表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
131/135

墓前の秘密 ③

 夕刻、シッパルから戻った陛下が、急ぎ足で寝所にやってきた。


 近づいてくる足音に、久々に会える嬉しさよりも、キリキリと痛む胃の主張が激しくなる。


「……ノア!」


 嬉しそうな声と共に戸を開け入ってきた陛下は、相変わらず絶世のイケメンだった。美。


「陛下、お帰りなさい」


 寝台から立ちあがろうとする私を、陛下は上機嫌に抱きしめ押し倒す。展開が早いのも相変わらずだ。


「ノア、会いたかった。ウルの話も聞きたいが、先に…………いいか?」


「あ、あの……その、えっと…………」

 

 いつもより歯切れの悪い私に違和感を感じたのか、陛下は身を起こし、寝台に腰掛け、心配そうに顔を覗き込んできた。


「どうした? どこか具合が悪いのか?」

 

「……すみません。ちょっとお腹が痛くて……」


 つい、そんな風に口走ってしまう。

 陛下は慌てて私を優しく寝転がせ、頭をヨシヨシ、撫でてきた。


「……仕方ないな。今日は我慢してやる」


「陛下…………」


「その代わり、治ったら覚悟しておけよ」


 陛下の優しい微笑みに、優しさに、余計胸が痛くなった。


 こんなにも私を気遣ってくれるこの人に、隠し事をしている自分が、疎ましい。情けない。申し訳ない。


 早く言わなくちゃ。

 今日こそは言わなくちゃ。


 ーー頭の中で、何度もシュミレーションした。

 


『陛下、あの時ライルがおこなったのは、実は「死者蘇生の儀礼」だったんです。ライルは本当は、マリカさんを蘇らせたかったんです。その儀礼では、術者が蘇らせた人に寿命を与えなくてはいけないので、ライルも自分の寿命を捧げ、儀礼に挑みました。


 でも儀礼は失敗して、代わりにやってきたのが私でした。

 

 だから私は、「神からの贈り物」でも、なんでもありません。


 ……そんな訳なのですが……


 これからも、私が陛下のおそばにいることを許してくれますか……?』



 ――何度やっても、その先、陛下の顔が固まったその先が、真っ暗になる。


 陛下は……優しいから、きっと言葉では私を拒否しない。

 

 でも、本当はここにはマリカさんがいたかもしれないと知ったらーー


 陛下はきっと苦しい思いをする。


 全てを知った陛下の目には、私はどう、映るのだろう。


 「神からの贈り物」でもなんでもない、マリカさんの代わりに来てしまった女だと、知ったならーー


 それを知るのは、怖かった。


 俯く私に、陛下は声をかけてくれる。


「……そうだ。『法典』の進捗はどうだ? アウェルから、ノアが身を粉にして仕事していると聞いたが」


「そ……そんな、大げさですよ。でも、もうすぐ完成です。法典を刻ませるための、立派な玄武岩を取り寄せたんです。原案ができあがったら、陛下、ご確認ください。ゴーサインを出していただければ、早速石に刻んでもらいます」


「わかった。それにしても仕事が早いな。頼もしい」


 そう言われると、ホッとする。こんなところにきても社畜の性が抜けない。


 頭を撫でながら、陛下が思い出したように言う。


「……そうだ、マリのことだが。今度あの街を完全に焼き払うことにした」


「や、焼き払う?!なんでですか?!」


 突然の情報に、思わず起き上がる。陛下は一瞬たじろいで、でもすぐに私の手を握ってきた。


「穢れを祓うためだ」


「穢れ?」


 陛下は私の手をすりすり、撫でながら話す。


「ギルガメシュX……俺は結局見ていないが、ウルが使った怪物は、『死者蘇生の儀礼』などという、おぞましい禁忌の儀礼で召喚された、かつての英雄だったらしい」


 「死者蘇生の儀礼」ーー陛下が儀礼のことを知っている。


 背筋がゾワリ、震えだす。


「……陛下、なぜそれをご存知で……?」


「捕えていたラルサの王が吐いた。それでウルを調べさせたんだが……。いくら元英雄とはいえ、アレは禁忌の術で現れた、穢れた存在だ。アレが蹂躙したマリの街は焼き払い、清めなくてはいけない」


「…………」


 穢れた存在。

 

