王の焦り【side ラビ】
ノアが消えた。
王宮で碑文を彫らせているときのこと。一緒に見ていたノアが突然、「法典作る!」と興奮し中庭に走っていった。そこまではラビも見ていた。
「ノア様は閃いたら猪突猛進ですねぇ」
楽しそうに笑うアウェルとアーシャと共にノアを追い、のんびり中庭に向かう。だがそこにノアの姿は見当たらなかった。
興奮しすぎてどこかに行った? 迷子にでもなったのか? 王宮内を歩き回るが、見当たらない。
なんとなく胸騒ぎを覚え周りの女官たちに聞くも、誰もノアの行方を知らない。アーシャやアウェルに調べさせるが、王宮の外に出たわけでもないようだった。
中庭での目撃情報を最後に、ノアは消えた。すぐに兵に指示し探させる。だが目ぼしい報告は上がってこない。神殿から駆けつけたライルと合流するが、やはり見つからない。そうしているうちに日が暮れ始め、いつも飄々としているライルも次第に焦りを見せ始めた。
「おいラビ、これやべぇんじゃねーの……」
「……まさか、連れ去られた? 『神の贈り物』を邪魔に思う奴らに……」
「アイツらか?!」
王宮内の隅々で早足で回りながら、ライルが声を荒げる。ラビは眉をひそめる。
民の不安を煽らないように王宮内に話をとどめておきたかったが、これは捜査の手を拡大すべきだろうか。
「いや、そんな露骨なことをするか?……でも間違いなく王宮内の人間の仕業だ」
「誰が嬢ちゃんを……」
「陛下!ノア様ならご無事です!」
ラビとライルは勢いよく振り返る。
2人が何よりも求めていた言葉の主は、肩で息をしながら真剣な眼差しを向けてくるサーラだった。
「サーラ!嬢ちゃん見つかったか!」
走ってきただろうサーラは、息を整えながら2人に近寄る。そして小声で話し出す。
「陛下、ライル様……ノア様はご無事です。ご安心ください。どこよりも安全な場所にいらっしゃいます」
「どういうことだ。ノアは今どこにいる?」
「シッパルに。イルタニ様の保護の元、修道院に隠れていらっしゃいます。……明日の昼にはシッパルから公式に伝令が届くでしょう。『シッパルの太陽神神殿に、朝日と共にノア様が現れた』……と。ノア様は神のお力でシッパルに移動された、という形です」
サーラの言葉に、2人の男は安堵しつつも眉をひそめる。
「……サーラ、そりゃどーゆーことだ? サーラが嬢ちゃんを極秘にシッパルに移した……のか?」
サーラはこくりと頷き、ラビを見る。
「えぇ。イルナ王子派の勢力が増している今、ここはノア様には危険すぎます。イルタニ様と相談し、ノア様をシッパルにお連れしました。……陛下、明日、伝令が皆にノア様のシッパル到着を伝えたら、シッパルへノア様をお迎えに行きましょう」
「……イルタニのやつ……俺に無断で……」
ラビの怒りを孕んだ言葉に、サーラはすぐに床に手をや付き、額を押しつけた。
「……陛下!お怒りはごもっともです。しかし、イルタニ様をお責めにならないでください。イルタニ様はノア様のお命を、そしてなにより陛下のご安全を思っていらっしゃいます。陛下を奴らの魔の手から守りたいと、心から思ってのことです」
ラビは怒りを逃すように、目を閉じ、ふぅと息を吐く。
ラビとて分かっていた。王宮にノアを連れ帰ることで、奴らを刺激しかねないことを。女嫌いの王が子を成さないことを名目に養子を送り込み、穏便に王家を乗っ取ろうとする奴らにとって、ノアが目障りな存在になることを。
だから王宮では一人になるなと言っていたのに、まさか一瞬の隙をつかれて目の前から消えるとは。己の警戒力のなさに、ラビは苛ついていた。
「……わかった。このままノアの捜索は密かに続けさせ、明日の伝令を待つ。すぐに出発できるよう俺は支度をする。ライル、お前は?」
「俺は……あとから行くよ」
ライルがそう、答えた時。
「陛下!」 ――いつもよりさらに険しい表情のムトが走ってきた。
