勝利の宴 ①
バビル、もとはバーブ・イリと呼ばれたこの都市は、「二つの川の間の地」で覇権を争う都市国家の中では、比較的新しい勢力らしい。
5代目バビル王・ラビの積極的な対外政策により、その名は世界に轟くことになる。先の「対エラム戦争」での勝利、そして城塞都市ラルサ攻略。バビルは今まさにノリに乗っている都市国家だった。
サーラさんとイルタニさんに王宮をひと通り案内してもらい、与えられた部屋でしばし休憩し、夕刻、盛大に始まった宴。
妖艶な踊り子、派手なパフォーマー、賑やかな楽団、豪勢な料理、絶え間なく響く笑い声……
それそれは盛大で、夜が夜でなくなるような大騒ぎ。
あまりの賑やかさに圧倒され、食欲がわかない。長旅は疲れたし、早く寝たい。なんてとても言えないので、おとなしく席に着く。
玉座に腰掛ける陛下のそばに恐れ多くも席をいただいた私、近くにイルタニさん、ニコニコ可愛い王子たち、チラチラ私を睨んでくる側室の皆さん、安心・安全なサーラさんとアーシャちゃん、それに陛下の最側近と思われるアウェルさんたちお役人十数名。いわゆる一軍コーナーに配置されてしまった。
そして広間には無数の人々。だが、見慣れた姿が見あたらない。
「……あれ? サーラさん、ムトとライルは?」
「ムトは平民なので正式な宴には参加できません。外で警備にあたっています。ライル様は先にお休みだそうですよ」
「そ、そうですか……」
こんなところでも身分制が顔を出す。
気持ちは平民なので、私も一緒に外に出たい。
そんなことを内心言っているのはきっと私くらいで、皆さんは心底嬉しそうに宴を楽しんでいる。そりゃそうだ。みんなにとっては久々の故郷だ。嬉しくないはずがない。盛り上がらないはずがない。
でもサーラさんやアーシャちゃんが見知らぬ人たちと楽しそうに話しているのを見ると、正直寂しく感じる自分がいる。この2人にはことあるごとにお世継ぎプレッシャーをかけられるけど、いつの間にか私の中で大きな存在になっていたのだと、身に沁みてわかる。
陛下もまた、ひっきりなしに人が来るので話すタイミングはほとんどない。私はひとり、無駄に食事を取り分けたり、リゾットの中の豆を一粒ずつ食べてみたり。とりあえずニコニコしてやり過ごそうと思う。
「……母上、このビネガースープ、とても美味しいですよ。飲んでみてください!」
そんな寂しい女に気づいたのか、イルナ王子が声をかけてくれた。なんて気のきく優しい子なのだろう。
「王子……!うん。じゃあ、頂きます……ほんとだ、お酢とニンニクのコンビが絶妙。これ美味しいね!」
「でしょう? ほら、あっちの料理も……はい、母上、いっぱい食べましょ」
「あ、そんな取分けなんてしなくていいよ!そういうのは若手女子の仕事だよ……あ、いや、ジェンダーだねこれは。いやとにかくイルナ王子、ありがとう」
「あ!兄上ずるいです、僕が母上にお料理とってあげたかったのに!」
そう怒ってぷくっと頬を膨らまし、イルナ王子を睨むちっこいヌマハ王子。それにあかんべーで答えるイルナ王子。
癒しッ……!なんて可愛い兄弟なんだ。
一人悶えていると、ちっこいヌマハ王子がうつむいて、さみしそうに呟いた。
「姉上も来れたらよかったのに」
「姉上? お姉さんがいるの?」
お兄ちゃんのイルナ王子が肩をすくめて答えてくれる。
「ええ、ナディアは俺の妹で、こいつの姉にあたります。あ、俺たち3人は父上の養子ですが、同じ父を持つ実の兄弟でもあります。第一王子のディタナ兄は違いますが……。それで……ナディアは昨年エシュヌンナ王に嫁ぎました」
「え、イルナ王子より歳下ってことは……ナディアちゃん、結婚するにはまだ若くない?」
「もう16です。子を産むには十分な歳ですよ」
「16ーーー!!」
しれっとそんなことを言いのけるイルナ王子。ど、ドライ〜〜
「エシュヌンナの新しい王・ツィリは、もともと軍人で、とても荒っぽい王なのです。だから僕、姉上が心配で」
眉をハの字にするちっこいヌマハ王子。お姉ちゃんのこと好きだったんだろうな。
