勝利の宴 ②
「ノア様?」
「……ダメです。ラルサの女性達は神殿で働くと決まっているんです」
自分になんの権限もないことはわかっているが、口が勝手に動いてしまう。
「え、えぇ、ノア様、聞いています。ですからそこをなんとか、陛下にお頼みしているのです」
「ダメったらダメ……」
「いいだろう」
陛下がズバッと答えた。思わず振り返る。
「……へ、陛下、ちょっと待ってください。いくらなんでも……この人とあの王女とでは歳が離れすぎでは?」
「この者は今回の遠征に大いに協力した。褒美があって当然だ」
「あぁ陛下!ありがたき幸せ!」
男は心底嬉しそうに、脂ぎった額を床に押し付けた。
「…………」
……なにも言えなかった。
いや、分かってる、私に口出す権利なんてないことはちゃんと分かっている。でも理解はできても納得はできない。
あの子、まだ子供なのに。褒美にするなんて。モノ扱いするなんて。
拳を丸め、男の丸い背中を睨んでしまう。
「……母上?」
肩をトントンされる。ヌマハ王子だ。我に帰る。振り返ったら、陛下も王子もイルタニさんも、みんな不思議そうな顔をして私を見ていた。
「あ……母上、顔色が悪いです」
「少し休みましょう」
王子たちが心配そうな顔になる。
……こんな子供まで、この事態に違和感を感じていないのか。
「ノア、部屋で休むか?」
陛下も心配そうな目を向けてくる。
いや、心配してほしいのは私じゃない。ラルサの王女を心配してほしいのだ。こんな男に妾にされる、捕らわれの身ながら凛とした佇まいを崩さなかった、あの美しい女の子を。
……陛下にはこんな男の下衆な願い、さっさと断ってほしかったのに。
「お姉さま?……なにかお口に合いませんでした?」
イルタニさんが首を傾げる。
……いいや、違う。ここでは私が違うんだ。この人達にとってはそれが当たり前で、私の感覚が間違っている。
ここでは女は男の所有物なのだ。女のイルタニさんたちまで、その事実に馴染みすぎている。
ここはそういう世界なんだ。
文化が違う。
「……すみません………私、部屋に………うっ」
それが嫌ほどわかった瞬間。胃の中身が逆流する感覚に襲われた。
「ノア? 大丈夫か」
すぐに手で口を押さえ、外に向かって走り出す。
「ノア!」
人に何度かぶつかりながら、走って広間を出る。廊下を出て――中庭に出た。限界を迎えていた胃が内容物を勢いよく吐き出した。
「はっ……はっ……」
「……ノア!大丈夫か、腹が痛むのか?……おい、そこの兵、医師を呼べ!」
追いかけてきた陛下が背中をさすりだす。
「陛下、大丈夫です。少し疲れただけです。……もう部屋に戻らせていただきます。すみません」
「そうだな、休んだほうがいい。顔色が悪い」
陛下がペタペタ額や頬を触ってくる。いつもなら、イケメン!キャッ!となるところだが、今はとてもそんな気分にはなれなかった。
「ノア様!どうされたんです?!」
サーラさんとアーシャちゃんもあわてて走ってきた。周りにはちょっとしたギャラリーができていて、皆さんの楽しい酒の席を邪魔してしまったと罪悪感に襲われた。
「……すみません。たぶん、疲れが出たんだと思います」
「ノア様、お部屋で休みましょうか」
「俺が部屋まで連れて行く」
「一人で大丈夫ですから!……陛下はどうぞお戻りください。陛下がいないと宴にならないですよ。心配かけてごめんなさい。サーラさんもアーシャちゃんも……自分で歩けますから」
「だが……」
騒ぎを聞きつけたのか、外で警備をしていたはずのムトが猛スピードで走ってきた。
「陛下!どうされましたか!……ノア……様?」
ムトは瞬時に状況を把握したのか、手早く私の体を抱え肩に担ぎあげた。わしゃ米俵か。
「わ!ムト、なに」
「……陛下、ここは私が。ノア様をお部屋にお連れします」
「ムト、いい。俺が……」
「陛下を嘔吐物まみれにするわけにはいきません。サーラ様もアーシャ様も、お召し物が汚れてしまいます。ここは私だけで大丈夫です。皆様どうぞお戻りください」
ムトはキリッと答えるが……
そんなにまみれてないし。ちょっと服にはねただけだし。
「……そうか。ノアを任せたぞ」
「御意」
私を抱えたままお辞儀をして、ムトは大股でスタスタ歩き出す。
見送る心配そうな陛下やサーラさんの顔はあっという間に見えなくなった。段々と宴会の騒ぎ声も遠のいていく。
「……大丈夫か」
月明かりの照らす静かな王宮内を歩きながら、ムトが珍しく……優しい声をかけてくれる。
