マリの後片づけ【side……】③
「ジムリ・リムにはシブトゥ王妃との子しかいなかったんだけど、その子達も興奮したバビル兵に殺されたみたいだ。これで王も王妃も、王子も死んだ。マリ王家は終わりだね。ハンムラビ、このあとこの街どうするの?」
「これから考える」
「そう。考えなきゃいけないこといっぱいで大変だね。落ち着いたらエカラトゥムの玉座は俺に任せてね」
ダガンはそう言って、ベレトを抱いたまま神殿をあとにした。
「…………」
呆然と立ち尽くしていたノアの傍に、共に街を駆け回った少年がそろりと近づいてきた。
「……お姉さん、バビルの人間やったん?」
はっと我に帰ったノアは、彼の目をまっすぐ見て、静かに頷いた。
「……うん。言ってなくてごめんね」
「そーだぜ、こう見えてもこのお方はな、バビルの王妃になるお方だ」
いつの間にか近寄っていたザルが、少年の肩に肘を乗せた。
「うわっ、誰やあんた!」
「世界一の女弓使い、ザル様だ。ちゃんと覚えとけ!」
「知らんし……。ていうか王妃って……お姉さん、ほんとなん?」
少年はザルの手を払いながら、じっとノアを見つめた。
「……うん」
ノアも、静かに見つめ返す。
数秒の沈黙のあと、少年がふぅとため息をついた。
「……敵国のために、あんなに走り回ってたんや。お姉さん、変やね」
「あはは。そうだね」
ノアは肩をすくめて笑う。少年も小さく、同じように笑った。
「結局街はボロボロで、王家も滅んだ。でも……何もせんかったよりは、多くの命、救えたはずや。さすがにあの人も褒めてくれるよな?」
「うん。絶対褒めてくれるよ。私たち……頑張った!」
「……だよな!俺たち頑張った!」
少年は照れたようにうなずいた。
ふたりは互いを称え合った。
「……で。ここにおるのは、バビルの王と、その仲間たち……ってことでええんやな?」
少年は腰に手を当て、わざとらしく強気な態度をとるが、その声はわずかに震えている。
「……つまり、マリ人の俺は、ここで捕まるんだよな?」
少年の隣に、身を起こしたイルナが立った。 イルナはラビに向かい、また深々と頭を下げる。
「……父上、この者は母上を身を挺して守りました。どうかこの者を捕えず、自由にしてやってください」
バビルの王子が、マリの貧しい少年のために頭を下げている。少年は目を丸くする。
ノアもラビに向かい、頭を下げる。
ラビはコクコク、頷いた。
「もうこれ以上この街を攻撃することはない。捕虜もいらない。かさばるだけだからな」
「!」
少年は肩の力を抜き、ニカっと笑った。
「ありがとな!バビル王!」
「陛下の御前だぞ。慎め」
ムトが少年の背をバシンと叩き、少年は前のめりになる。彼は楽しそうに身を起こす。
「……じゃ、俺、母ちゃんとみんなのところに行く。そんでこれからどうするか考える。……バビル王、落ち着いたらこの街に戻ってきてもええ?」
「あぁ」
ラビは頷く。
「ありがとう。なんやバビル王って、男前でいいヤツじゃん」
「そうでしょう!!陛下は世界一の男なのよ!!」
ノアは自慢気に腕を組む。
少年はカラリと笑う。
「そっか。……じゃ、じゃあね、お姉さん」
「じゃあね、少年。お母さんやみんなによろしくね」
「うん!」
少年はノアに背を向け、元気に走り出す。
ノアがその背を見送ると、神殿の入り口には共に走り回った青年がいて、中をおそるおそるのぞいていた。
少年が青年に駆け寄り、何かをコソコソ話す。それから2人して、ノアの方を振り返った。
そしてーー
「チーム・ヤリム!!」
3人は大きな声を揃えた。
2人は笑顔で去っていった。
「……ところで、ザルさん。どうしてここに?」
ノアが尋ねると、ザルは伸びをしながら答えた。
「アンタの女官長様がさ、血相変えてシッパルの店まで乗り込んできたんだよ。『ノア様をバビル王のもとへ運んでくれ』ってな。けど道中、賊に襲われたらしくて、大怪我してたぜ」
「えっ、サーラさんが……?!」
ノアの声が上ずる。ラビもムトも驚いたように目を見開いた。
ザルは腕を下ろし、手をひらひらと揺らす。
「死にやしないよ。けどまあ、文字通り、命懸けの旅だったんだろうな。……私さ、ああいうアツいやつに弱いんだよ。その熱意に免じて、引き受けてやったってわけ。でもよ。私には親父みたいな千里眼はねェし、アンタをどう探すか途方に暮れてた。そしたら、マリに着くなりうちの血糸馬がアンタの居場所をビシッと当てやがった」
「チーちゃん……!」
ノアは目を潤ませる。
「そ、それで、サーラさんの怪我は……大丈夫なんですか?」
ザルは肩をすくめた。
「片腕はもう動かねェだろうな。バビル王の妹殿下のところに預けてきたぜ。あそこならゆっくり療養できるだろ」
ノアは安堵と落胆が入り混じったため息をつき、ザルに頭を下げる。
「ありがとうございます……サーラさんを助けてくれて」
ザルはニッと笑った。
「ま、これで任務完了ってわけだな。――あ、そうだ、シャムがよ、今にも人を殺しそうな顔して1人で王宮に突っ込んでったんだわ。あの燃えてる中にいないといいけどよ、早く回収しないとな」
「えっ、シャム君もマリに来てたんですか!」
ノアの目がぱっと輝く。しかし次の瞬間、ノアの脳裏に浮かんだのはーー巨大なヤシの木が、バッタリと倒れてくる光景。
「……まさか……シャム君が……ウルさんを……?」
ノアの呟きに、ザルが振り返る。
「ん?」
「……い、いえ。なんでもないです。ザルさん、シャム君によろしくお伝えください」
「そうかよ。……じゃあな」
ザルは手を軽く振って、風のように軽やかに神殿をあとにした。