……要するに、これは政略結婚だろう。
ラビ陛下はエシュヌンナと友好関係を結びたかったんだ。若い王女はそのための手段として使われたんだ……
なんだか複雑だ。
そんなことを思っている間にも、玉座の陛下のもとへは次々といろんな人がやってくる。
「陛下!ラルサ攻略、お見事でした。……して、こちらが噂のノア様でいらっしゃいますね」
「神はまた可愛らしい王妃様を遣わされたものですな」
すでに酒が回っていそうな頬の緩んだ役人、商人、その他諸々の人たち。服装的に異国の人もいる。みんなジロジロと見定めるように、「神からの贈り物」に目を向けてくる。
「陛下、ノア様との婚礼の儀はいつ行われるのです?」
見るからに上等な服を着た男が聞く。
「エサギラの大神官が日取りを考えている途中だ。もう少し先になるらしい」
陛下は少し不満そうに答える。
「そうでしたか。待ち遠しいですな」
「……そうだ、お前の工房で衣装を作ってくれるか。ノアの婚礼衣装を頼みたい」
「えぇ!もちろんです。世界で一番お美しい花嫁衣装を仕立てましょう!ノア様、近いうちにご採寸に伺わせていただきますね」
「よ、よろしくお願いします」
どんどん婚礼の話が進んでいる。なんかもう、後戻りできない感がすごい。
「お美しいといえば、イルタニ様も相変わらずお美しい。こんなにお美しい女性だ、相変わらず求婚が絶えないのでしょうな」
男はうっとりとイルタニさんを見つめる。
「ふふふ。でも兄上がなかなか結婚を許してくれないのですよ」
神官も結婚できるんだ。驚きを思わず呟くと、そばにいた人が一斉に振り返った。緊張に背筋が伸びる。
ーーえ? 何を言ってるのこの人?ーーという皆さんの心の声が見えるようだ。どうやら変なことを言ってしまったらしい。
「……ノアは神からの贈り物。遥か遠く彼方の地から神が連れてきたから、この地の習慣をまだよく知らない。皆で色々教えてやってくれ」
陛下ナイスフォロー!
イルタニさんは、なるほどなるほど、と頷いた。
「そうでしたか。……お姉さま、女祭司や女神官は神に仕えますが、人間の男性と結婚することが許されています。ただ、子を成すことはできないので、女侍従を代わりに夫に差し出し、子を産ませるのですよ」
「……さ、差し出す? ……?」
「えぇ、子を産み家を守ることが妻の務めですから」
そういって、ニコッと上品に笑うイルタニさん。とても可愛らしい。だからこそ、その言葉とのギャップに胸が騒ぐ。
なんだそれ。侍女を代わりに差し出して……子を産ませる? 侍女の意思は? 結婚ってそれでいいの? えぇ……??
子のいない陛下の側室3人とサーラさんはどこか気まずそうだけれども、他の男性陣は、うんうん、と頷いている。
ここではそれが当たり前なのだろうか。
子を産み家を守ることが妻の務め。
そういう……文化、なのか……?
理解しがたい。
……文化が違う。
文化が違ーーう!!
某歴史漫画の有名セリフを脳内シャウトしている間に、また別の男……50代くらいの、テカテカした顔のふくよかな男……が陛下の前にひざまづいていた。
「陛下!この度はおめでとうございます。陛下……実は陛下に折り入って、お願いがございまして」
「お前か。なんだ、申せ」
「はっ!……連行されてきたラルサ王の妻や娘たちは神殿で働かせると聞きましたが……私めにその娘を1人、くださいませんか」
「娘? お前確か新婚ではなかったか。早速妾を迎えるのか」
「い、いやぁ、それはそうなのですが……」
「……なんだ。言ってみろ」
「実はあの一番若い娘……シェリダ王女がとても好みでして……」
男は口をニヤつかせ、手を揉み合わせる。率直に言って、気持ち悪い。それに一番若い娘って……あの金髪の美少女のことだろうか。あの子はまだ10代後半あたりのはず。
この男、自分の娘ほどの歳の女を……妾にしたいと言っているのか。
あまりの不快感に思わず立ち上がる。
みんなの視線が一瞬にして集まった。




