墓前の秘密 ②
◇◇◇
「ノア様、もうすぐ日が暮れますよ」
――バビルの郊外、人気の無い無縁墓地。
並んだ2つの小さな石碑。
ライルとマリカさんの墓。
その前に膝を抱えてしゃがみ、ぼうっと赤い地平線を眺めていると、サーラさんの夫・アウェルさんがやってきた。アウェルさんは拳2つほど空けて、同じように膝を抱えて、隣にしゃがむ。
「……アーシャさんが心配していました。ここ数日、ノア様が休みもろくに取らず、法典編纂のお仕事に恐ろしいほどのめり込んでいるって。かと思えば今日はライルさんとおしゃべりとは。僕も心配です」
いつもののほほんとした雰囲気のまま、アウェルさんは眉を下げる。
……仕事にのめり込んでいたのは、気を紛らわしたかったから。
ライルの墓にいたのは、ライルに文句を言いたかったから。
なんで……
なんで寿命のこと言わなかったの?
ライルの命をもらうなんて、そんな重荷、耐えられないんだけど!
『いーじゃん、別に細かいことは気にしないでさ。王妃ライフ、楽しんでこーぜ!』
そう言い返されるのが目に見えて、結局文句も何も言えず、ただ無言で墓を睨みつけている。
たぶん、ライルは困惑している。
「……アウェルさんにまでご心配をおかけして、すみません」
「いいんですよ。でもノア様、抱えすぎないで。僕でよければ話してください。……それとも、シッパルにいらっしゃる陛下をお呼びしましょうか? ノア様のピンチとあれば、陛下はすぐに飛んでいらっしゃいますよ」
「いえ、お仕事中の陛下に迷惑をかけるには……」
アウェルさんは、小さな石碑、その前に置かれた2つのカップに視線を落とす。
「……今日の『キプス』はワインですか。ライルさん、お酒がお好きでしたからねぇ」
「キプス」とは、死者へを供養するための捧げ物である。この世界では、死者は定期的に供養することで、地上の子孫を災厄から守ってくれると信じられている。そこら辺は日本の先祖崇拝と似ている気がする。
ついでに言うと、この世界では死者は通常、家の床下に埋葬する。その点は日本人的にはあまり理解できないが、それも祖先との繋がりを大事にするためなのだろう。
ライルの場合は、「呪われた存在」であるマリカさんが、都市から外れたこの無縁墓地に埋葬されたため、その隣に埋められた。
ちなみに先日行ったウルでは、シュメール人の時代、王の死に際し大規模な殉葬が行われていたらしい。
「……そうだ。アウェルさん、サーラさんの具合はどうですか?」
サーラさんはまだシッパルに残っていた。アウェルさんは陛下のいるシッパルと、研究所のあるバビルをしょっちゅう行き来している。
「サーラは元気ですよ。でもやっぱり左腕が動かないみたいです。その点は苦労しています」
「そうですか……」
するとアウェルさんが、なぜかふふふと笑い出す。
「でもね、サーラは1人でなんでもやれちゃいますから、腕が一本使えないくらいがちょうどいいんですよ。前よりも僕を頼ってくれることが増えました。不謹慎かもしれませんが、僕の出番が増えてちょっと嬉しいです」
そんなことをサラッと言うアウェルさん。その器の大きさに改めて感心していると、アウェルさんはなぜかちょっぴり、悪い顔をした。
「……ノア様。今ここには僕たちしかいません。せっかくですし、お互いの秘密を共有しませんか?」
「秘密?」
「はい。お互いの秘密を話しましょう。誰にも言えない秘密を。ライルさんに誓って、僕はノア様の秘密を決して誰にも漏らしません。ノア様も僕の秘密を漏らさない。……どうですか?」
……それがアウェルさんなりの、私への気遣いであることはすぐにわかった。
私が悩んでいることを、話しやすくしようとしてくれている。どこまでも優しい人だ。
こっくり頷くと、アウェルさんは微笑み、頷き返してくれた。
「それでは……僕から」
「お願いします」
「僕とサーラには子がいません。できないんです。実はサーラには、前の夫との間に子ができず、離縁された過去があります」
「えっ!」
確かに、2人には子がいないなと思ってはいたが……
サーラさんにそんな経緯があったとは、全く知らなかった。
アウェルさんは微笑みを絶やさず、続ける。
「サーラは離婚後実家に戻り、遠い親戚である陛下のために身を尽くそうと、仕事に人生を捧げることにしました。そして常に一生懸命、全力で陛下をお支えしていました。その姿がとても魅力的で……僕はサーラに一目惚れしてしまったんです」
そう言いながら、少し照れたようにこめかみを掻くアウェルさん。大人の男の人に言うのもなんだが、その姿は可愛らしかった。
「それで僕、思い切ってプロポーズしたんです。でもあっさり断られました。それでも諦められなくて、サーラに見合う男になろうと、がむしゃらに仕事を頑張りました。昇進してからもう一度、サーラにプロポーズしました。でもまた断られました。そうやって何度もプロポーズしました。僕、すごくしつこい男でした」
そういってクスクス笑うアウェルさんに、つい釣られて笑ってしまう。こんなにのほほんとした人が、何度も何度もプロポーズするなんて。意外な一面を垣間見た気がした。
「ある時、ついに観念したのか、サーラは僕に子ができぬことを明かしてくれました。だから僕とは結婚できないと。サーラにとって勇気のいる告白だったでしょう。……でも正直、僕にとってはそんなこと、どうでもよかったんです。なんでも一生懸命で、勇気があって、可愛いサーラが大好きだから。だから僕、子が居なくてもサーラが居てくれればいい、そう言ったんです。するとサーラは泣き崩れてしまいました。彼女の泣き顔を見るなんて初めてのことで、僕はすっごく慌ててしまいました」
なんだかその光景が目に浮かぶ。
地面に座り込んで大泣きするサーラさんと、その周りでアワアワするアウェルさん。
「そうして僕たちは結婚しました。大好きなサーラに触れられて、一緒に陛下を支えるお仕事ができて、僕はそれだけで楽しいです。幸せです。でもサーラは……やっぱり子供という存在を諦められなかったようです。サーラの、陛下にお世継ぎを生ませるという執着。……あれはきっと、自分のためでもあるんでしょうね」
アウェルさんの目は切なげで、遠く西に沈む夕陽に向かっている。
サーラさんの「お世継ぎです!」の言葉が、重みを増して聞こえてくる気がした。
「これが僕の……というか、僕とサーラの秘密です。さ、ノア様もよかったら秘密、話してみませんか?」
アウェルさんはニコニコ、私の言葉を待ってくれている。
膝を抱える腕に、力を込める。
「…………私の……秘密は――――」
◇◇◇
アウェルさんと互いの秘密を共有してから数日後。
今日は、陛下がシッパルから帰ってくる日。
アウェルさんに「死者蘇生の儀礼」の話をしたことで、少し気持ちの整理ができていた。それにアウェルさんは、驚きながらも優しい言葉をかけてくれた。
「ーーノア様がライル様の命をもらったこと、それはノア様の落ち度では全くありません。もちろん、気にしないなんて無理だとは思いますが、気に病む必要はありません。ねぇライルさん、そうですよね?――ほら、そうですって。ライルさんも冥界で言っていますよ。……それに、たとえ陛下がそれを知っても、ノア様への愛情は変わらないですよ。もし話しにくければ、僕も一緒にお話ししましょうか?」
私は笑って、首を横に振った。