そしてムトがラビの前で跪き、その報告を終えた時、ラビは血管が浮き出るほどに拳を握りしめていた。
◇◇◇
――『失踪した神からの贈り物が、突如朝日と共に、シッパルのシャマシュ神殿に現れた』――
サーラの言ったとおりの伝令がバビルに来てから10日後。バビル王ラビはついにシッパルへやってきた。
「兄上!遅かったですね。まさかお迎えにいらっしゃるまでにこんなに時間がかかるなんて。待ちくたびれました。それにしても……たいへんな大行列ですこと」
出迎えに来たイルタニに、ラビは険しい顔を向ける。
「イルタニ……言いたいことは山ほどあるが……ノアはどこだ?」
「お姉さまならもうすぐこちらにいらっしゃるかと……あ!あちらです」
イルタニが向いた少し離れた先には、両手を大きくブンブン振り、白いドレスの裾をフワリと揺らす、とびっきりの笑顔のノアがいた。
ラビは肩の力を抜き、ノアに向かいゆったりと歩みを進める。ノアもまた、ラビに駆け寄る。
「陛下!お久しぶりです!」
「あぁ。王自ら迎えに来てやったぞ」
「ありがとうございます!ふふ、久しぶりの陛下だ〜〜」
デレデレと顔を緩ませるノアに、ラビの頬も釣られて緩む。
「……変わりないか? ここで大人しくしていると聞いたが」
「はい!……でも寂しかったです。この世界に来てから毎日陛下とお会いしてたのに、突然会えなくなっちゃって。やっと陛下の美顔を拝めて元気出ました」
まっすぐ見つめてくるノアを直視できず、ラビはふいと目を逸らした。
「……バビルにいたはずの『神からの贈り物』が、神の力で瞬間移動をしたのだと、町でも話題になっていた。……シッパルはどうだ? 修道院は窮屈だったろ」
「そんなことないですよ!いろんな人とお話しする機会があって、とても勉強になりました。……陛下、サーラさんとアーシャちゃんは?」
「後から来る」
「そうですか。……あ、そうだ、陛下にお聞きしたいことがあって。……あの、ラルサのシェリダ王女は……」
「嫁いで行った」
「……そう、ですか……」
ノアがうつむいた。
「……『あのお節介な神の贈り物によろしく』と言っていた」
「…………」
ノアがシェリダ王女のもとへ密かに行ったことは、アーシャから報告を受けていた。結果、何も起こらなかったのでラビは咎めるつもりもない。
「……ここでなにを勉強したんだ?」
「この社会の文化や制度のことを。ここには高名な学者さんたちがたくさんいるんです。……あ!それで、私、ひとつ陛下にお願いがあるんです!」
ノアは顔を上げる。焦茶色の瞳がまっすぐにラビを見上げる。
「なんだ?」
「バビルの王宮で『法典を作りましょう』と、申し上げたのを覚えていますか?」
「あぁ。やたら興奮していたな」
「はい! 私はこの世界で、陛下の法典を作ることをライフワークにすると決めました。そのためにまずは、先行事例の研究をしたいのです。裁判に詳しい学者さんに聞いたところ、ちょうどいい事例が隣国にあるらしいのです!
エシュヌンナ。陛下の養女・ナディア王女が嫁いだエシュヌンナ! エシュヌンナの先代王が『エシュヌンナ法典』なるものを作ったらしいのです。ですから私、エシュヌンナに業務視察に行きたいのです!」
エシュヌンナ。その単語にラビは目を見開いた。
「驚いたな……お前は本当に『神からの贈り物』だな。お前の無事を確認したら、すぐにエシュヌンナに行くつもりだった」
「え!? ほんとですか! なんていいタイミング! ぜひ私も連れて行ってください!」
ノアの瞳がキラリと輝いた。
「わかった。お前がいれば兵の士気も上がるしな」
「ん? 兵の士気?」
「あぁ。これからエシュヌンナを落としにいく」
「……落とす?」
「落とす。エシュヌンナ王ツィリの首を取る」
「首を取る……」
「戦争だ」
そう答えると、先ほどまで輝いていたノアの目からゆっくり光が消えていった。




