墓前の秘密 ③
夕刻、シッパルから戻った陛下が、急ぎ足で寝所にやってきた。
近づいてくる足音に、久々に会える嬉しさよりも、キリキリと痛む胃の主張が激しくなる。
「……ノア!」
嬉しそうな声と共に戸を開け入ってきた陛下は、相変わらず絶世のイケメンだった。美。
「陛下、お帰りなさい」
寝台から立ちあがろうとする私を、陛下は上機嫌に抱きしめ押し倒す。展開が早いのも相変わらずだ。
「ノア、会いたかった。ウルの話も聞きたいが、先に…………いいか?」
「あ、あの……その、えっと…………」
いつもより歯切れの悪い私に違和感を感じたのか、陛下は身を起こし、寝台に腰掛け、心配そうに顔を覗き込んできた。
「どうした? どこか具合が悪いのか?」
「……すみません。ちょっとお腹が痛くて……」
つい、そんな風に口走ってしまう。
陛下は慌てて私を優しく寝転がせ、頭をヨシヨシ、撫でてきた。
「……仕方ないな。今日は我慢してやる」
「陛下…………」
「その代わり、治ったら覚悟しておけよ」
陛下の優しい微笑みに、優しさに、余計胸が痛くなった。
こんなにも私を気遣ってくれるこの人に、隠し事をしている自分が、疎ましい。情けない。申し訳ない。
早く言わなくちゃ。
今日こそは言わなくちゃ。
ーー頭の中で、何度もシュミレーションした。
『陛下、あの時ライルがおこなったのは、実は「死者蘇生の儀礼」だったんです。ライルは本当は、マリカさんを蘇らせたかったんです。その儀礼では、術者が蘇らせた人に寿命を与えなくてはいけないので、ライルも自分の寿命を捧げ、儀礼に挑みました。
でも儀礼は失敗して、代わりにやってきたのが私でした。
だから私は、「神からの贈り物」でも、なんでもありません。
……そんな訳なのですが……
これからも、私が陛下のおそばにいることを許してくれますか……?』
――何度やっても、その先、陛下の顔が固まったその先が、真っ暗になる。
陛下は……優しいから、きっと言葉では私を拒否しない。
でも、本当はここにはマリカさんがいたかもしれないと知ったらーー
陛下はきっと苦しい思いをする。
全てを知った陛下の目には、私はどう、映るのだろう。
「神からの贈り物」でもなんでもない、マリカさんの代わりに来てしまった女だと、知ったならーー
それを知るのは、怖かった。
俯く私に、陛下は声をかけてくれる。
「……そうだ。『法典』の進捗はどうだ? アウェルから、ノアが身を粉にして仕事していると聞いたが」
「そ……そんな、大げさですよ。でも、もうすぐ完成です。法典を刻ませるための、立派な玄武岩を取り寄せたんです。原案ができあがったら、陛下、ご確認ください。ゴーサインを出していただければ、早速石に刻んでもらいます」
「わかった。それにしても仕事が早いな。頼もしい」
そう言われると、ホッとする。こんなところにきても社畜の性が抜けない。
頭を撫でながら、陛下が思い出したように言う。
「……そうだ、マリのことだが。今度あの街を完全に焼き払うことにした」
「や、焼き払う?!なんでですか?!」
突然の情報に、思わず起き上がる。陛下は一瞬たじろいで、でもすぐに私の手を握ってきた。
「穢れを祓うためだ」
「穢れ?」
陛下は私の手をすりすり、撫でながら話す。
「ギルガメシュX……俺は結局見ていないが、ウルが使った怪物は、『死者蘇生の儀礼』などという、おぞましい禁忌の儀礼で召喚された、かつての英雄だったらしい」
「死者蘇生の儀礼」ーー陛下が儀礼のことを知っている。
背筋がゾワリ、震えだす。
「……陛下、なぜそれをご存知で……?」
「捕えていたラルサの王が吐いた。それでウルを調べさせたんだが……。いくら元英雄とはいえ、アレは禁忌の術で現れた、穢れた存在だ。アレが蹂躙したマリの街は焼き払い、清めなくてはいけない」
「…………」
穢れた存在。
頭の中で、その単語が嫌に響く。
禁忌の術……穢れた存在……。
「……安心しろ。街の人間はみんな事前に退避させるから」
