イヌ・アヌム・ツェールム ①
そんなこんなで、賑やかなシッパルの日々を終え、勝利の一行はバビルへと華々しく凱旋した。
「神からの贈り物」は、なぜかマリへの勝利を導いたとして、大いにもてはやされた。
ちなみにギルガメシュXの存在は、「神々がバビルのためにに遣わした巨人」として処理されていた。いまいち納得できないが、英雄の名を守るにはこれで良かったのかもしれない。
バビルの支配下にある各都市から使節が集まり、贅の限りを尽くした饗宴が七日七晩繰り広げられた。
こんな豪勢な宴を開ける人間は、今やこの世に1人しかいない。
これほど圧倒的な富を、力を持っている人間はただ1人しかいない。
それを各国に見せつけるかのような場であった。きっと、しばらく大きな戦争は起こらないだろう。
見事、陛下は全土統一を果たした。
一方私には、まだ残された課題があった。
そう、「ハンムラビ法典」の編纂である。
……さあ。やっと私の仕事が始まるぞ!!
まずは陛下に方向性の相談だ。
「陛下、『法典』のことですが……」
ーー陛下の執務室。私は目の前の王に向かい、真剣に切り出した。
「エシュヌンナで入手した『エシュヌンナ法典』は、前にもお話しした通り『判例集』と呼ぶべきものでした。しかし、陛下の『法典』編纂の方向性を考える……んっ…………上では、ぜひとも参考にすべき事例だと…………言えます。なんといったって、陛下は広大な土地を支配……していて、その中には色んな民族、文化が…………あっ、あります。それらに統一的な、正義の法を作るというのは…………あっ……あまりに無謀な、んっ、ことに、思われるんです…………んっ…………だから、『判例集』として、判決の例示集として、……裁判官たちが、ケースバイケースで参照すべきもの……と、すれ、あっ、ば…………んっ!…………ちょっと!!人が真面目に話してるんだから!!暴走しないでください!!」
「嫌だ。早くシたい」
「もう!!とりあえずこれだけ決めさせてください。陛下の名を冠した『ハンムラビ法典』は、優れた判決を集めた『判例集』として編纂するという方向性でいいですか?」
「なんでもいい。ノアの好きにしろ」
「そんな!適当に決めないでください!これが歴史にずっと残るんですからね!あとでやっぱり変えたいとか言われても困りますよ!」
「言わないから……早く……ノアが欲しい」
こちとら真面目に話しているのに、いつのまにか壁際に追い詰められ、身体中にキスの嵐が降ってくる。逃がさないように這い回る大きな手が、身体中を熱くする。
「……もう〜〜……あとですね、アウェルさんからリクエストがありまして、『ハンムラビ法典』の冒頭文には、陛下がいかに王の素質を備えていらっしゃるか、陛下がいかに偉大であるかを明らかにする文章を、あっ、……後書きには法典を消し去ろうとする人間ッ……への呪いを……んっ……もう!……書きたいそうです。そちらもOKですか?」
「任せる」
「それと、できれば法典編纂を実施するための専門チームが欲しいです。国中の優れた判決を収集し、選抜するなんて大仕事、私1人では難しいです。人手を貸してください!」
「わかった。研究所を作ろう。人も集める」
「意思決定が早すぎる……!!」
何でもかんでもYESというこのお方。ありがたいが、早く話を終わらせたいという魂胆が見え見えである。どんだけイチャイチャしたいんだ。
その気持ちは嬉しいけれど、ここは一旦、ちゃんと仕事の話を詰めておきたい。
陛下の広い胸板を押し返し、距離を取る。
陛下が拗ねる。
「……陛下、前からお願いしている通り、私、法典が完成するまでは正式な結婚はできません。陛下の横に立つに相応しい人間であると、人々を納得させられる実績が欲しいんです。お忙しいのは重々承知しておりますが、どうかもっと陛下のご意見をください!」
「あぁ。わかった。俺は早く寝所にいきたい」
「そうじゃないいいいいいい」
ーー抱き上げられ、寝所に連れていかれて…………
その後。
「……もう……陛下ぁ…………」
汗ばむ腰をさする。
隣に寝転ぶ陛下は、満足げに微笑む。
「ノア、今日もたまらなく可愛いな」
「あとですね、法典作りのため、南の古い都市・ウルへ業務視察に行きたいんです」
「その話まだ続いてたのか」
甘い顔から一転、陛下が真顔になる。
重い腰を上げ、乱れた服を直し、寝台の上、正座して陛下に向き合う。
「続きますよ。仕事が終わるまで続きます。『法典』の前文を書くにあたり、いにしえのウルの王……ウル・シンのご先祖様ですね、その王が編纂した『ウル・ナンム法典』を調べたいのです。『エシュヌンナ法典』には冒頭文がなかったので、法典作りの参考事例としてどうしても確認したいのです」
陛下が眉をひそめ、汗に濡れた前髪をかきあげる。
「ウルか……遠いな。ラルサよりも南だ。一緒に行きたいが、今は各都市の城壁の補修、運河の掘削で離れられない。……下手な男にお前の警備を頼みたくないし……ムトに護衛をさせるわけにもいかないしな」
「もし陛下に許可いただけたら、運び屋さんに運んでもらうよう頼むつもりです」
「運び屋…………」
陛下はしばらく無言で考えてーー
「……あの者たちなら安心か。……わかった。だけどノア、気をつけて行ってくれ。全土統一をしたとはいえ、どこにだって賊はいる。変なことに頭を突っ込むなよ。まっすぐいって、まっすぐ帰ってこい」
陛下の許可が出た!
「はい!ありがとうございます!お土産買ってきます!」
「よし。これで法典の話は終わりだな。もう一回」
「嘘でしょ???」
◇◇◇
ーーこうして色ボケ陛下の一声で、王宮の一室に「法典編纂研究室」が創設された。
私はなんと、そこの室長になった。
社畜から室長へ!ーー女の地位が低めなこの世界で、まさか昇任させてもらえるとは思わなかった!
本研究室のメンバーは、特別顧問アウェルさん、「ノアに色目を使わなさそうな法学研究者」3名、そして諸々の事務サポートをしてくれる、とある若き女子……




