてくれた。料理の説明をしてくれたり、唇の端についたスープを指で拭ってくれたり、いちいち綺麗だと褒めてくれたり。
絶世のイケメン、しかも王様にこんな甘々対応されてしまって、このあと何か悪いことでも起きるんじゃないかと逆に怖い。背中にはムト将軍の鋭い視線をビシビシ感じている。
「……腹は満たされたか?」
「はい。初めてのお料理ばかりでしたが、とても美味しかったです。ごちそうさまです」
「よし。……さて、部屋で休むか」
「!」
ラビ陛下が立ち上がり、座る私に手を差し伸べる。
この手を取ったら……私は……
「ノア、行くぞ」
「…………はい」
拒めない。エメラルドの瞳を直視できない。
俯いたままその手を取り、立ち上がる。そのまま手を引かれて部屋を出た。少し後ろからサーラさんとムト将軍が静かについてくる気配がした。部屋の外で待機でもするのだろうか。
ところどころ松明の火が照らす暗い廊下を無言で歩くと、ひときわ立派な戸の前に着いた。警備の兵が戸を開く。ラビ陛下は私の手を引いたまま部屋に入り、そのままキングサイズくらいの寝台へ。
思わず立ち止まると、ラビ陛下が振り返った。
「……どうした? 湯浴みは済んだろ?」
「それは、そうなんですけど……!」
「なら問題ないな……問題ないはずだ」
「きゃっ!」
腕を引かれ、倒れ込みそうになったところを抱えられ、寝台に寝かされた。すぐに覆い被さってくる陛下、まるで黒豹。
「……あ!あの、まずはお話ししませんか。こういうのはお互いのことをよく知ってからの方がいいと思うんです」
「……怖いのか?」
黒い髪の向こうで、ジロリと緑の眼が光っている。
……こーわーいー!!こわいよ!!
だってこういうこと……働き始めてから全然なかったし!久々すぎるし……
「コワイデスゥ……」
正直に小声で答えると、陛下は無言で見下ろしてきた。おそるおそる見上げた先にあった陛下の目は、いつのまにか凍えそうなほど冷たかった。
「……陛下……?」
「…………」
大きな影がゆらめいて――
「へいか……?……ん、んーーーッッ!!!」
突然、右手で首を絞められた。
反射的に出た手がその手首を掴む。だがびくともしない。首を絞めつける力はどんどん強まり、痛く、苦しく、息が吸えなくなる。勝手に涙が浮かんでくる。
霞む視界いっぱいにうつる冷たい彫刻のような顔。さっきまでの紳士な陛下はどこにいったのか、まるで誰かが乗り移ったかのようなその緑色の瞳の奥に、暗い何かがある。が、それどころじゃない。
殺される!!
ーー少し力を緩められ、やっとの思いで息を吸う。
「陛……っん、んーーーっ!!」
だがまたすぐに力を込められた。
「し、しんじゃ……っん!んーーっ!!」
酸素が足りなくて頭が回らなくなる。ただ息を求めることしかできなくなる。そんなことを何度も繰り返された。
「ンッ!……ンーーッ!!っ……!」
「…………」
しばらくして、やっと。
首を絞める手が飛ぶように離れた。
「……はっ、はっ、はっ……」
陛下が目を見開いて、後ずさり、息を荒くする。
むせこむ私から目を逸らし、陛下は寝台から立ち上がる。そしてしばらく肩で息をして、絞り出すように言葉を吐き出した。
「……悪い……」
酸欠なうえに、あまりに簡単すぎるその言葉にめまいがした。
……悪い?
これは……そんな言葉だけで済むことなのか?
陛下だから? 王だから? 許される?
なのに、陛下はさらに続ける。
「……俺は『神から贈られた女を妻にした』という事実だけあればいい……お前は黙ってお飾りの妻をやってくれればいい……」
「な…………」
「……死にたくなければ余計なことは言うな」
「…………」
そして陛下は逃げるように部屋を出て行った。
ひとり部屋に取り残された私は、思考も呼吸も追いつかなかった。
「…………なに、あれ…………」
今のは一体、なんだったのか。あの人、私にプロポーズしなかった? なのに首を絞められた?
まだ首は痛いし、心臓も早く苦しく跳ねている。意味がわからない。
そのまま寝台に横になっていると、少ししてルンルン顔のサーラさんが水差しを持って部屋に入ってきた。
「失礼します。……ノア様、お水をどうぞ!」
「…………」
なんだか泣きたくなってきた。
「陛下は湯浴みに行かれました。しばらくしたらお戻りになると思います」
戻ってくる? ……いや、あんな人、いくらイケメンでも一緒にいたくない!
「……サーラさん、他に寝れる部屋ってありますか?」
「え?……え、えぇ、ありますが」
「今日は一人で寝たいんです」
「な……なにかあったのですか?」
「いや……いいんです。でもとにかく、今日は一人で寝たくって……」
サーラさんが目を丸くして息を吐き、肩を落とす。
「やはり、陛下…………わかりました。すぐにお部屋を用意します」
「お願いします……」
部屋を出て行ったサーラさんが戻るまで……
私は寝台に大の字になり、
赤くなっているだろう首に手を当て、
松明の火が生み出す揺らぐ壁の影を、
ぼうっと見つめることしかできなかった。