抱えられているから顔は見えないが、なんとなく心配してくれていそうな雰囲気だ。あのムトが!ちょっと嬉しい。
「うん。……全部吐いたからすっきりした」
「……ノア…………殿、なにがあった?」
「二人の時は殿とか様とかつけなくていいよ。変な感じするし。……吐いちゃったのは、たぶん、あまりの文化の違いにショックを受けたんだと思う」
「文化の違い?」
「うん。この国では女は男の人の所有物なんだなぁって」
「ノア……の国は、男も女も人間はみんな平等、だったか」
「建前上はね。……でもこの国では違う。女は政略結婚の手段にされるし、夫の子を産むために別の女を差し出したり、褒美に使われたりもする。その状態に女の人自身も疑問をもってないくらい、当たり前のことになっている。それがなんだか……悲しくなっちゃって。いや、郷に入れば郷に従え、なのは頭では分かってるんだけど……」
ムトが歩むスピードをゆるめる。
「……必ずしもそうじゃない。俺が昔派遣されたマリ王国では、王妃が政治的に強い力を持っていた。あの王妃は王の子を多く産んだだけでなく、王の不在中、王宮で行政の舵取りをしていた。彼女はまるで王の副官だった。……そんな女もいる」
「うそ……すごい、この世界にもそんな女の人がいるんだ……!」
ムトの言葉に胸のモヤが少し、晴れた気がした。
そして今更ながらに気づく。ムトの背中、筋肉すごい。服の上からでもわかる。さすが将軍だ。
そんなことを思っていたら、ムトがボソッとつぶやいた。
「……ノアはどこかあの人に似ている気がする」
「えっ、あの人? マリの王妃?」
「見た目は全然だけどな。あの人は胸も尻もちゃんとある」
「おーい」
「性格だな。前向きなところはノアとよく似てる」
「へ、へへへ…………」
ムトにそう言われるとちょっと照れる。先ほどの無礼な発言は許してやろう。
それにしてもマリ王国の王妃。会ってみたい。もっと知りたい。
「ねぇムト、マリ王国の話もっと聞かせてよ」
「それより俺に話すことあるだろ」
「え? なんだっけ?」
「武器の話。それひとつで町を滅ぼす武器。……遠く異国を旅する商人たちにも聞いたが、そんなものは聞いたことがないと。神の所業じゃないかと言っていたぞ。どうなんだ」
「どうなんだと言われましても、あるものはあるんだよ。……私がいた世界は、たぶん、この世界から数千年経った後くらいの世界なんだけど、そこでは科学技術……えーと、なんて言えばいいんだろ……
……そう、いろんな物事の研究が進んでね、例えばどうして火は燃えるのかとか、どうして水を温めると湯気になるのかとか、そんないろんな物事の理由がわかるようになって、その知識を活かして今までできなかったことができるようになるの。遠くにいる人と話ができたり、人が空を飛べたりするようになる」
「人が空を飛ぶ?! ノアも飛んだのか?」
ムトの顔は見えないが、声からテンションが上がっているのがわかる。
「飛んだよ!鳥みたいな形の乗り物に乗るの。そうすると人も空を飛べるんだよ」
「……信じがたいな。というか、つまり……ノアは未来から来たのか?」
「たぶん。未来のような場所から来たことは間違いないかなぁ」
「…………」
そんな話をしてる間に、いつのまにか静まり返る王宮の奥、王妃(仮)の寝室に辿り着いていた。警備の兵が戸を開けてくれて、ムトにそっと寝台に下ろされる。
「ムト、運んでくれてありがとう。えっと、着替え着替え……」
「ノア!」
「は、はい!?」
私をおろすなり、ムトがガバッと寝台に両手をつき、身を乗り出して寄ってきた。引き締まった肉体、端正なお顔が目の前に迫ってくる。近い近い!
「ム、ムト……?」
まっすぐ向けられた黒い瞳は……火の灯りと月明かりだけが頼りの暗い室内でもわかるほど……キラキラしている。
普段はどちらかというと無愛想なムト。それがなんとも楽しそうなお顔になっている。心臓の鼓動が早まった。
そして、ムトは……
「その空を飛ぶ乗り物とはどうやって作るんだ」
「それは我がバビル軍でも作れるだろうか」
「素材はなんだ?」
「どういう仕組みで空を飛ぶ?」
「遠くにいる人と話せる技術とはなんだ」
「それがあれば伝令がいらない。他の国の王とも話せるのか?」
「火はなぜ燃えるのか?」
「未来とはどんな世界なんだ?」
「ほにゃらららららら?」
まーたこれだよ!!またこれ!!
そんなワクワク顔で迫られても!早く着替えたいんだけど!!