 頭の中で、その単語が嫌に響く。


 禁忌の術……穢れた存在……。


「……安心しろ。街の人間はみんな事前に退避させるから」


 黙り込む私を見て、陛下は私がマリの人々を心配していると思っている。


 ……違う。今は私の頭の中には、そんな高尚な考えはない。


 穢れた存在。


「……そうです、か……」


 穢れた存在。

 穢れた存在は、焼き払われ、清められる。


 違う、別に陛下は私のことを、そう言っているんじゃない。頭ではわかっている。なのに、その言葉が頭に棲みつき、離れてくれない。


 陛下は呆然と俯く、私の肩を抱き寄せた。


「……誰もいない街を焼くだけだ。マリの民の行き先も斡旋する。だから心配するな」


「…………」


「……まったく、優しすぎるのも考えものだな」


 陛下は困ったように笑うが。


 違う。私は卑小な……穢れた存在だ。


「俺の大事な『神からの贈り物』のためにも、穢れはきっちり焼き払わないとな」


 額に口付けを落とす、陛下の無邪気な言葉。


 それがなぜか胸にズブリ、深く深く刺さってしまった。


 そして、抜けない。

 

 ――違う。

 

 私は「神からの贈り物」なんかじゃない……


 あなたの親友の寿命をもらい、あなたの愛した女の代わりにやってきてしまった、穢れた存在……


「…………ノア?」


 陛下の声が遠い。耳鳴りがする。

 息が……吸えない。苦しい。

 息を吸わなくちゃ。吸わないと。息が――


「ごめん……なさい……っ」


 喉の奥がひゅっと鳴った。


 酸素が足りない。頭が真っ白になって、足が勝手に動いた。


 裸足のまま、部屋を飛び出した。


「ノア!!」


 陛下の呼ぶ声が背中に突き刺さる。

 追いかけてくる足音が怖い。心臓が暴れている。

 月明かりの中庭。

 でもすぐに腕を掴まれた。


「どうした?!」


 肩を抱かれる。冷たい夜気が肌を撫でるのに、汗が止まらない。


 陛下の瞳が近い。エメラルドの色が滲んで見えた。


 呼吸がうまくできない。声が嗚咽に混ざる。

 陛下の腕の中で、震えが止まらない。


 荒い呼吸の隙間で、私は必死に、謝った。

 

「ごめん、なさい、ごめ、ん、なさい」


 陛下は困惑している。


 異変に気づいた警備の兵や、女官さんたちが遠巻きに集まってくる。


「……ノア、なにか、辛いことでも……」


 首を振る。何度も何度も。視界が揺れる。


「ごめん、なさい……っ、ごめん、なさい……」


「謝らなくていい。ノア、俺を見ろ」


 震える視界の中で、陛下の顔だけがはっきりした。


 その心配そうな眼差しに、ますます胸が締め付けられた。


 陛下の胸に縋りつき、必死に言葉を紡ぐ。

 喉の奥で何かが詰まる。声が震える。

 息が途切れる。

 それでも、必死に懇願した。


「どうか……どうか…………」


 焼き払わないでください…………


 涙が勝手に溢れてきて、陛下の服を濡らした。

 

 自分でも、なんでこんなことになっているのか、分からなかった。

 

 陛下はもっと分からなかっただろう。


 戸惑いながらも、背をさすってくれる陛下の胸の中。


 ドク、ドク、ドク。

 心臓の鼓動が聞こえる。

 

 ーー陛下のこの鼓動は、陛下のものだ。


 ーー私の心臓の鼓動は?


 ーー誰のおかげで動いている?


 頭の中がぐっちゃぐちゃだ。

 


◇◇◇



 アーシャちゃんが用意してくれた「よく寝れる薬」を飲み、気絶するように眠りについた私は、みんなが心配してくれる中、翌朝からまたバカみたいに働いた。


 陛下は気を遣って、王宮の外に連れ出してくれたり、宴を催したりしてくれた。


 ムトはイルナ君と一緒に、夜こっそり部屋に忍び込みにきたし、サーラさんやイルタニさんは、わざわざシッパルからきて、「気持ちが前向きになる儀礼」をやってくれた。


 アウェルさんは、出張先から手紙を送ってくれる。


 ヌマハ王子も、「母上 いつもおしごと ありがとう」と手紙をくれた。


 みんなして、「神からの贈り物」を心配してくれている。本当にありがたいことだ。


 ちなみにアーシャちゃんは、イケメンの文官たちを研究所に連れ込み、ホストクラブのようにして楽しんでいる。自由か。


 ……優しいこの人たちに、大好きなこと人たちに、これ以上、嘘はつけなかった。

 

 だから、ある決意をした。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