GPSもないこの世界
――『二つの川の間の地』、その名の通り二つの大河に挟まれたこの地域。今は夏の終わりらしい。日本のジメジメした夏とは違い、ここはカラッとしていて過ごしやすい。これから冬になると途端に雨量が多くなり、時折川が氾濫することもあるそうだ。
遥かなる大河に沿い、北上していくバビル御一行。夜はテントで野営したり、町に泊まったり。
時折河辺に葦という植物でできた家らしきものがみえる。建築材料に使う粘土だったり、植物だったり。この世界の人は自然のものをうまく使って暮らしている。なんてサスティナブルなんだ。
馬に揺られながら、陛下が後ろから色々教えてくれる。
「川から水を引いてきて、農作物を作る。栽培しているのは主に大麦だ。……あれは果樹園。ナツメヤシを育てている」
「へぇ。あれがナツメヤシ……あ、あそこも……あそこもナツメヤシだ。なんでナツメヤシばっかりなんですか?」
「気候が適しているし、ナツメヤシは塩害に強いから。川が時折氾濫するせいで年々塩害が進んでいる」
「塩害……土地に塩分が溜まりすぎると植物が育たなくなるんでしたっけ」
「そうだ。隔年耕作をしたり対策はしているが……あぁあそこ、民がいるあそこ。あれが今年使う農地だ。隣は今年の休耕地。交互に土地を使い休ませることで対策をしている」
「ほほう」
当初陛下は黙りこくっていたが、「あれはなにかなぁ、これはなにかなぁ」としつこくしつこく聞いていたら、どうやら諦めがついたらしく色々と話してくれるようになった。さすが一国の王、なにからなにまでお詳しい。
「……ということで水を人々に供給するのは王の大事な務めだ」
「なるほど。水は生きるのに欠かせないですもんね。そういえば人間の体って8割が水らしいですよ」
「なにを言ってる。粘土だろ」
「いやなんでですか。水ですよ」
「古い言い伝えでは、人は神々の世話をするため粘土から造られたと」
「うーん……地域柄そうなんですかね……っていうか陛下、どうですか。こんなに近くにいますけど首絞めたくなりませんか?」
「……あぁ。不思議だ。ここまで密着すると人前でも衝動に襲われることもあるが……」
「すごいじゃないですか!陛下、その調子です!」
後ろを振り向きガッツポーズをすると、陛下は照れくさそうに目を逸らした。乙女か。
さらに驚くべきことに、テントで休憩中、なんと陛下が私の肩にもたれてウトウトし始めるという貴重なイベントも発生した。相変わらず夜は別だが、これは陛下が少しは私に打ち解けてきた証拠と言えるのではないだろうか!
そんな話を、日中休憩のテントの中でこっそりすると、サーラさんとアーシャちゃんは手を取り合って泣き出した。
「サーラ様……そんなことって……ありえますか……?」
「いいえ、アーシャ……信じられないわ……女の前では決して隙を見せないラビ陛下が……女の肩にもたれてウトウトだなんて……!あぁ私渾身の『馬の上で親密作戦』がこれほどに上手くいくなんて……!やっぱりアニマルセラピーは良い…!あぁよかった!!これでもうお世継ぎ間違いなし!!」
「ははは……」
陛下とは仲良くなりたいが、お世継ぎを産む段階までは気持ちが追いついていないのが正直なところ。
「ノア様も大変ですねぇ」
「あれ、アウェルさん」
乾いた笑いで誤魔化していると、横にひょっこり、サーラさんの夫・アウェルさんが現れた。アウェルさんとはこの旅でちょくちょく話すようになっていた。
「サーラがご迷惑をおかけしてますよねぇ。サーラは陛下の血筋を残すことに命をかけていますから……ノア様にご負担をおかけしてないか心配です」
「アウェルさん、ご心配ありがとうございます。ギリギリなんとか大丈夫です」
「ならいいのですが。……王家の血筋も大事だけれど、ノア様のお気持ちも大事ですからね」
そういってのほほんと微笑むアウェルさん。見れば見るほどテキパキしたサーラさんとは対照的だ。よくこの二人が夫婦になったものだと感心してしまう。
「……アウェル、陛下のところに行くの?」
そんな私の横で、涙を乾かしたサーラさんがアウェルさんの服の裾を引っ張りだす。
「うん。陛下はまたバビルに書簡を出すそうだから、書記官の僕の出番だよ」
えっへん、と胸を張るアウェルさん。
この世界では文字を読み書きできる人は少ない。こんなにのほほんとしていても、書記官であるアウェルさんはエリート中のエリートなのだ。
「あら。それならノア様に代わっていただきましょうよ!ノア様は字を読み書きできるのよ。……そうよ、ノア様に陛下ご専属の書記官になっていただくのはどうかしら!我ながら名案を思いついてしまったわ」
「いやいや!私に書記官だなんて無理です!……読むのはできますけど、書くのはまだまだ苦手で……。うまく葦の筆が使えないし」
ここでは葦で作った筆を、粘土板に押し付けることで文字を刻む。その粘土板を日干しして固めれば立派な「文書」の出来上がりだ。落とすと割れてしまうのが難点だが、改ざんできない点はなかなかいい。だがとにかく、文字を綺麗に刻むのが難しい。
「筆を使うのは慣れが必要ですからねぇ。ノア様、僕でよければお教えしますよ!……でもすみませんが、今日は僕が陛下の書記官を務めさせていたます。ナンバーワン書記官の名にかけて!」
そう言ってアウェルさんは颯爽と立ち去っていった。
サーラさんはブツブツ文句を言っていた。
アーシャちゃんは、ええ夫婦やな。としみじみした顔をしていた。
◇◇◇
土と時々緑の平らな大地を、一行は故郷バビルへ向け川沿いに北上する。いつのまにか陛下と私の乗る馬は列の半ばあたりにいて、前の方はムト率いる屈強な方々が道を切り拓いていた。
それにしてもGPSで現在地のわかるマップもなく、よく迷わず進めるなぁと感心する。
途中いくつか大きな町に寄った。どれもバビルに忠誠を誓う都市だという。即ち、バビルが征服した都市である。
ラビ陛下は都市に入るたび、「ラルサを攻め落とした褒美に神から賜った」と言って私を紹介した。仕方なく皇居にいらっしゃる方々のように、微笑みを絶やさず、なるべくレディにすごすよう努め、おもてなしの宴会やら人々との交流を乗り切った。
連日の宴会でだんだんと分かってきたこと。
陛下は酔うと色気が増し、その色気にあてられて気絶する女性が出るということ。
もはや武器だった。