黙り込む私を見て、陛下は私がマリの人々を心配していると思っている。
……違う。今は私の頭の中には、そんな高尚な考えはない。
穢れた存在。
「……そうです、か……」
穢れた存在。
穢れた存在は、焼き払われ、清められる。
違う、別に陛下は私のことを、そう言っているんじゃない。頭ではわかっている。なのに、その言葉が頭に棲みつき、離れてくれない。
陛下は呆然と俯く、私の肩を抱き寄せた。
「……誰もいない街を焼くだけだ。マリの民の行き先も斡旋する。だから心配するな」
「…………」
「……まったく、優しすぎるのも考えものだな」
陛下は困ったように笑うが。
違う。私は卑小な……穢れた存在だ。
「俺の大事な『神からの贈り物』のためにも、穢れはきっちり焼き払わないとな」
額に口付けを落とす、陛下の無邪気な言葉。
それがなぜか胸にズブリ、深く深く刺さってしまった。
そして、抜けない。
――違う。
私は「神からの贈り物」なんかじゃない……
あなたの親友の寿命をもらい、あなたの愛した女の代わりにやってきてしまった、穢れた存在……
「…………ノア?」
陛下の声が遠い。耳鳴りがする。
息が……吸えない。苦しい。
息を吸わなくちゃ。吸わないと。息が――
「ごめん……なさい……っ」
喉の奥がひゅっと鳴った。
酸素が足りない。頭が真っ白になって、足が勝手に動いた。
裸足のまま、部屋を飛び出した。
「ノア!!」
陛下の呼ぶ声が背中に突き刺さる。
追いかけてくる足音が怖い。心臓が暴れている。
月明かりの中庭。
でもすぐに腕を掴まれた。
「どうした?!」
肩を抱かれる。冷たい夜気が肌を撫でるのに、汗が止まらない。
陛下の瞳が近い。エメラルドの色が滲んで見えた。
呼吸がうまくできない。声が嗚咽に混ざる。
陛下の腕の中で、震えが止まらない。
荒い呼吸の隙間で、私は必死に、謝った。
「ごめん、なさい、ごめ、ん、なさい」
陛下は困惑している。
異変に気づいた警備の兵や、女官さんたちが遠巻きに集まってくる。
「……ノア、なにか、辛いことでも……」
首を振る。何度も何度も。視界が揺れる。
「ごめん、なさい……っ、ごめん、なさい……」
「謝らなくていい。ノア、俺を見ろ」
震える視界の中で、陛下の顔だけがはっきりした。
その心配そうな眼差しに、ますます胸が締め付けられた。
陛下の胸に縋りつき、必死に言葉を紡ぐ。
喉の奥で何かが詰まる。声が震える。
息が途切れる。
それでも、必死に懇願した。
「どうか……どうか…………」
焼き払わないでください…………
涙が勝手に溢れてきて、陛下の服を濡らした。
自分でも、なんでこんなことになっているのか、分からなかった。
陛下はもっと分からなかっただろう。
戸惑いながらも、背をさすってくれる陛下の胸の中。
ドク、ドク、ドク。
心臓の鼓動が聞こえる。
ーー陛下のこの鼓動は、陛下のものだ。
ーー私の心臓の鼓動は?
ーー誰のおかげで動いている?
頭の中がぐっちゃぐちゃだ。
◇◇◇
アーシャちゃんが用意してくれた「よく寝れる薬」を飲み、気絶するように眠りについた私は、みんなが心配してくれる中、翌朝からまたバカみたいに働いた。
陛下は気を遣って、王宮の外に連れ出してくれたり、宴を催したりしてくれた。
ムトはイルナ君と一緒に、夜こっそり部屋に忍び込みにきたし、サーラさんやイルタニさんは、わざわざシッパルからきて、「気持ちが前向きになる儀礼」をやってくれた。
アウェルさんは、出張先から手紙を送ってくれる。
ヌマハ王子も、「母上 いつもおしごと ありがとう」と手紙をくれた。
みんなして、「神からの贈り物」を心配してくれている。本当にありがたいことだ。
ちなみにアーシャちゃんは、イケメンの文官たちを研究所に連れ込み、ホストクラブのようにして楽しんでいる。自由か。
……優しいこの人たちに、大好きなこと人たちに、これ以上、嘘はつけなかった。
だから、ある決意をした。




